経済分析第101号
恒常所得仮説の拡張とその検証 他

  • <分析1>恒常所得仮説の拡張とその検証
  • <分析2>ライフ・サイクル仮説に基づく消費・貯蓄の行動分析-全国消費実態調査に基づく日本の家計の高貯蓄率の分析-
1987年3月
<分析1>
林 文夫
<分析2>
アルバート 安藤,山下 道子,村山 淳喜

<分析1> 恒常所得仮説の拡張とその検証

(序論)

減税や政府支出の増加といったマクロ的財政政策がどれほど景気刺激効果があるという問題は,経済運営において非常に重要であるが,この問題を数量的に分析するためには,総需要の一大構成要素である消費支出がマクロ的財政政策にどのように反応するかを見きわめることが必要である。本稿は,個々の家計の消費行動を分析することにより,財政政策が消費支出におよぼす影響を分析することにする。

家計消費の決定要因については,大別して2つの有力な仮説が存在する。そのひとつは,将来の予想所得よりは,現在および過去の所得によって,現在の消費が決定されるという仮設である。(これを便宜上「ケインズ的消費関数」と呼ぶことにする。)この仮説によると,減税や政府支出の増加は,周知の乗数効果を通じて国民所得を増大させる。

しかし,消費についてのもうひとつの有力な仮説である恒常所得仮説あるいはライフサイクル仮説によると,消費は「恒常所得」に依存し,財政政策は恒常所得を変化させないかぎり消費に影響をおよぼさない。恒常所得は現在および将来の予想所得の加重平均であるから,たとえば,一時的な減税の効果は,恒常所得仮説によると,きわめて限られたものになる。

家計の消費行動が,当期の可処分所得の役割を強調するケインズ的消費関数によって説明されるのか,あるいは恒常所得・ライフサイクル仮説によってよりよく説明されるのかは,以上で明らかなように,非常に重要な研究課題である。しかし,今までのところ,この問題についての明確な答は得られていない。それは主に次の2つの理由によるだろう。

第一に,消費関数を推定することによりこの問題に決着をつけることは困難である。ケインズ的消費関数は,今期の可処分所得が説明変数であるが,消費の所得に反応するラグを考慮に入れれば過去の所得も消費関数に入ってくる。一方,恒常所得は将来の可処分所得の期待に依存するが,期待は観測可能ではないから,これを過去の所得の関数として定式化せざるをえない。そうすると,恒常所得仮説によっても,推定する消費関数の説明変数は,現在および過去の可処分所得となり,ケインズ的消費関数と形の上では差がなくなってしまう。

しかしこの問題は,恒常所得仮説を通常の意味での消費関数によらないで定式化するという。ホール(1978)1)の手法を用いることにより解決できる。ホール流の恒常所得仮説では,消費がどの変数によって説明されるかということを分析するのではなくて,家計が恒常所得仮説に従って行動しているとすれば消費の時系列がどのような条件を満たさなくてはならないか,ということを分析する。ホールはこの分析により,消費はランダム・ウォークであることを示した。ケインズ的消費関数か恒常所得仮説かどちらが現実に近いかという問題は,消費の時系例が所得の動きに近いかあるいはランダム・ウォークに近いかを検討することにより,原理的には解決できる。

第2の理由は,データの制約である。原理的に2つの仮説を区別できても,データから得られる情報が貧弱であれば,実際問題として仮説を選ぶことは困難になる。消費と所得のマクロ時系列データは国民所得統計から得ることができるが,データを得られる期間の長さが今だに20年あまりしかない。しかも日本では,その期間のちょうどまんなかに,石油ショックという大きな攪乱があるので,マクロの消費と所得の時系列を比較するという作業は困難をともなう。

マクロデータが不適当なら,ミクロデータを用いる方法がある。しかし,消費支出と所得を個々の家計について記録したミクロデータはあまり存在しない。幸い,日本では『家計調査』という非常に信頼性の高いデータがある。これは数百という家計の細かな項目にわたる支出と所得を,月に2回家計簿を収集することにより記録したデータである。したがって消費支出と所得の時系列が何百回,何千回と日本全国の家計全体という母集団から抽出されている。しかもこれはインタビューでなく家計簿による調査だから測定誤差が深刻な問題となりえない。このミクロデータが,家計の消費動向について豊富な情報を提供してくれると期待されるのである。

本稿で用いるデータは,この『家計調査』である。理論モデルは,ホール流の恒常所得仮説(ランダム・ウォーク・モデル)とケインズ的消費関数である。したがってまず第1の作業は,『家計調査』に記録された個々の家計のそれぞれの費目への支出がランダム・ウォークであるか否かを調べることであるが,のちに本文で述べるように,支出はランダム・ウォークによっても,あるいは所得の動きによっても説明できない。そこで本稿では,別のミクロデータを用いた林(1984)2)の研究にしたがって,ランダム・ウォーク・モデルを一般化し,財の耐久性により消費ストックと支出を区別することにする。このように一般化された恒常所得仮説は,全体の約9割の家計の支出行動を説明できる。残りの約1割の家計は,ケインズ的な消費関数に従って行動していると考えられる。

本稿の構成は次のとおりである。次節では,消費理論の簡単なサーベイを,恒常所得(ライルサイクル)仮説を中心にして行う。第3節では『家計調査』のミクロデータの性格を説明し,そこに含まれる支出と所得のデータを平均・標準偏差・相関係数などを計算することにより分析する。第4節では,財の耐久性を考慮に入れた恒常所得仮説が展開され,支出ではなく消費ストックがランダム・ウォークに従うことが示される。次の第5節では,支出と所得の単変数・多変数自己回帰モデルを推定し,前節で提示した恒常所得仮説がおおむね妥当することを見る。第6節では,第4節の理論モデルをさらに一般化し,家計の選好が月々変動する可能性を考慮に入れる。このモデルがデータと斉合的かを検討した結果やはり所得の変動が支出の変動を説明する力は弱いが,支出の変動の大部分は家計の消費に対する選好のシフトにもとめられることが判明する。


1) Hall, R. E. (1978)."Stochastic Implications of the Life Cycle-Permanent Income Hypothesis: Theory and Evidence, "Journal of Political Economy, vol.86. pp. 971-87

2) Hayashi, F.(1984). "The Permanent Income Hypothesis and Consumption. Durability: Analysis based on Japanese Panel Data, "Quarterly Journal of Economics, forthcoming.


全文の構成

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  2. 1ページ
    1. 序論
  3. 2ページ
    2. 恒常所得仮説の展開
  4. 5ページ
    3. 『家計調査』のデータの特徴
  5. 14ページ
    4. 消費と支出を区別した恒常所得仮説
  6. 15ページ
    5. 推定結果
  7. 19ページ
    6. 効用関数の変動
  8. 22ページ
    <付注>オイラー方程式の一般化導出

<分析2> ライフ・サイクル仮説に基づく消費・貯蓄の行動分析-全国消費実態調査に基づく日本の家計の高貯蓄率の分析-

(序論)

過去30年間の日米の個人貯蓄率のきわだった違いが,エコノミストその他の世論指導者によって指摘されている。欧州の主要国の貯蓄率は日・米両国の中間に位置している。OECDの統計資料によると,主要国の貯蓄率は表I-1のようになっているが,この数値には明らかにゆがみがある。例えば,イタリアは1960年以降毎年日本より貯蓄率が高くなっているが,インフレーションによる名目純資産のキャピタルロスを考慮に入れれば,イタリアの家計の貯蓄率は同様の修正をした日本の貯蓄率より低くなる。しかし,米国と日本の貯蓄率の相対的な位置は,どのような周知の調整を行っても変わらない。

一方,日本の経済成長率が他のOECD諸国,特に米国に比べて大変高いことを考慮すれば,日本の高い貯蓄率もあまり驚くに値しない。経済成長率と経済全体の貯蓄率と家計部門の所得に対する正味資産の比率との間には次のような関係が成り立つ。
   s=a・g

ここでsは貯蓄-所得比率,aは資産-所得比率,gは所得上昇率である。もし多くの先進諸国で資産-所得比率が一定になる傾向があるとすれば,貯蓄-所得比率は各国の所得上昇率と同じように変動することになる。

日米両国の家計の資産-所得比率を比較することは難しい。第1の理由は,日本では米国に比べて土地の価値が財産の大きな構成要素となっているためである。土地は再生産の不可能な資産であり,その相対的価値は近年特に日本において大きく上昇した。資本-生産比率の比較分析において,土地の価値の役割りを正確に分析することは難しい。一単位当たりの土地の市場価値が他国の何倍も高い場合や,他国の土地価格に対する相対的な実質市場価値が常に変動している場合には比較が特に難しい。第2の大きな理由は,日本の国民経済計算では株式の価値が薄価で表されており,その市場価値が推定されていないためである。しかし,これらの主な相違を考慮し調整すると,日本と米国の資産-所得比率はだいたい同じ大きさになる。

表I-2では,日本と米国のGNPの実質成長率を示してある。表I-1表I-2を見較べた時,両国の成長率を所与であるとすると,両国の相対的な貯蓄率については,大部分は成長率の違いによるものといえる(注1)

しかしそれだけでは日本と米国の貯蓄率の違いの説明としては不充分である。例えば,多くのエコノミストが予想するように,日本経済の成長率が鈍下した時,資産-所得比率が不変で,貯蓄率が成長率に比例して低下していくのかあるいは逆に貯蓄率がそのままで資産-所得比率が成長率に反比例して上昇するのかは依然としてわからない。もし前者が実現すれば将来両国の経済がだんだん似かよったかたちで発展していくこととなるが,後者の方向に進むとすれば,両国間の貿易収支の差がさらに拡大する傾向を強めることになるだろう。日本経済の歩む道を予測するためには,ミクロデータにより個々の世帯における資産の蓄積と取り崩しの行動を理解し,そしてそれらがどのように総貯蓄率や資産-所得比率のようなマクロ経済データに構成されていくかを把握することから始めなくてはならない。

もし,日本の世帯の貯蓄行動が,ここ数年来多くのエコノミストによって分析されている簡単なライフサイクル理論によって説明できるとすれば,人口一人当たりの生産性上昇率,退職年齢や退職金などの社会制度,人口構成の変化,政府の政策,そして特に社会保険の仕組みなどが徐々に変化するにつれて,日本経済全体の貯蓄行動がどのように変わっていくかをかなり正確に予測することができる。

日本の家計調査のデータを表面的に見れば,ライフ・サイクル理論は,日本の世帯の貯蓄行動の特徴を説明していないとの結論が支持されているように見える。ライフ・サイクル理論によれば,世帯は勤労期間中に退職後の生活のために貯蓄する。就業者は勤労期間中に資産を蓄積し,退職後それを少なくとも部分的に取り崩す。それ故に,ライフサイクル理論の妥当性をテストする上で決定的な基準は,典型的な世帯が勤労期間中(世帯主が57~58歳以下)に貯蓄するかどうか,また退職後は負の貯蓄(貯蓄の取り崩し)をするかどうかということでなければならない。日本の公表データによれば,多くの世帯が在職中,所得のかなりの割合を貯蓄すると同時に,所得の少ない単身者世帯を例外とすれば,退職年齢を過ぎた世帯においても,所得のかなりの割合が貯蓄されている。したがって,ライフ・サイクル理論を日本の世帯の貯蓄行動を説明する基本的な理論として使用することは適用でないように見える。

日本の世帯の貯蓄行動が一般化されたライス・サイクル理論にあてはまらないのなら,日本の世帯の貯蓄行動を説明するための基礎として役に立つ代わりの理論が必要となる。そのためにはあまり体系的ではなくても消費者行動と社会制度を反映する詳細で複合的な理論を作成する他はない。しかしそうした理論は非常に複雑になりやすく,経済の基礎的構造と総貯蓄行動を関係づける手段として活用してゆくことが難しい。

幸いにも,この研究によって日本の多くの世帯の貯蓄行動が,修正されたライフ・サイクル理論によって説明されることが実証できた。同時に世帯がライフ・サイクル理論に従って行動するかどうかを世帯属性と退職時の資産の大きさで説明し,その結果ライフ・サイクル理論の型に合わない家計があることも示された。これらの分析を含めると,われわれの研究の結果は日本の世帯全体の生涯を通じた貯蓄のパターンを比較的詳細に描写することを可能にした。

われわれが使用したデータは1974年と1979年の全国消費実態調査によるものである。この調査は非常に大規模で個票にのせられた情報を分析のためのデータに変換する過程も非常に注意深く処理されており,価値ある情報が多い。しかし,この調査は初めから世帯の財産と貯蓄について調査することを目的としたものではないので,データの処理に際して多くの問題が生じた。これについては,論文の中で記述することにする。われわれの研究の最終的な目的は,人口構成,退職制度,社会保障制度,税あるいはその他の所得移転制度などが,総貯蓄に与える効果を調べることである。

この過程で推定量の信頼度を高めるためにどのような追加的情報が最も有益であったかという事も論文の中で述べることにする。


(注1) これらの計算結果はたいへん大まかであり,その大きさの順序以上のことはわからない。例えば,貯蓄は名目キャピタルゲインを除去し,実質キャピタルゲインを含むように調整されなければならないし,耐久消費財の純投資額もまた貯蓄の中に含められるべきである。所得の概念は長期可処分所得又は長期可処分勤労所得であるべきである。
 ここでの目的は正確な推定値を求めることではなく,今後の議論の背景を提供することであるから,ここでの計算を既存の統計上の概念と数値を使用するにとどめた。これらの集計に関する問題については論文の終わりで取り上げたい。



表I-1 家計の可処分所得に対する貯蓄の割合 表I-2 米国と日本におけるGNP成長率

全文の構成

  1. 要旨別ウィンドウで開きます。(PDF形式 474 KB)
  2. 25ページ
    I.  序論
  3. 28ページ
    II.  理論
  4. 37ページ
    III.  データの評価と統計分析のための変数の作成
    1. 37ページ
      A はじめに(序)
    2. 37ページ
      B 全国消費実態調査の概要
    3. 41ページ
      C 統計分析のための変数
    4. 51ページ
      D 国民所得統計その他のマクロ・データとの比較
  5. 58ページ
    IV.  実証による分析結果
    1. 58ページ
      A 概要
    2. 68ページ
      B 日本の世帯と社会構造の特徴
    3. 72ページ
      C 退職以前における世帯の消費行動
    4. 84ページ
      D 同居老人の行動と資産蓄積
    5. 93ページ
    6. 96ページ
      F 老人世帯の住居に関する決定要因
    7. 99ページ
      G 住居所有のパターン
  6. 103ページ
    V.  要約と結論
  7. 115ページ
    参考資料
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