経済分析第106号
公債の中立命題:理論とその実証分析
-財源調達方式と家計の反応-

1987年2月
  • 本間 正明,武藤 恭彦,井堀 利宏,阿部 暢夫,神取 道宏,跡田 直澄

(はじめに)

 現代社会が民間部門と公共部門とからなる混合経済組織と呼ばれて久しくなるが、公共部門の行動が民間部門との対比で今ほど激しく問い直されたことがかつてあったであろうか。ケインズ経済学を根拠に財政・金融政策のファイン・チューニング(微調整)によって雇用とインフレに対処し、福祉国家論を背景に、すべての人々が健康にして文化的な生活を最低限享受しうる社会的仕組みを制度的に作りあげることが、公共部門の役割として広く認知されてきた。少なくとも、世界的な規模で経済が順調に推移した1960年代までは、このような「折衷ケインズ派」的な考え方が、揺ぎないものとして確固たる地位を築いたと信じられてきたのである。

 しかし、1970年代以降、状況は除々に変わりつつある。裁量的な政策介入が必ずしも失業とインフレの解決に有効であったという評価は得られず、また福祉政策のために整備された制度機構が資源配分や経済成長の側面で新たな弊害を生み出す事態が発生するにつれて、折衷ケインズ派の考え方はさまざまな角度から批判にさらされることになった。

 マネタリズム、合理的期待形成理論、公共選択理論、サプライ・サイド(供給重視)経済学というような新たな潮流は、それぞれ論点は異なるものの、いずれも折衷ケインズ派に対して批判的な立場にあることは良く知られている。これらの立場には、必ずしも全面的に意見の一致が見られるというわけではないが、「大きな政府」論を結果的には正当視した折衷ケインズ派の罪を問い、「小さな政府」論に直接あるいは間接に結びつくという点では共通している。しかも、このような「小さな政府」を志向する勢力は確実にその影響力を増大させている。1970年代から最近まで、折衷ケインズ派に批判的な考え方を重要視する経済運営が英・米両国で現実の政治の舞台で採用されるにいたったのは記憶に新しいところである。

 折衷ケインズ派に対して批判的な人々の主張には必ずしも説得的なものが多いとは言えないし、それに基づいて展開された英・米の経済運営が成功したか否かを断定するのは早すぎる。それにもかかわらず、公共部門の政策介入の評価にあたって、反折衷ケインズ派の主張に含まれる問題提起には十分に耳を傾けるべきものがあるように思える。

 第1に、政策に対する民間の経済主体の調整行動が明確に意識されており、その行動によっては政策効果が大きく左右されるという可能性を正しく理解している点である。第2は、特定の経済政策の目的のためにとられた公共部門の行動が他の経済政策の目的に対して副次的な効果を伴い、しばしばその相互間にはトレード・オフ(二律背反)関係が発生しうることを認識している点である。第3は、市場機構のそれ自体の調整は動学的プロセスの中でいずれ発揮されるが、政策の効果は短期、長期などのどの局面で評価するかにより著しく異なりうることを示唆している点である。

 公共政策の役割とその評価は、以上の点に正当な注意を払う時、根本的な見直しが要求される。この観点から打ち出された一つの重要な批判として、政府の財源調達手段の相違が果たしてマクロ経済に異なる影響をもたらすのかという問題提起がある。いわゆる「リカードの等価定理(The Ricardian Equivalence Theorem)」を現代的粧いで復活させたBarro(1974)の「中立命題」をきっかけとする一連の論争がこれにあたる。

 「等価定理」あるいは「中立命題」を大胆に要約すれば、次のように整理できる。「国民経済的に見る限り、国債は現在の租税賦課を将来に繰延べしたものに過ぎないから純資産ではない。このため、一定の財政支出の財源調達手段としての国債と租税との相違は何らの実体的影響をマクロ経済にもたらさない。」

 「中立命題」が財政政策の有効性に投げかけた疑問は、きわめて深刻なものであった。仮にこの命題が現実の経済において妥当するなら、財政赤字を懸命することはほとんど無意味であぶられるからである。多くの経済学者が「中立命題」を理論的に成立させる緒仮定を慎重に吟味するとともに、実証的に果して妥当するのか否かの検証を試みたのは自然の成行きであった。

 しかし、残念ながら、わが国においてはこの「中立命題」の理論的ならびに実証的研究がこれまで組織的になされたことはなかった。この現状をふまえて、本稿の目的は「中立命題」の論理的枠組とその限界を正確に把握したうえで、現実のデータに即して実証的に検討することである。巨額な財政赤字の発生とその帰結である国債の累増がわが国のマクロ経済にいかなる影響をもたらすのか、この点の評価にあたっては「中立命題」をデータに即してテストしておくことが不可欠であると考えるからである。


全文の構成

  1. 要旨別ウィンドウで開きます。(PDF形式 332 KB)
  2. 1ページ
    はじめに
  3. 3ページ
    第1章 中立命題:理論とその限界
    1. 3ページ
      第1節 中立命題の基礎的枠組
    2. 5ページ
      第2節 中立命題の応用例
    3. 7ページ
      第3節 公債と世代間負担
    4. 9ページ
      第4節 バローの「中立命題」
    5. 10ページ
      第5節 中立命題の限界
  4. 14ページ
    第2章 中立命題の既存の実証分析
    1. 14ページ
      第1節 消費関数によるアプローチ
    2. 15ページ
      第2節 資産需要関数によるアプローチ
    3. 16ページ
      第3節 留意事項
  5. 18ページ
    第3章 中立命題の検証(I):四半期データによる分析
    1. 18ページ
      第1節 消費関数の導出
    2. 20ページ
      第2節 推定結果
  6. 25ページ
    第4章 中立命題の検証(II):年次データによる実証分析
    1. 25ページ
      第1節 消費関数によるアプローチ
    2. 32ページ
      第2節 資産需要関数によるアプローチ
    3. 33ページ
      第3節 F テストによるアプローチ
    4. 34ページ
      第4節 推定結果の総括
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