経済分析第108号
高雇用余剰と高雇用経常収支の再計測

1987年3月
  • 本間 正明,黒坂 佳央,井堀 利宏,中島 健雄

(はじめに)

継続的な財政赤字の発生とそれに伴う巨額な公債残高の累積は先進諸国において共通に観察される事象である。このような事態を受けて、財政赤字をめぐるさまざまな議論が展開され、なお収束する気配が見られないばかりか、混迷の度を増している感すらある。問題を複雑にしている原因は、財政赤字が単に国内的な裁量政策との絡みで議論されるばかりでなく、経常収支の不均衡を背景にして国際協調との関連で取り上げられる機会が増えてきたことによる。本稿は、このような状況をふまえて、高雇用余剰と高雇用経常収支という概念を用いて財政赤字とマクロ経済政策の係り方を検討する。

財政赤字は、言うまでもなくその時々の経済状況、とりわけ循環的要因に左右される。

「……経済が景気後退に移行すると、税収は自動的に減少し、予算は赤字(あるいは黒字の減少)に移行する。逆に、経済活動の拡大によって予算は黒字(あるいは赤字の減少)に移行する。……このことは現実の予算赤字を、政府の財政政策が拡張的であるか抑制的であるかを表わす尺度であると単純にみなすことができないことを意味している。……財政政策を受動的にではなく能動的に用いて、所得水準に影響をおよぼそうとしている方向(拡張的か抑制的か)をしばしば評価したいので、現実の経済が位置している景気循環の特定の局面-好況あるいは不況-から独立して政策を評価するある種の尺度が必要となる。」(Dornbush and Fisher 〔1978〕pp.80-81)。

景気循環的な要因から独立した尺度としては「高雇用余剰」(従来からある完全雇用余剰という名称にかえて、最近普及しつつあるこの呼び方を用いることにする1))という概念が用いられる。この「高雇用余剰」は、所与の財政制度(政府支出、税制を固定した状態)のもとで、経済が高雇用状態を達成した場合、そのもとでの政府収入が政府支出を超過する額として定義される。マクロ経済における財政政策のスタンスを景気循環の局面から切り離して、高雇用状態を実現する構造的な観点から評価しようという試みが、この「高雇用余剰」の概念にほかならないわけである。

本稿の目的の一つはこの高雇用余剰を計測し、その推定結果にもとづいて三つの観点から財政政策を評価することである。第1は、高雇用余剰とGNPギャップ(現実のGNPと高雇用GNPの乖離率)の符号を対比させて、各年度の財政運営が景気対抗的であるのか、それとも景気助長的であるのかを検討する。第2は、高雇用余剰を財政政策の summary measure として用い、各時点の財政政策がそのときの景気局面で拡張的であるのか、それとも抑制的であるのかを分析する。すなわち、GNPギャップの変化の方向と高雇用余剰の変化の方向を対比させることで、各時点の財政政策の景気循環に対するパフォーマンスが評価される。高雇用余剰とGNPギャップの水準の対比による財政政策の評価が第1番目の分析課題とすれば、高雇用余剰とGNPギャップの第1階差(変化額)の対比にもとづく財政政策の評価が第2番目の分析課題と言える。

第3番目は、高雇用余剰をhigh-employment adequacy として利用し、財政政策が高雇用を達成するという観点からみて適切であるか否かを検討課題とする。いいかえると、民間の貯蓄投資差額を相談する方向に財政が機能しているか否かを吟味する。

本稿のいま一つの目的は高雇用余剰の計測にもとづいて、高雇用経常収支を計測することである。「高雇用経常収支」とは経済が高雇用状態にあるときの経常収支の水準として定義される。わが国の巨額な経常収支黒字の存在を背景にして、高雇用経常収支がどの程度の大きさであるかについて、近年大きな注目が集まっている。例えば、1984年度の経済白書では「我が国は、現在『未成熟の債権国』という発展段階にあり、中長期的要因に基づくかなりの経済収支黒字(=高雇用経常収支黒字)を生み出している。」(経済企画庁〔1984〕p.92)と主張されている。そのうえで、現実の経常収支黒字から短期的要因にもとづく黒字分を差し引いた残差としての経常収支黒字は1982年で126億ドル(名目GNP比1.2%、現実の経常収支黒字は91億ドル)、1983年で133億ドル(名目GNP比1.0%、現実の経常収支黒字は242億ドル)と計測された。

「未成熟の債権国」としての日本に累積した大幅な経常収支の黒字は、資本輸出として諸外国へ貯蓄を供給することになる。「未成熟の債権国」では、「……債務がすべて返済され、その後も経常収支の黒字、すなわち長期資本収支の赤字(流出)が続くとこの国はストックでみて債権国に転じ、その結果投資収益が赤字から黒字に転ずる。」(経済企画庁〔1984〕p.88)からである。「国際収支の発展段階説」にしたがえば、最近の日本の巨額の経常収支の黒字は、経済発展段階におけるある種の歴史的必然とも言えないこともない。そればかりでなく、「世界はより多くの貯蓄を必要としており、日本の資本流出は海外の経済成長に有益な貢献をなし得る。」(M.S.フェルドスタイン「日本経済新聞」1986年9月1日朝刊)という積極的な評価も登場してくるのである。

日本経済が抱える経済収支の大幅な黒字が構造的なものかそれとも循環的なものかを性格付けておくことは、貿易摩擦をめぐる諸外国のいらだちにどのように対処し、またいかなるマクロ経済政策をデザインするかを考えるうえで、きわめて重要である。

本稿は以下の構成にしたがって展開される。第2章および第3章では自然失業率の理論を簡単に概観したうえで、その計測結果を報告する。第4章ではマクロ生産関数の推定を通してGNPギャップを計測する。第5章では財政構造(租税関数、社会保障関数など)を特定化し、そのもとで高雇用余剰を計測する。最後に第6章では、高雇用交易条件と高雇用為替レートの計測とあわせて、高雇用経常収支の計測結果が示される。なお本稿における計測手順の詳細は図1のフローチャートにまとめられている。補論として、高雇用余剰と実質経済活動、エネルギー・データの作成方法がまとめられている。本稿で使用される変数リスト、データ、データ・ソースならびに詳しい計測結果は巻末におさめられている。


1) 例えば、Leeuw and Holloway [1982], Eisncr and Pieper [1986] の論文では高雇用(high-employment)という呼び方が使用されている。日本では吉富氏が高雇用という表現を用いている(吉富 [1984] 第四章第四,五節)。


図1.計測手順のフロー・チャート

全文の構成

  1. 要旨別ウィンドウで開きます。(PDF形式 428 KB)
  2. 1ページ
    I.    はじめに
  3. 3ページ
    II.   自然失業者の理論と実証
    1. 3ページ
      II-1 古典派利理論と高雇用
    2. 4ページ
      II-2 自然失業率の理論
    3. 6ページ
      II-3 自然失業率の実証例
  4. 7ページ
    III.   自然失業率の計測とその吟味
  5. 11ページ
    IV.  GNPギャップの計測
    1. 11ページ
      IV-1 マクロ生産関数の推定
    2. 12ページ
      IV-2 労働時間関数の推定
    3. 12ページ
      IV-3 稼働率関数の推定
    4. 13ページ
      IV-4 女子労働力率関数の推定
    5. 13ページ
      IV-5 GNPギャップの計測とその検討
  6. 15ページ
    V.   高雇用余剰の計測
    1. 15ページ
      V-1 計測方法
    2. 16ページ
      V-2 分配所得の推定
    3. 16ページ
      V-3 租税関数の推定
    4. 17ページ
      V-4 社会保障負担関数の推定
    5. 18ページ
      V-5 高雇用余剰の計測とその検討
  7. 20ページ
    VI.  高雇用経常収支,高雇用交易条件と高雇用為替レートの計測
    1. 21ページ
      VI-1 計測方法
    2. 21ページ
      VI-2 貯蓄関数の推定
    3. 22ページ
      VI-3 投資関数の推定
    4. 22ページ
      VI-4 高雇用経常収支の計測とその検討
    5. 25ページ
      VI-5 輸出・輸入関数の推定
    6. 25ページ
      VI-6 高雇用交易条件・高雇用為替レートの計測とその解釈
  8. 27ページ
    VII. 結びに代えて
  9. 31ページ
    補論I 高雇用余剰と実質経済活動
  10. 35ページ
    補論II エネルギー・データの作成方法
  11. 37ページ
    変数リスト
  12. 40ページ
    データ付録
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