経済分析第116号
日本の家計資産と貯蓄率

1989年9月
高山 憲之(経済企画庁経済研究所客員主任研究官、一橋大学助教授)
舟岡 史雄( 同 客員主任研究官、信州大学教授)
大竹 文雄( 同 客員研究員、大阪府立大学講師)
関口 昌彦( 同 前委嘱調査員、住友生命総合研究所)
澁谷 時幸( 同 前研究官)

(はじめに)

家計が保有する各種の資産に関するデータはどの国においてもあまり整備されていない。日本もその例外ではない。日本で個々の家計に着目して資本保有額を包括的に推計したデータは、経済企画庁によって実施された1970年の『国富調査』が最後であった。それ以降については金融資産についてのみ総務庁『貯蓄動向調査』が各家計の保有額を毎年調べているだけで、実物資産については各家計がどの程度保有しているかまったく不明のままである。ただし実物資産保有額のマクロ集計値は経済企画庁『国民経済計算』(各年版)によって一応知ることができる。

近年、日本においてはフローの充実よりもむしろストックの充実が求められ、国民の目もフローばかりでなくストックにも向けられるようになった。とくに1986年から1987年にかけて土地と株式の値上がりは激しく、その合計額がGNPを上回るような事態が発生するにおよんで(注1)、人びとのストックへの関心は著しく高まった。その中で消費の資産効果に着目する議論が起こったり、資産格差の拡大を憂慮する声があがったりした。

また日本においては、これまで所得を基軸にして公平が議論されてきた。しかるに所得に資産との関係が必ずしもパラレルでないとすれば、これまでの議論には無理があることになる。今日、われわれの公平観念には、「揺らぎ」がみられるのではないだろうか。

いったい今日、日本の各家計はどの程度の資産額を保有しているのか。資産格差はどの程度あるのか。あるいは、その資産保有額の水準や資産不平等は、諸外国と比較すると、どのように評価されるのか。

家計資産の保有額を個々の家計ベースで推計することができれば、このような基本的質問に対して回答を与えることができる。また上述ような資産効果や拡大する資産格差をめぐる議論に対しても具体的な計数を与えることができる。さらに、消費をめぐるライフサイクル仮説を検証したり、資産の世代間移転についての内実を具体的に知ったりするためにもそのような推計は不可欠の準備作業となる。くわえて、1986年から1987年にかけて東京を中心に資産価格は著しく上昇した。資産の評価益を所得と貯蓄の双方に含めると、この両年において意図せざる貯蓄が巨額に発生し、貯蓄率も結果的に上昇したことになる。土地を中心とする資産インフレによる意図せざる貯蓄率の上昇、およびそれによってもたらされた資産分布の歪みは、家計の消費行動に少なからぬ影響を与え、また資金供給部門としての家計の役割を変化させたに違いない。さらに税制面でもさまざまな影響があったはずである。しかるに家計資産に関する世帯ベースの基本的計数が利用できない段階においては、このような各種の影響や変化を議論しようとしても内容は乏しいものとならざるを得ない。これまでの議論には隔靴掻痒の感をどうしても否めなかった。

本稿は、日本における家計資産を単に金融資産だけでなく実物資産も含めて推計したものである(第1章)。個々の世帯に着目して、その実物資産を推計するという作業は日本ではかつてほとんど試みられなかった。本稿は、そのような空白をうめるためのものである。

本稿では、同時に日本における家計部門の貯蓄率についても資産純増という観点から再推計している(第2章)。貯蓄率については概念上複数の定義を与えることができる。資産純増という切り口は従来のそれとは多少とも異なっている。われわれの推計結果は1984年の一時点に限定されたものであるが、日本人の貯蓄に関する一般的な通念に疑問を投げかけるような内容をもつものであった。

推計にあたり主として利用したのは1984年に実施された総務庁『全国消費実態調査』の個票データである。このデータに関する信頼度を第3章で吟味した。その結果によれば、上記のデータは信頼性という点で総じてかなり高い評価に値している。このような評価は『全国消費実態調査』の利用が今後著しく拡大することを約束するものである。

第4章では、資産・所得・消費の推計手順を詳しく解説した。われわれの推計結果はこの手順に大きく依拠しており、その手順を具体的にどうするかについての議論とその確認・修正には多大な時間とエネルギーを要した。

本稿は1984年データを使って推計した。異時点間の比較(1979年データとの比較)や近年の地価上昇にともなう資産格差の拡大については別の機会に議論するつもりである。また生涯賃金・年金資産等の人的資産に関する推計結果についても別の機会に紹介したい。資産データの推計結果を利用すると、たとえば資産相互間の代替関係を調べたり、年金が貯蓄にどのような影響を与えるかを分析したりすることが可能となる。また消費における資産効果を計測することもできる。そもそもストックとフローに関する総合的なマイクロデータを利用すれば、従来の研究では不明であった点を次々に解明することが可能となる。また従来の仮説をチェックして、それを修正することもできる。世帯属性のちがいをコントロールできるからにほかならない。このような研究は、日本ではこれまで誰も試みていない。われわれが作成したデータセットはそれを可能にするものである。ただし作成データを利用したこのような経済分析も他の機会に譲りたい。


(注) 『国民経済計算』によると1986年におけるGNPは331兆円である。一方、土地のキャピタルゲインと株式のキャピタルゲインは同年の一年間にそれぞれ245兆円、121兆円発生し、合計で336兆円に達したと推計されている。また1987年におけるGNPは345兆円、土地のキャピタルゲイン371兆円、株式のキャピタルゲイン106兆円(土地・株式のキャピタルゲインの合計477兆円)であった。


全文の構成

  1. 要旨別ウィンドウで開きます。(PDF形式 321 KB)
  2. 2ページ
    はしがき
  3. 4ページ
    要約
  4. 9ページ
    1. 9ページ
      1.1 はじめに
    2. 9ページ
      1.2 家計資産保有額の推計結果
    3. 19ページ
    4. 23ページ
    5. 24ページ
      1.4 資産不平等の要因分解
    6. 24ページ
      1.5 資産構成
  5. 29ページ
    1. 29ページ
      2.1 問題の所在
    2. 29ページ
      2.2 貯蓄率の再定式化
    3. 31ページ
      2.3 貯蓄率の推計結果
    4. 35ページ
      2.4 推計結果に関する若干の吟味
    5. 40ページ
      2.5 おわりに
  6. 43ページ
    1. 43ページ
      3.1 1984年の『全消』の概要
    2. 44ページ
      3.2 『全消』データの特徴-他統計との比較
  7. 60ページ
    1. 60ページ
      4.1 資産保有額の推計
    2. 66ページ
    3. 76ページ
    4. 89ページ
      4.3 消費支出の推計
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