経済分析第117号
金融業における規制の経済効果

1990年3月
橘木 俊詔(経済企画庁経済研究所客員主任研究官、京都大学経済研究所教授)
池尾 和人( 同 客員研究員、京都大学経済学部助教授)
三井 清  ( 同 客員研究員、明治学院大学経済学部講師)
北川 浩  ( 同 客員研究員、成蹊大学経済学部講師)
中島 栄一( 同 行政実務研修員、神奈川県人事課)
田中 守  ( 同 委嘱調査員、東洋信託銀行)
井村 浩之( 同 委嘱調査員、東洋信託銀行)
松浦 克己( 同 主任研究官)

(序章)

コンピュータ・通信技術の発達や経済活動の国際化の進展など、わが国の金融業をとりまく環境は急速に変貌を遂げてきた。そのような状況の中で新金融商品の開発や国際金融業務の拡張などが行われ、わが国の金融システム全体も大きな影響をうけてきている。急速な金融環境の変化や新しい金融業務の展開に伴い、金融業に対するこれまでの公的規制がむしろ弊害をもたらすなどの事態を生じ、金融業に対する公的規制の在り方を再検討しようとする動きが生じてきたのである。

金融業に対しては、金利規制・業務分野規制・バランスシート規制・預金保険制度など多くの規制が加えられてきた。規制の理由としては、経済力集中の排除、信用秩序維持、経済発展政策の一環などさまざまな理由が考えられるであろう。高度成長期までの我が国においては、多少の議論の余地はあるが、それぞれの規制はある程度所期の目的を達成してきたと考えられる。少なくとも戦後の日本では大きな信用秩序の混乱を経験することはなく、銀行に対する規制はその意味で信用秩序維持に貢献するという機能を十分に果たし得たといえるだろう。

しかし前述のような金融環境の変化は、これまでの規制の実効性を弱めたり、規制の存在が、家計や企業のみならず金融業自体の利益をも損なうという状況が生じるようになってきた。その典型的な例が金利規制である。金利規制は経済発展政策の一翼を担い、かつ間接的に信用秩序維持に寄与してきた。しかし、金融革新の進行や資金調達や資金運用の国際化の進展は規制金利体系に拘束される金融機関の経営基盤を脆弱なものとし、さらには国民経済的視点からの効率性の阻害も甚大であると考えられるようになってきた。これが一連の金利自由化という規制緩和を促進させた理由である。

金利自由化がある程度の段階に到達した今日において、次の段階として注目され始めたのが、金融業における業務分野規制の問題である。

現在、我が国における業務分野規制は、証券業務と銀行業務の分離および信託業務と銀行業務の分離、長短分離などの銀行業の中の専門化などがある。証券業務の分離は明文をもって(証券取引法65条)規定されており、信託業務に関しても、信託銀行以外の信託業務は例外的な事例を除いて、行政的に規制されてきた。また業務分野が明確に分離されているわけではないが、長期貸出については、普通銀行の長期資金の調達を制約することによって、それを認められた長期専門金融機関を実質的に有利化させているというようなことが挙げられる。

ところで金融業が他の産業とは異なる視点で規制の対象となる最も基本的な理由は信用秩序維持の観点である。信用秩序とは、個々の債権・債務関係が期待どおりに履行され、かつそれらによって構成される金融システム全体が公衆の信認を得ている状態のことである。その中でもとりわけ重要なのが、一国全体の決済システムの安定性である。決済性を持つ金融資産は通常「通貨」と呼ばれるが、このような金融資産は公衆から極めて高い信認を得ている必要がある。現状では、通貨は中央銀行の負債である現金通貨の他に、民間銀行の負債である預金通貨がある。そしてこの預金通貨に対する信認が、一国の決済システムの安定性を確保する上で極めて重要な要因となっている。広範な銀行取り付けなどによる決済システムの崩壊が、一国の経済に甚大な損失をもたらすことは、今世紀初頭の金融恐慌の例を挙げるまでもないであろう。したがって、信用秩序とりわけ決済システムの安定性の維持の観点から、銀行業は他の産業とは異なるタイプの規制を受けることになるのである。

金融業と証券業の分離は上記の点を強く反映した規制である。証券業務に係わるリスクは、決済システムの担い手たる銀行の安定性を脅かす可能性がある。銀行業と証券業および銀行業と信託業の分離に関してはさらに次の二つの観点を指摘することができる。一つは金融業それ自体の産業政策である。これは我が国の昭和20年代においては、金融業の中で証券業及び信託業は幼稚産業の部類に属し、これらを発展させるためには、それぞれの業界の保護としての参入規制を必要としたという考え方である。第二は銀行がこれらの業務を兼営することに伴う利益相反の問題である。これは預金者と投資家ないし預金者と信託受益者の利害が対立する可能性の高さを指摘するものである。利益相反の具体例としては、大恐慌時の経験において、銀行が証券業務を兼営していたために、不良な社債を投資家に売却することによって不良貸出を回収するなどの、インサイド情報の不公正な利用が行われたというようなことがとりあげられる。

我が国特有の業務分野規制である長期貸出や中小企業貸出への専門化に関して若干触れておく。これらの規制は金融業の性質それ自体に根ざしたものというよりも、むしろ産業政策や社会政策との関連でその必要性が議論されることが多い。経済発展と金融システムの関わりについては、論者の完全な意見の一致は得られないであろうが、経済成長の初期における長期資金不足の解消や中小企業育成のための円滑なファイナンスなどの必要性については議論の余地はないであろう。そして少なくともそのような点が上記の規制の理由の一つになっていたことは否定しえないものと思われる。本論の範囲を超えるものであるが、このような点については公的金融の機能をも併せて考察する必要があろう。

しかしながら業界保護や産業政策が次第にその意義を失い、コンピューターや通信部門における技術革新や金融の国際化・金利自由化などの中での業務分野規制の非効率性が目立ち始めるに至り、我が国の業務分野規制も見直しが求められるようになった。ところが金融業の自由化は危険性を持つことも見逃すことはできない。例えば近年の米国における銀行倒産の急増の事実を看過することはできない。このような状況において、米国では金融自由化の行き過ぎが指摘されるようになり、信用秩序維持の観点からの規制体系を再構築しようとする金融のリレギュレーションの動きが生じてきたのである。

ただしリレギューレーションといっても従来の規制体系に固執することでなく、時代に即応した新しいタイプの規制を中心とした規制体系の整理がすすめられる方向にある。その目的は効率性を保持しつつ信用秩序を維持することである。このとき中心となる規制には二つの種類がある。一つは預金保険を中心とした公的セーフティネットであり、今一つは競争を直接に制限しないバランスシート規制である。そしてこのバランスシート規制の中でもとりわけ重視されているのが、銀行業に対する自己資本比率規制である。自己資本比率規制は銀行の負債側および資産側の戦略を制限することによって、事前的に個々の銀行のリスクの拡大を防止することを狙いとする。また預金保険制度は事後的に預金を保証することによって、個別銀行の倒産と信用秩序の安定性を切り離し、銀行業の効率性と信用秩序維持の両立を図ることが期待される制度である。

本論の目的は以上のような状況をふまえて、我が国の金融業の規制体系の再検討に役立つ理論的・実証的分析を行うことである。本論では、預金保険制度を中心とした公的セーフティネットの在り方や、銀行業の自己資本比率規制の在り方およびそれらの効果などのリレギュレーションの側面と、業務分野規制の緩和に関してのディレギュレーションの側面の両方を取り扱う。それぞれの側面は、現在の金融業の規制体系見直しの両論として理解されねばならず、バランスのとれた規制体系を模索していかねばならないからである。

第1部(第2章からなる)では、リレギュレーションの中でも事後的規制すなわち公的セーフティーネットの分析が行われている。信用秩序維持が銀行制度がその機能を果たすための大前提であると考えられるからである。

第2部(第3、4、5章からなる)では、リレギュレーションの中の事前的規制の中心として近年注目されている自己資本比率規制の諸効果を取り扱う。

第3部(第6、7、8章からなる)では、現在わが国のディレギュレーションの最も中心的な問題である業務分野規制に関する分析を行う。その中でもエコノミーズ・オブ・スコープと利益相反に焦点をあてる。現在これらの概念は、我が国の業務分野規制の在り方を検討していく上で、最も重要なテーマとなっているからである。

各章の内容は以下の通りである。

第2章の「セーフティネット」では、セーフティネットで最も透明度の高い形態である預金保険制度の分析を行う。まず米国の預金保険制度を主として念頭においたかたちで議論を行い、セーフティネットの提供にかかわる問題点を明らかにする。その上で、制度革命案の検討と合わせて、それらの日本の現状への含意を探る。

第3章の「資本構成と債権譲渡」では、銀行業の自己資本比率規制が銀行行動に及ぼす効果を理論的に分析する。とりわけ銀行業のリスクに及ぼす効果と、自己資本比率規制の強化によって助長されるオフバランス取引の意義に焦点をあてる。

第4章の「銀行自己資本比率規制の実体経済への影響」では、自己資本比率規制強化の間接的な経済効果として、企業の資本コストに及ぼす効果を理論的に分析し、若干のシミュレーションを試みる。自己資本比率規制は銀行業のリスク管理に主要な目的を持つが、その実体経済への効果ないしは効率性からの評価も重要だからである。

第5章の「銀行業の資本コスト」において、銀行の資金調達力の変遷を探るため、銀行業の資本コストを計測し、業態別・銀行別の差異を明らかにする。さらに日米銀行間の比較を行う。

第6章の「エコノミーズ・オブ・スコープと含み益」において、含み益を考慮して銀行業の費用関数の計測を行い、エコノミーズ・オブ・スコープおよびエコノミーズ・オブ・スケールの有無を検討し、業務分野規制緩和のひとつの根拠を提示する。

第7章の「業務分野規制緩和の厚生効果」では、一般的な理論モデルを用いて業務分野規制が、金融機関と顧客に及ぼす影響を経済厚生の観点から分析する。ここではエコノミーズ・オブ・スコープおよびエコノミーズ・オブ・スケールと業務分野規制の厚生効果との関係に焦点が当てられる。

第8章の「金融業における利益相反問題と規制の効果」において、銀行業と証券業の分離に関して重要な根拠とされている利益相反問題を理論的に分析する。銀行・証券が分離された制度とユニバーサルバンキング制度を利用者の厚生の観点から比較する。

なお、本報告のうち、第2章と第3章は、池尾和人が経済企画庁とPennsylvania大学における研究をもとに執筆したものである。


全文の構成

  1. 要旨別ウィンドウで開きます。(PDF形式 400 KB)
    1. 1ページ
      序章
  2. 第I部
    1. 5ページ
      第2章 セーフティ・ネット
      1. 5ページ
        はじめに
      2. 5ページ
        1 預金保険制度
      3. 11ページ
        2 市場規律と預金保険
      4. 15ページ
        3 オプションとしての預金保険
      5. 25ページ
        4 改革の諸構想
  3. 第II部
    1. 31ページ
      第3章 資本構成と債権譲渡
      1. 31ページ
        1 自己資本比率規制
      2. 36ページ
        2 資本規制と銀行行動
      3. 44ページ
        3 ローン・セール
    2. 53ページ
      第4章 銀行自己資本比率規制の実体経済効果
      1. 53ページ
        1 はじめに
      2. 54ページ
        2 銀行株を考慮した資産市場の一般均衡モデル
      3. 57ページ
        3 シミュレーション分析
      4. 61ページ
        4 結びに代えて
    3. 64ページ
      1. 64ページ
        1 はじめに
      2. 64ページ
        2 計測方法
      3. 66ページ
        3 計測結果
  4. 第III部
    1. 83ページ
      第6章 銀行業のEconomies of Scopeと含み益
      1. 83ページ
        1 はじめに
      2. 84ページ
        2 銀行の費用関数計測に際する理論的背景
      3. 86ページ
        3 銀行業の生産構造
      4. 88ページ
        4 実証分析の方法
      5. 90ページ
        5 計測結果別ウィンドウで開きます。 (PDF形式 468 KB)
      6. 106ページ
        6 結びに代えて
    2. 115ページ
      1. 115ページ
        1 はじめに
      2. 116ページ
        2 金融業の生産物と市場構造
      3. 117ページ
        3 業務分野規制と金融機関の行動
      4. 118ページ
        4 業務分野規制と厚生効果
      5. 125ページ
        5 結びに代えて
    3. 127ページ
      第8章 金融業における利益相反問題と規制の効果
      1. 127ページ
        1 はじめに
      2. 127ページ
        2 利益相反の概念
      3. 128ページ
        3 基本モデル
      4. 129ページ
        4 業務分野規制における均衡
      5. 130ページ
        5 ユニバーサルバンキング制度における均衡
      6. 133ページ
        6 厚生の観点からの制度比較およびそのインプリケーション
      7. 135ページ
        7 理論モデルからの含意
    4. 137ページ
      第9章 まとめ
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