経済分析第164号
東アジアリンクモデルの構築とシミュレーション分析

平成14年4月
  • 伴 金美(内閣府経済社会総合研究所客員主任研究官、大阪大学大学院経済学研究科教授)
  • 渡邊 清實(同元主任研究官、タイ国家経済社会開発庁)
  • 松谷 萬太郎(同上席主任研究官付)
  • 中村 勝克(同元任期付研究員、福島大学経済学部助教授)
  • 新谷 元嗣(同客員研究員、慶應義塾大学商学部専任講師)
  • 井原 剛志(同元経済社会研究調査員、四国電力)
  • 川出 真清(同部外協力者、東京大学大学院院生)
  • 竹田 智哉(同部外協力者、筑波大学大学院院生)

(要旨)

1.モデル構築の背景

1990年代の日本経済は、バブル崩壊と円高という資産価格の大きな変動の影響を受けて様々な問題に直面してきた。特に、1997年から1998年にかけての日本経済の苦境は、その原因の究明を含めて興味深い議論を引き起こしている。ところが、2002年の現在においても、再び同じ状況が繰り返されようとしている。

日本経済は1995年に急速な円高が進行し、4月に1ドル80円を突破する水準に達した。円高の進行は、政府による景気刺激政策を誘発し、その効果もあって1996年の日本経済は3.4%の高い成長をとげることができた。このような円高不況からの脱却が実現しつつあることで、財政再建を推進する方向に転換した。1997年4月の消費税率の引き上げと9月の医療制度改革は、前年度に先行実施された所得税の減税に次ぐものであり、景気回復を実現して財政再建を遂行するという道筋に沿ったものであった。しかし、同年7月にタイの通貨危機が深刻化し、それがアジア全体に波及する可能性が取り沙汰される中で、10月には日本の金融システムに対する国際的な信頼が揺らぐことになった。いわゆる「ジャパンプレミア」が発生し、国際的金融市場での資金調達が困難になることで大型金融機関の経営破綻が相次いだ。1998年に入ってからは、アジア向けの輸出が急速に落ち込むことで、国内需要も冷え込み深刻な景気後退を経験した。

この間、東アジア経済も大きな危機に直面した。1996年までの東アジア諸国は、世界経済の牽引役として大きな役割を果たしてきた。日本や欧米諸国は積極的に東アジア地域に直接投資や証券投資を行うことで生産拠点を形成するとともに、高い成長は輸出市場としても魅力的であった。しかし、その一方で、東アジアの高い成長を牽引してきた資本流入が、資産価格の高騰を引き起こし、収益率や輸出競争力の低下などが生じていた。1997年7月のタイ通貨危機は、東アジアへの期待感を一掃し、資本流失による流動性危機と大幅な通貨下落を引き起こした。

本研究の目的は、1995年から1998年のマクロ経済の変動を分析するためのマクロ経済モデルを、世界的な枠組みの中で構築しようとするものである。1995年に遡るのは、当時円高が急速に進み、4月には1ドル80円を突破する水準まで上昇したが、それがアジア経済にバブル現象をもたらし、結果において、アジア危機を深刻化させた可能性が指摘されているからである。同時に、期待形成が大きな役割を果たす株式・地価・為替レートなどの資産価格の変動が、経済に大きな影響をあたえており、そのメカニズムをモデル化する必要性が高まったことによる。

2.Forward Looking型世界経済モデルの構築

内閣府経済社会総合研究所は、経済企画庁経済研究所時代にマクロ経済政策の国際的な波及効果を分析する目的で世界経済モデルを構築し、その成果を日本だけでなく世界に広く公表してきた。その経験を踏まえつつ、今回のモデルの構築において最も重視したのは、「期待形成とリスクの変動」をモデルに明示的に取り入れ、それらが経済に与える影響を分析するためのツールを提供することにある。このようなモデルはForward Looking型モデルとよばれるものであるが、IMFなどの国際機関だけでなく、FRBやEU委員会などの政策を実施する機関においても開発が進められ、マクロ経済政策を評価するためのツールとして標準的に利用されている。

Forward Looking型モデルに対して、これまでの伝統的なモデルの主流はBackward Lookingモデルとよばれている。本研究が前者を選択したのは、1995年から1998年のマクロ経済の変動を分析するためには、Forward Looking型モデルが必要であるとの判断による。例えば、1996年の日本経済は3.4%の高い伸びを示したが、1995年の円高に対する政策に効果があったというよりも、1997年4月に消費税率の引き上げが事前に分かっており、住宅投資や耐久消費財を中心とする消費支出が前倒しされて好調であったことが大きい。すなわち、1996年およびそれ以前に実施された政策が功を奏したのではなく、1997年4に消費税率を引き上げるという決定が需要を喚起したのである。さらに、最近では、経済環境が悪化すると消費が最も早く反応する傾向が顕著となり、それが景気後退をさらに拡大する悪循環が指摘されている。Backward Looking型モデルの問題点は、このような将来に実施される政策変更や環境の変化を、システマティックに織り込むことができない。織り込むとすれば、アドホックな方法で定数項修正の手段を用いて行うしかない。

しかし、Forward Looking型モデルの構築には様々な問題と遭遇する。本研究の目的の一つは、解決を必要とする問題を明らかにし、それらがどこまで解決されているかを示すことである。例えば、計算可能なモデルを構築するには、方程式のパラメータが必要となるが、その推定方法として計量経済学的な手法だけでは限界がある。標本数が絶対的に少ない上に、Forward Lookingの対象となる変数の多くは、観測されるデータではない。さらに、Forward Looking型モデルでは、方程式体系について経済理論の枠組みや制約、特に長期的な均衡解の存在条件が重視されるが、推定結果がそれらを満足するものとは限らない。そこで、本研究では、これまで行われてきた計量経済学の実証分析を参考にしつつ、カリブレーション的手法でパラメータを決定している。

本研究は、期待形成とリスクを明示的に取り入れたForward Looking型モデルに基づく世界経済モデルの構築を行うものであるが、日本経済と東アジア経済との密接な関係を考慮して、日本、アメリカ、EU以外に、東アジア諸国については韓国、タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピン、中国と台湾を含めたモデルとなっている。

3.シミュレーション結果の概要

東アジアリンクモデルを用いて、次のようなシミュレーションを行っている。

  • a. 為替レート下落ショック
  • b. 海外資本流出ショック
  • c. 株価下落ショック
  • d. 日本の財政金融政策ショック
  • e. 日本の全要素生産性ショック

シミュレーション結果によれば、円安は日本の国内総生産を押し上げる効果があるが、東アジア諸国の輸出を阻害する。日本の輸入が減ることが第一の理由であるが、東アジア諸国の国際競争力が阻害されることで、日本以外への輸出も減少し、各国の国内総生産は大きく落ち込むことになる。一方、中国元の下落は、円安と同じように韓国やアセアン諸国の輸出を阻害し、国内総生産を引き下げるが、円安と比較すればその効果は小さい。韓国及びアセアン諸国の通貨の下落は、各国の現地通貨建て債務を増加させるが、純輸出が増加することで返済能力が高まり、バランスシート調整は発生せず国内総生産は拡大する。円及び中国元安はアジア通貨危機に先行しているが、東アジア各国に影響を与えた可能性が高い。

通貨の下落は、それ自体としては純輸出を増加させ、国内総生産を拡大させる要因となるが、東アジア通貨危機では、各国は通貨下落と生産の大幅な落ち込みを経験している。シミュレーション結果によれば、東アジア各国の投資が海外資本に大きく依存していたために、通貨危機の際の資本流出が投資を急落させ、それが期待所得や株価を低下させることで国内需要がさらに下落する悪循環に陥る。

株価形成に重要な役割を果たすリスクプレミアの発生は、株価を下落させ、消費や投資に大きな影響を与える。特に、日本と米国の株価下落は両国の輸入を減少させることで、東アジア諸国に深刻な影響を与える。ただ、米国の株価が下落すると日本の株価も大きく下落する伝染効果は、リスクプレミアの依存関係を組み入れないと説明することは困難である。

日本が財政支出を拡大すれば、日本の国内総生産は短期的に増加するが、長期的には民間需要をクラウディングアウトする。なお、財政支出の増加は、円高と物価上昇を引き起こすため、純輸出が減少し、東アジア諸国の国内総生産を増加させる効果がある。一方、マネーサプライの増加は、日本の国内総生産を短期的に増加させるが、長期的には物価が上昇し、生産を拡大する効果は無くなる。マネーサプライの増加は、円安と物価上昇を引き起すが、円安の効果が大きいために、純輸出が増加する。そのため、東アジア諸国の輸出が阻害されることで、各国の国内総生産を減少させる。

全要素生産性の低下による潜在生産能力の低下は、円高と物価高を引き起こす。生産に対しては、短期的には実質賃金が低下し投資の増加で生産が増加するが、長期的には潜在生産力の低下に見合って生産水準は下落する。日本の潜在生産能力の低下は、供給者として日本への輸出が増加できることから、東アジア諸国の生産を増加させる。


全文の構成(PDF形式、 全2ファイル)

  1. 3ページ
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    1. 3ページ
      1. モデル構築の背景
    2. 3ページ
      2. Forward Looking型世界経済モデルの構築
    3. 4ページ
      3. シミュレーション結果の概要
  2. 6ページ
    第1章 東アジアの通貨危機と日本経済
    1. 6ページ
      1.1 はじめに
    2. 8ページ
      1.2 東アジア経済のパフォーマンス
    3. 12ページ
      1.3 通貨危機に見舞われた東アジア経済
    4. 18ページ
      1.4 東アジアの通貨危機と日本経済
  3. 23ページ
    第2章 Forward Looking型マクロ計量モデル:展望
    1. 23ページ
      2.1 Forward Looking型マクロ計量モデル
    2. 27ページ
      2.2 Mckibbin-Sachs(MSG)グローバルモデル
    3. 31ページ
      2.3 MULTIMOD:IMF世界モデル
    4. 35ページ
      2.4 NIGEM:全英経済研究所世界モデル
    5. 39ページ
      2.5 QUEST:EU委員会世界モデル
    6. 41ページ
      2.6 FRB/GLOBAL:米国FRB世界モデル
    7. 45ページ
      2.7 日本の現状
  4. 48ページ
    第3章 東アジアリンクモデルの構築
    1. 48ページ
      3.1 東アジアリンクモデルに含まれる国・地域
    2. 49ページ
      3.2 モデルのパラメータの決定について
    3. 50ページ
      3.3 ライフサイクル恒常所得仮説に基づく消費関数
    4. 53ページ
      3.4 トービンのq理論に基づく設備投資関数
    5. 57ページ
      3.5 価格・賃金の決定おける期待の役割
    6. 60ページ
      3.6 金融市場と為替レート
    7. 61ページ
      3.7 経常収支と貿易連関
  5. 65ページ
    第4章 Forward Looking型マクロ計量モデルの解法
    1. 65ページ
      4.1 長期的定常均衡の存在
    2. 68ページ
      4.2 線形Forward Looking型マクロ計量モデルの解
    3. 70ページ
      4.3 Fair and Taylor法
    4. 73ページ
      4.4 スタック・タイム法
    5. 76ページ
      4.5 終端条件と解法実験
  6. 82ページ
    第5章 東アジアリンクモデルによるシミュレーション分析
    1. 82ページ
      5.1 シミュレーションの概要
    2. 82ページ
      5.2 為替レート下落ショック
    3. 85ページ
      5.3 海外資本流出ショック
    4. 86ページ
      5.4 株価下落ショック
    5. 88ページ
      5.5 日本の財政金融政策ショック
    6. 90ページ
      5.6 日本の全要素生産性下落ショック
    7. 91ページ
      5.7 まとめ
  7. 127ページ
    附属資料別ウィンドウで開きます。(PDF形式 205 KB)
    1. 127ページ
      変数および定義一覧
    2. 138ページ
      統計一覧
    3. 139ページ
      方程式一覧
  8. 197ページ
    ワークショップ(平成14年1月22日開催)の概要
  9. 205ページ
    ABSTRACT OF AN EAST ASIAN MACROECONOMETRIC LINK MODEL
  • 〒100-8914
    東京都千代田区永田町1-6-1 中央合同庁舎第8号館
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