経済分析第165号
国際資本移動と通貨危機:アジア危機の再評価

平成14年5月
  • 高木 信二(内閣府経済社会総合研究所客員主任研究官、大阪大学大学院経済学研究科教授)
  • 横川 和男(同客員研究員、東北大学大学院国際文化研究科教授)
  • 澁谷 浩(同客員研究員、小樽商科大学商学部教授)
  • 宮尾 龍蔵(同客員研究員、神戸大学経済経営研究所助教授)
  • 澤田 康幸(同客員研究員、東京大学大学院総合文化研究科助教授)
  • 浦沢 聡士(同研究官)
  • 木下 義徳(同経済社会研究調査員、八十二銀行)
  • 橋川 健祥(同元経済社会研究調査員、中央三井信託銀行)
  • 田中 英俊(同元委嘱調査員、八十二銀行)
  • 真栄田 均(同元委嘱調査員、琉球銀行)

(要旨)

1.研究の背景

1997年後半、タイを起点に始まった通貨危機は、政策、理論の両面で、20世紀後期における最大級の経済事象の一つとなった。1980年代から1990年代にかけて、東アジアの新興市場経済は規律あるマクロ経済政策、安定的な対米ドル為替政策、内外金融取引の自由化の下、先進諸国からの多額の資本流入によって、高度の経済成長を遂げた。しかし、このような資本流入に裏付けられた高度成長は恒久的なものではなかった。タイでは、資産インフレの崩壊、金融システムの脆弱性、輸出増加の陰りなどのマイナス面が明らかになると、通貨バーツに対する投機が起こり、結局、1997年7月、当局はバーツの急落を許容することによって、通貨危機が勃発することとなった。さらに、厳密な因果関係は明らかでないが、タイにおける危機は、翌年初めにかけて、マレーシア、韓国、インドネシアを含む東アジアの各国にも伝染し、「アジア通貨危機」となったのである。

アジア通貨危機が大きな関心事となったのは、それが各国経済及び世界経済に与えた負の影響だけによるものではない。それは、むしろ、このような危機が、政策運営およびパフォーマンスの面で、良好な基礎的要因(ファンダメンタルズ)に支えられていたかに見えた経済で起こったことにある。しかし、その後の評価では、通貨危機に至る期間において、東アジア諸国の経済政策が必ずしも適格であったとは言えず、政策面におけるアジア通貨危機の意義は、個別の通貨と個別の経済政策主権が存在する中で、新興市場国が国際的な経済統合のプロセスを管理する困難さにあったと言える。

一方、理論面において、アジア通貨危機は通貨危機モデルの構築を活発化させた。元来、通貨危機モデルの原型となるものは、1980年代の南米の経常収支危機や1990年代前半の欧州通貨制度における危機を説明するために構築されていたのであるが、アジア危機を契機に、文献は飛躍的な発展を経験した。ここでの中心的問題は、そもそも通貨危機とは、「第一世代」モデルと呼ばれるファンダメンタルズによって起こる不可避的なものなのか、それとも、「第二世代」モデルと呼ばれる市場の期待や群集行動によって不必要に起こされる自己実現的なものなのかということであった。

2.本書の概要

本書は、これらの政策的、理論的観点を踏まえ、アジア通貨危機(ひいては、通貨危機全般)の諸側面を分析する。経済政策面では、資本流入の持続性(第2章)、資本流入の金融為替政策に対する内生性(資本流入に対し金融為替政策が果した役割)(第3章)、資本流入における為替リスク回避の可能性(第4章)という資本流入に関する三つのテーマを分析する。モデル面では、リアルな観点から、通貨危機を新興市場経済における経済発展に内在する複数均衡間の移動として捕らえるモデル(第1章)、通貨危機の新たな要因を示唆するため、第一世代モデルに通貨代替を組み入れたモデル(第5章)を提唱する。このうち、第1章、第4章は理論的考察を主眼とした分析、第2章、第3章は実証に重きを置いた分析、第5章は理論、実証の両面からなる分析である。以下、章ごとに、おおまかな内容を要約する。

第1章「経済発展と資本逃避」では、マネタリーな通貨危機モデルの枠組みを離れ、リアルな観点から、複数均衡の可能性を経済発展に内在する本質的な問題として分析する。すなわち、この章では、経済発展の初期段階において、各種の投資が相互補完的であり、生産が資本に関して収穫逓増的であることから、国際投資家の最適投資行動に戦略的補完関係が生まれる点に着目する。この戦略的補完関係の結果、経済発展のプロセスには、高資本均衡と低資本均衡という二つの安定均衡が存在することが明らかにされる。この二つの均衡間の移動が、経済離陸と資本逃避であり、この意味で、アジア通貨危機は東アジアの奇跡と呼ばれた目覚しい経済発展と表裏一体の関係にあった。特に経済離陸を達成したばかりの新興経済は、資本逃避が発生しやすい状況にあるといえる。しかしながら、例えば、先進諸国のように、経済発展が進み、資本ストックの蓄積とともに投資が相互補完的でなくなると、複数均衡は存在しなくなる。したがって、そのような資本ストック水準に至るまで、政府は経済発展にとって重要な役割を果たすことができるが、その後は、介入政策の合理性は消滅する。

第2章「アジア危機の発生要因:対外借入制約に基づく再検証」では、最新の時系列的手法を用い、1970年代後半から通貨危機に至る期間、タイ、インドネシア、韓国における資本流入に関して対外借入制約が成立していたかどうかを検証する。ここでの基本的立場は、対外借入制約の成立は長期的な支払い可能性(solvency)を意味し、通貨危機がそのような状況下で起こったのであれば、それはファンダメンタル以外の要因によるという視点である。すなわち、対外借入制約の成立・不成立によって、危機を識別しようという観点である。実証分析の結果、通貨危機勃発時点、タイが対外支払い不能になっていた一方、インドネシア、韓国では、借入制約が満たされていたことが示される。すなわち、タイ危機はファンダメンタルズに基づく第一世代モデル、インドネシア、韓国はより自己実現的な第二世代モデルによって説明可能であることが示唆される。これは、危機がタイを起点に始まり、国際投資家による期待の変化を通し、インドネシア、韓国に伝染したという理解と整合的である。

第3章「金融為替政策と資本流入」では、通貨危機に至るまでの東アジア4カ国(インドネシア、韓国、マレーシア、タイ)において、資本移動の政策的な内生性が分析される。すなわち、1980年代後半から1997年の通貨危機に至るまで、各国は米ドルに対して安定的な為替政策を維持すると同時に、様々な不胎化措置によって、資本流入に伴う外貨準備の増加が通貨供給量に与える影響を相殺しようとした。実証分析によれば、以下の結果が導かれる。(1)外貨準備と通貨供給量との間に統計的に有意な関係は見られず、不胎化はおおむね有効であった。(2)東アジア通貨のリスクプレミアムは大きく、対ドル市場期待為替レートは安定的ではなかった。すなわち、東アジア通貨建て資産とドル建て資産は不完全代替であり、不胎化は有効であったが、それと同時に、リスクプレミアムの増加を通して金利差を拡げ、資本流入を増大させた。この意味で、通貨危機に先立つ資本流入の重要な誘因はドルペッグ政策ではなく、それに付随した不胎化政策であったと言えよう。

第4章「資本自由化の形態と為替リスク負担」は、資本流入における為替リスクの問題を理論的、数値解析的に取り上げる。従来、東アジア諸国が為替リスクのカバーをせずに、米ドル建ての短期債務を蓄積したことが通貨危機の悪影響を増大させたという発言がなされてきた。しかし、そもそも、国際資本市場における均衡として、為替リスクのカバーをすることは可能なのか。本章の基本的な認識は、先渡ヘッジとは外貨建て負債と国内通貨立て負債を交換することに他ならず、国内経済主体が先渡ヘッジによって為替リスクを回避できたとしても、国際金融市場からリスクが消滅したことにはならない、ということである。本章では、この認識に立ち、対外資本取引の自由化と為替リスク負担の問題を1期の単純な資産選択モデルおよび数値例を用いて検討する。

最後に、第5章「通貨代替と通貨危機:理論と実証」では、近年、「通貨代替の高まり(家計の実質貨幣残高に占める外国通貨のシェアの高まりと定義)」と「名目為替レートの減価」が同時性を持っていることを踏まえ、第一世代モデルに通貨代替を導入した枠組みを構築する。本章の分析から、以下の点が明らかにされる。(1)異時点間最適化モデルの枠組みでは、物価調整速度の如何に関わらず、為替レートの減価は通貨代替を促す。(2)通貨代替の下では、拡張的な政策が採用されていない状況でも、通貨危機が誘発されることがありうる。さらに、(3)これらの理論的結果は、1970年、1975年、1980年、1985年のPenn World Tables の個票データに基づく国際比較分析によって、おおむねその妥当性が確認される。すなわち、為替レートの減価バイアスと通貨代替の程度の間には強い正の相関関係があり、通貨代替の程度と経済発展の間には負の関係が見られる。この分析から、経済統合が通貨代替を伴う限りにおいて、1990年代まさに西欧諸国が経験したように、通貨危機の可能性が経済統合とともに増す可能性が示唆される。


全文の構成(PDF形式、 全2ファイル)

  1. 3ページ
    本研究の概要別ウィンドウで開きます。(PDF形式 403 KB)
  2. 11ページ
    第1章 経済発展と資本逃避
    1. 11ページ
      1-1.はじめに
    2. 14ページ
      1-2.最適国際投資と複数ナッシュ均衡
    3. 19ページ
      1-3.収益要因とリスク要因の比較静学分析
    4. 20ページ
      1-4.経済離陸と資本逃避のメカニズム
    5. 22ページ
      1-5.政策インプリケーション
    6. 24ページ
      1-6.まとめ
  3. 39ページ
    第2章 アジア危機の発生要因-対外借入制約に基づく再検証
    1. 39ページ
      2-1.はじめに
    2. 40ページ
      2-2.アジア危機の発生要因
    3. 42ページ
      2-3.実証分析のフレームワーク
    4. 44ページ
      2-4.実証分析
    5. 46ページ
      2-5.まとめ
  4. 60ページ
    第3章 金融為替政策と資本流入
    1. 60ページ
      3-1.はじめに
    2. 61ページ
      3-2.通貨危機に至る背景-資本流入、不胎化政策、内外金利差
    3. 62ページ
      3-3.不胎化政策は有効であったか?
    4. 65ページ
      3-4.ドルペッグ政策は為替期待を安定化させたか?
    5. 69ページ
      3-5.まとめ
    6. 70ページ
      補論 データの説明
  5. 82ページ
    第4章 資本自由化の形態と為替リスク負担
    1. 82ページ
      4-1.はじめに
    2. 83ページ
      4-2.国内投資家の資産選択モデル
    3. 86ページ
      4-3.完全資本規制下の均衡
    4. 87ページ
      4-4.自国通貨建ての貸し借りによる資本自由化
    5. 89ページ
      4-5.外国通貨建て貸し借りによる資本移動
    6. 90ページ
      4-6.資本の完全自由化
    7. 91ページ
      4-7.数値例による例示
    8. 94ページ
      4-8.まとめ
    9. 95ページ
      補論 数値例の前提について
  6. 104ページ
    1. 104ページ
      5-1.はじめに
    2. 106ページ
      5-2.通貨危機の諸議論における本章の位置づけ
    3. 109ページ
      5-3.異時点間資源配分における通貨代替のモデル
    4. 111ページ
      5-4.通貨代替によって拡張された通貨危機の第1世代モデル
    5. 114ページ
      5-5.通貨選択と通貨切り下げに関する実証分析
    6. 116ページ
      5-6.まとめ
    7. 117ページ
      補論A 一階の条件の導出
    8. 118ページ
      補論B 通貨代替変数の導出
    9. 118ページ
      補論C 定理1の証明
  7. 130ページ
    ワークショップにおける主要コメント
  8. 137ページ
    図表索引
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