ESRI Discussion Paper Series No.2
ライフサイクル/恒常所得仮説と予備的貯蓄:理論的含意と実証上の問題点

2001年3月
  • 石原 秀彦(専修大学経済学部講師、内閣府経済社会総合研究所客員研究員)

要旨

消費がどのような要因によって決定されるのか,という問題は,それ自身の重要性のほか,マクロ経済動向や財政・金融政策との関連においても,大きな関心を集めている.本論文では,その代表的な理論であるライフサイクル/恒常所得仮説について,消費の時系列上の関係として定式化した有名なHall (1979)以降の理論的研究を,特に「予備的貯蓄」との関連で概観したものである.論文の構成は,以下の通りである.

第1節は導入部として,恒常所得仮説が提唱された背景と,Friedman (1956)による恒常所得仮説の概略を紹介し,Hall (1978)以前と以後のアプローチの違いについて簡単に指摘している.

第2節では,Flavin (1981)に従って,恒常所得の適切な定義を,動学的な効用最大化を行う家計の,時間を通じた予算制約式に基づいて行う.この定義が,元々Hicks (1946)の議論に基づいていること,また,この定義を労働所得や利子率に不確実性がある場合に拡張する場合の注意点についても議論する.さらに,恒常所得仮説の下では,消費の時系列がランダム・ウォークに従うことも示される.

第3節では,恒常所得仮説を動学的な効用最大化を行う家計の合理的行動として導く標準的な議論,いわゆる「確実性等価」モデルについて議論する.その際,公債発行に関する中立命題や,「消費の平準化」の結果一時的所得増加に対する限界消費性向が1より厳密に小さいこと,「予備的貯蓄」の直感的意味などについても簡単な議論を行う.

第4節では,前節で導出した確実性等価モデルに対して,実証研究で明らかになった2つの問題点,「過剰感応」と「過剰平滑」について議論する.確実性等価モデルの下では消費の時系列はランダム・ウォークするため,(1)将来消費の予想について,今期の消費の実現値以外の情報は何ら追加的な予測力を持たない,(2)消費の分散は,恒常所得の分散に等しくなる,という2つの性質を持つ.Flavin (1981)は(1)の性質について実証研究を行い,(1’)1期前の所得の実現値が,将来消費の予想について説明力を持つ,という結果を得た.この現象を「過剰感応」と呼ぶ.Deaton (1987)は(2)の性質について実証研究を行い,(2’)消費の分散は恒常所得の分散よりも厳密に小さい,という結果を得た.この現象を「過剰平滑」と呼ぶ.

第5節では,確実性等価モデルが理論的に特定の仮定に依存し,実証的にも矛盾する結果が得られたことを受けて,試みられた様々な拡張のいくつかを紹介する.取り上げられる拡張は,(1)選好ショックの導入,(2)持続的な消費(耐久財消費),(3)消費の習慣性(効用関数の非加法性),(4)流動性制約の存在,(5)労働所得における複数の異なる変動要因,である.第5節の結論として,以上の5つの拡張は,消費の時系列の性質に,無視できない変化をもたらし,過剰感応と過剰平滑のうちいずれか一つを説明できる場合があるが,両者を同時に説明することはできないことが示される.

第6節では,予備的貯蓄の問題を取り上げる.第6節は,全部で7つの部分に分けられる.6.1節では,予備的貯蓄の直感的な意味について,瞬時効用関数の3階微分との関係が簡単な例を用いて説明される.6.2節では,予備的貯蓄動機の指標となる「慎重度」に関するKimball (1990)の議論を紹介し,瞬時効用関数の3階微分を2階微分で割った「絶対的慎重度」が大きいほど,予備的貯蓄も大きくなるという意味で,「絶対的慎重度」が予備的貯蓄の大きさを表す指標となることを明らかにする.

6.3,6.4節では,Caballero (1990)に従って,瞬時効用関数が絶対的危険回避度一定(CARA)型であるような,無限期間の効用最大化を行う家計の消費について議論する.労働所得が定常な場合,CARA型効用関数を持つ家計の消費は,ドリフト付きのマルチンゲールとなるが,これは,予備的貯蓄の結果生じるドリフト項以外,確実性等価モデルと同じである.労働所得に分散不均一の問題がある場合には,労働所得の不確実性の増大は,将来消費を増加させることが示され,また,労働所得のイノヴェーションとその分散のイノヴェーションとの相関によって,過剰感応か過剰平滑の一方が説明できる可能性がある.

6.5節では,効用関数の非加法性を近似する目的で,消費の調整にずれが生じる,つまり,その時点での最適な消費量と実際の消費量が異なるケースを考察する.そして,調整のずれを導入した場合でも,所得の不確実性と消費の階差との正の相関,という性質は維持されることが示される.

6.6節では,Caroll (1992,1997)などによって示された「緩衝在庫」(buffer stock)モデルを紹介する.本論文では,簡単化のため,相対的危険回避度一定(CRRA)型の瞬時効用関数を仮定する.この仮定の下で,各時点での消費量が,その時点での非人的資産の保有量(その時点で発生した労働所得を含む)の厳密な凹関数となり,非人的資産量がゼロに収束するとき,消費量もまたゼロに収束することが示される.この消費関数の性質より,家計は,非人的資産を労働所得の変動の「緩衝材」として,その「適正在庫水準」を維持するように消費を決定することが示される.さらに,この「緩衝在庫」モデルを平均値の周辺で線形近似することにより,将来の労働所得の増加に対する限界消費性向が小さい場合には,過剰感応と過剰平滑が同時に説明できることが示される.

6.7節では,予備的貯蓄に関する過去の実証研究がいくつか紹介される.これらの多くは定式化に問題があり,特にDynan (1993)における,オイラー方程式の近似で得られた推計式は,消費の分散自体が内生的に決定され,その時点での非人的資産保有額と正の相関を持つことが無視されているため,推計結果に大きなバイアスの生じることが示される.

キーワード: ライフサイクル/恒常所得仮説,予備的貯蓄,過剰感応,過剰平滑,緩衝在庫モデル

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全文の構成

  1. 1ページ
    Abstract
  2. 1ページ
    1.ライフサイクル/恒常所得仮説の基本的な考え方
    1. 1ページ
      1.1.ケインズ型消費関数の問題点
    2. 1ページ
      1.2.家計行動の動学的な側面
    3. 1ページ
      1.3.恒常所得仮説
  3. 7ページ
    2.恒常所得の定義
    1. 7ページ
      2.1.完全予見の場合
    2. 8ページ
      2.2.不確実性が存在する場合
  4. 9ページ
    3.恒常所得仮説の標準的定式化
    1. 9ページ
      3.1 家計の効用最大化と恒常所得
    2. 11ページ
      3.2 確実性等価(certainty equivalence)モデル (Hll(1978), Flavin(1981))
  5. 11ページ
    4.確実性等価モデルに対する実証上の問題点
    1. 11ページ
      4.1.過剰感応(escess sensitivity)
    2. 12ページ
      4.2.過剰平滑(excess smoothness)
  6. 13ページ
    5.理論モデルの拡張
    1. 13ページ
      5.1.選考ショックが存在する場合(Hayashi(1985))
    2. 14ページ
      5.2.持続的な消費(耐久財消費)(Mankiw(1982), Hayashi(1985))
    3. 15ページ
      5.3.消費の習慣性(Habit formation)
    4. 16ページ
      5.4.流動性制約の存在(Hayashi(1985)ほか)
    5. 17ページ
      5.5.労働所得における複数の異なる変動要因
  7. 18ページ
    6.予備的貯蓄
    1. 18ページ
      6.1.予備的貯蓄の直観的な意味
    2. 19ページ
      6.2.「慎重度」(prudence measure)の理論
    3. 21ページ
      6.3.無限期間の効用最大化と予備的貯蓄(Cabllero(1990))
    4. 22ページ
      6.4.不確実性の変化と予備的貯蓄(Caballero(1990))
    5. 23ページ
      6.5.「調整のずれ」と予備的貯蓄
    6. 25ページ
      6.6.相対的危険回避度一定(CRRA)型効用関数と「緩衝在庫」(buffer stok)モデル
    7. 32ページ
      6.7.予備的貯蓄に関する実証研究
  8. 36ページ
    7.おわりに
  9. 36ページ
    補論
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