ESRI Discussion Paper Series No.86
貿易契約通貨の決定メカニズム-東アジアにおける「円の国際化」の視点から

2004年2月
  • 大野 正智(福島大学経済学部助教授)
  • 福田 慎一(東京大学大学院経済学研究科教授)

要旨

1.背景

近年、国際取引において円がどれだけ使用され、かつ保有されているかという問題は、「円の国際化」の問題として多くの関心を呼び、さまざまな議論がなされてきた。昨年は、貿易取引における円建て取引の比率は上昇し、「円の国際化」の進展に対する期待も少なくない。しかし、他の先進諸国の通貨と比較した場合、円の国際的地位は依然としてそれほど大きいものではない。特に、円の国際化の問題を、対東アジア貿易という観点から整理した場合、日本と東アジア諸国との密接な経済的結びつきにもかかわらず、東アジアにおける日本円の果たす役割は米ドルと比べて依然として小さなものにとどまってきた。また、東アジア諸国では、アメリカが貿易相手国でない場合であっても、輸出価格は対米ドル為替レートに影響を受けて決定されることが多い。これは、標準的な経済理論からみると、非常に不自然な現象であると考えられている。

2.目的

本稿の目的は、国際貿易における契約通貨の決定メカニズムを理論的・実証的に検証することによって東アジアにおいても米ドルが支配的である原因を分析すると同時に、東アジアにおける「円の国際化」の可能性に関して考察することにあることにある。市場別価格設定行動に代表される従来の貿易理論では、輸出価格は輸出国と輸入国との為替レートに影響を受けて決定されるものと考えられてきた。しかし、発展途上国の貿易では、アメリカが貿易相手国でない場合であっても、輸出価格は対米ドル為替レートに影響を受けて決定されることが多い。特に、東アジア諸国の貿易取引をみると、通貨危機後も、米ドル建ての契約が支配的である。この傾向は、対日貿易に限定した場合でも同じであり、第3国通貨である米ドル建て取引が支配的である一方、円建て取引が進展したという傾向はほとんど観察されない。本稿では、このような問題意識から、国際貿易における契約通貨の決定メカニズムを理論的・実証的に検証し、東アジアにおける「円の国際化」の可能性に関して考察することにある。

3.本稿の特徴

本稿の大きな特徴は、国際貿易において第3国通貨である米ドルが、決済通貨(貿易取引の支払いに使用される通貨)だけでなく、契約通貨(貿易される財の価格が固定される通貨)としても幅広く用いられている原因を考察することにある。これまでの研究では、取引費用の観点から第3国通貨が媒介通貨として国際貿易の決済に用いられるメカニズムを明らかにしている。しかしながら、仮に取引費用の観点から米ドル決済が最適であったとしても、そのことが輸出価格を米ドル建てで固定することが最適であることを意味しない。なぜなら、輸出企業は輸出価格を自国通貨や円建てで契約し、その決済を米ドル建てで行うことは技術的には難しくないからである。したがって、なぜ米ドルが契約通貨として用いられるかという問題は、決済通貨の問題とは異なる視点で分析されるべきものである。

本稿では、まず国際貿易において米ドル建ての決済や契約が支配的である原因を概観したあと、理論パートでは、独占的競争下における企業の市場別価格設定行動の観点から、契約通貨の決定を考察する。同様のフレームワークを使った従来の研究では、契約通貨として自国通貨と現地通貨のどちらかが選択されるケースのみを考察するものが大半であった。しかし、東アジア諸国のような発展途上国の貿易取引では第3国通貨が契約通貨となるケースが一般的であり、それを説明する理論モデルを構築する必要性はきわめて大きい。そこで、理論モデルでは、独占的競争下における輸出企業が、いかなる条件の下で第3国通貨が契約通貨として用いられる可能性を検討し、発展途上国の輸出品のように財の差別化が不十分な財では、協調の失敗の結果として第3国通貨である米ドルが契約通貨として選択されることを明らかにする。

4.実証結果およびその含意

本稿の実証パートでは、韓国やタイの産業別価格指数を使うことによって、理論モデルの結果の妥当性が検証される。はじめに韓国やタイなど東アジア諸国の輸出における決済通貨動向を概観した後、韓国とタイでは多くの産業でその輸出価格が米ドルの為替レートに対する連動性が高いこと、また為替レートに対する連動性を産業別に比較した場合、米ドルとの高い連動性は対日輸出依存度が大きい品目でもみられることを示す。これらの計測結果をもとに、日本の輸入依存度が大きい産業で輸出価格と米ドルとの連動性が高いことが明らかにし、米ドル建て契約が協調の失敗の結果として発生するとした理論モデルと整合的であることが主張される。

本稿から導かれる大きな含意は、財の差別化が小さくかつ日本の輸入依存度が大きい産業で、「協調の失敗」の結果として第3国通貨が契約通貨として選択される可能性があることを示したことである。契約通貨の選択が「協調の失敗」の結果として起こっているのであれば、東アジア諸国の対日貿易で米ドル建ての決済や契約が唯一の選択肢ということではなくなる。特に、米ドル建て決済が多い原因が「協調の失敗」にあり、本来他の通貨で契約・決済されるべき取引まで米ドル建てで取引されているのであればそこには経済厚生上改善の余地が生まれる。東アジア諸国の対日貿易では、少なくともこれまでは、米ドル建ての決済や契約が支配的で、輸出価格の米ドルに対する連動性が高かった。しかし、本稿の結果が正しければ、政策当局の「円の国際化」の取り組みによっては、東アジア諸国の対日貿易において円建ての決済や契約が増加する余地は高いと考えられる。

本文のダウンロード

貿易契約通貨の決定メカニズム-東アジアにおける「円の国際化」の視点から別ウィンドウで開きます。(PDF形式 283 KB)

全文の構成

  1. 1ページ
    1.はじめに
  2. 3ページ
    2.米ドル建契約の意味
    1. 3ページ
      (i) 問題点
    2. 3ページ
      (ii) 米ドル建契約が多い理由:論点整理
  3. 4ページ
    3.契約通貨選択の理論モデル
    1. 4ページ
      (i) モデルの設定
    2. 5ページ
      (ii) ナッシュ均衡
    3. 8ページ
      (iii) CES型効用関数のケース
    4. 10ページ
      (iv) 第3国通貨が選択される条件
  4. 10ページ
    4.貿易取引の決済通貨の動向
    1. 10ページ
      (i) 韓国のケース
    2. 11ページ
      (ii) タイのケース
  5. 12ページ
    5.輸出価格を使った実証分析
    1. 12ページ
      5-1 実証分析の目的・仮説
    2. 13ページ
      5-2 推定方法
  6. 14ページ
    6.韓国の輸出価格
    1. 14ページ
      6-1 輸出価格の推計
      1. 14ページ
        (1) データ
      2. 15ページ
        (2) 推定結果
    2. 15ページ
      6-2 輸出先比率との関係
  7. 17ページ
    7.理論との整合性
  8. 19ページ
    8.タイの輸出価格を使った実証分析
  9. 20ページ
    9.おわりに
  10. 21ページ
    補論1 (7)-(10)式および(11)-(14)式の導出
  11. 22ページ
    補論2 (29)-(34)式の導出
  12. 23ページ
    参考文献
  13. 図表
  • 〒100-8914
    東京都千代田区永田町1-6-1 中央合同庁舎第8号館
  • 電話 03-5253-2111(代表)