経済分析-政策研究の視点シリーズ 第16号
財政赤字の経済分析:中長期的視点からの考察

2000年8月
  • 井堀 利宏(経済企画庁経済研究所客員主任研究官、東京大学大学院経済学研究科教授)
  • 加藤 竜太( 同 客員研究員、滋賀大学経済学部助教授)
  • 中野 英夫( 同 客員研究員、専修大学経済学部助教授)
  • 中里 透  ( 同 客員研究員、上智大学経済学部専任講師)
  • 土居 丈朗( 同 客員研究員、慶應義塾大学経済学部専任講師)
  • 佐藤 正一( 同 研究調整官)

(要旨)

はじめに

財政赤字の経済的な効果については、最近大きな関心が集まっている。1990年代に入ってマクロ経済が低迷する中で、わが国の財政状況は次第に悪化していった。現在ではフローの財政赤字でみてもストックの公債残高でみても、いずれも主要先進諸国中で最悪の水準にある。今後は中長期的に財政赤字の抑制が避けられないとすれば、以下のような点を分析することが有益である。

まず、財政運営が長期的に維持可能かどうかを検証する必要がある。また、急速な高齢化杜会を目前にして、今後の財政再建がマクロ経済にどのような影響を与えるのかを、中長期的な視点で分析することも重要である。さらに、国とともに地方自治体の財政状況も悪化している。公債発行に関する地方自治体特有の制度である起債制限についても、その果たしている役割を再検討する必要があるだろう。あるいは、財政赤字とインフレーションの関係や公債管理政策や金融政策との役割分担も検討課題になってくる。

このように中長期視点から重要と思われる財政赤字に関するいくつかの論点を、わが国のデータに基づきながら実証分析することで、財政赤字の経済的な効果についてより建設的な議論をする際の材料を提供することが、本研究の目的である。

もちろん、財政赤字が拡大したことにはメリットもある。ケインズ的な景気対応政策を採ることで、マクロ経済をある程度安定化させたということも考えられる。さらに、より中長期的な視点に立つと、たとえ財瑛赤字がマクロ経済に何ら影響を与えないとしても、マクロ経済のショックを緩和するように財政赤宇を活用することで、国民の経済厚生が向上する可能性も考えられる。このような財政赤宇のメリットについても、検証する必要がある。

一般的に、財政赤字を積極的に活用しようとする代表的な立場は、景気対抗手段として財政赤字を用いることを主張するケインズ的立場である。すなわち、景気が低迷しているときには財政赤字を拡大させて、公債を増発し、景気を刺激しようとする。逆に景気が加熱しているときには財政赤字を縮小させて、公債発行を削減し、総需要を抑制するものである。財政の安定化機能は、財政赤字をこのような観点から政策的に用いることである。こうした財政赤字の短期的な効果については、たとえば、乗数効果の大きさを検討することが有益であろう。こうした研究については別の機会に譲るとして、本研究ではより中長期的な視点からの分析に焦点を合わせている。

その理由は、1990年代に入ってわが国の財政赤字が傾向的に拡大している点にある。財政赤字の抑制あるいは財政再建の期間が長期に及ぶことが予想される以上、財政赤字の中長期的な効果についての分析が、今後はより重要になつてくる。また、これまでの多くの研究が財政赤字の短期的な効果に向けられていて、中長期的な視点からの研究があまりなされていないという背景もある。本研究では、特に、財政赤字の持続可能性、財政赤字のミクロ的な調整機能、財政赤字の高齢化・少子化社会に及ぼす中長期的な効果、地方自治体の財政運営に及ぼす効果、財政赤字とインフレーショシの関係という分析課題を設定して、その経済的な効果を分析している。

ところで、最近では、中立命題的状況のもとで、財政赤字のマクロ的効果がかなり相殺されることも指摘されている。中立命題が完全に成立すれば財政赤字のマクロ的な効果はなくなる。中立命題の現実的妥当性は、そのときの経済環境にも依存する実証的な分析課題である。これまでの実証分析によると、中立命題が完全に成立するバロー的なケースは極端なケースであることが示されている。また、中立命題が全然成立しないケインズ的なケースもまた、極端なケースであると言えるだろう。すなわち、人々は、最適な消費計画を立てるときに、多少は政府の予算制約も考慮し、短期的な可処分所得のみならず、より長期の予算制約のもとで行動するだろう。バローの中立命題が成立しないとしても、ある程度の中立命題が成立し、人々が長期的な視点で最適な意思決定をしている場合には、中長期的な視点から財政赤字の経済的な効果を分析することが重要となる。

財政赤字が短期的な景気対策としてあまり効かないとしても、中長期的に将来世代へ負担を転嫁しているのではないかという大きな懸念がある。こうした点を実証的、定量的に明らかにすることは、将来に対する不透明感を解消する点で、短期的な財政政策の効果を引き出す上でも、プラスだろう。また、たとえ財政赤字がGDPを刺激する効果がないとしても、経済のショックを緩和するために財政赤字を用いることは、有益である。こうした財政赤字の調整機能についても、中長期的な視点からの評価が不可欠である。したがって、本研究のように中長期的な視点からの財政赤字の経済分析は、わが国の現実の政策を議論する際にも、きわめて有意義なアプローチである。

以下の各章で分析される課題とそこで得られた暫定的な結果について、最初に簡単にまとめておこう。


第1章 我が国における国債の持続可能性と財政運営

まず第1章では、財政赤字の持続可能性の課題を取り上げる。1970年代の石油危機への対応を映じた財政赤字の累積を1つのきっかけとして、80年代には、多くの国々で財政赤字の削減が重要な経済および政治問題となった。すなわち、現在の財政政策をそのままにしておくと、財政赤字が累積的に拡大、やがて政府の財政は破産してしまうのではないかとか、あるいは、政府を破産の危機から回避するには、現在の政策をそのまま維持すべきではなくて、増税なり政府支出の削減なりの財政政策の変更が必要とされるのではないか、といった問題意識が高まりをみせた。これが、財政赤字の持続可能性の問題である。

近年我が国においては、国債が急速に累増し、国債の持続可能性が疑問視されるという厳しい事態を迎えている。ただ、国債の持続可能性は、主観的な論評ではなく、客観的な分析によって深く検討されなければならないものである。第1章では我が国の一般会計における、国債の持続可能性を検定する。

まず、これまでにいくつか提示されてきた政府債務の持続可能性に関する検定方法を整理し、それら検定方法のうちの一つを採用し、1956?1998年度における我が国の一般会計を対象として分析した。この手法によれば、前年度末公債残高対GDP比と基礎的財政収支対GDP比が正の相関関係を持っていれば、政府債務は持続可能であるといえる。この計量分析から、我が国の一般会計では、従来の財政運営を継続したまま国有資産売却などではなく租税で償還することを前提とすると、政府債務は持続可能でないと結論付けられる。特に、最近の財政運営は、この結論を強める方向に働いていたといえる。さらにこの分析から、公債残高対GDP比が上昇するときには、基礎的財政収支対GDP比を上昇させる財政運営を行うべきであるとの政策的含意が得られる。


第2章 課税平準化仮説と日本の財政運営

クッション政策として知られる限界税率一定の原則は、中立命題を前提として、マクロではなくミクロの観点から、財政赤字の政策的意味を問題とする。これは一括固定税が利用できないときの最適な公債政策として、ミクロ的な超過負担の最小化を意図する議論である。すなわち、課税にともなう超過負担を最小にするという、ミクロ的視点からの最適課税問題の考え方を公債管理政策に応用したものである。

それによると、たとえば所得税の限界税率を上昇させることは、異時点間の労働供給とレジャーに関する合理的な個人の選択に重大な歪みを与え、資源配分の効率性からみて重大な損失をもたらす。最適課税問題では、近似的に、資源配分の効率性からのコストは限界税率の2乗に比例することが知られている。したがって、このコストをできる限り小さくするには、異時点間の限界税率を一定にすることが望ましい。

第2章では、この考え方に基づいて、公債発行を伴う日本の財政運営が中長期的な資源配分の観点からみて望ましいものであったかという点について検証を行なった。1957年度から1997年度までの国の一般会計を対象とした実証分析によれば、戦後の日本の財政運営は課税平準化仮説と必ずしも整合的な形で行われてきたとはいえず、均衡予算原則のもとで財政運営が行われた1960年代前半には過大な財政黒字が、また、第1次石油危機後の1970年代後半には過大な財政赤字が生じていたが、それに伴う厚生上の損失は、現時点でそれほど大きなものとはなっていないごとが示された。


第3章 我が国の高齢化移行と財政赤字

第3章では、ライフサイクル成長モデルを拡張して、高齢化社会に移行する我が国において、財政赤字あるいは公的年金基金残高が将来の国民負担率、資本蓄積、あるいは経済厚生にどのように影響を与えるかについてのシミュレーション分析を行う。

そこでは、厚生省人口問題研究所の『日本の将来推計人口(平成9年1月推計)』を用い、高齢化への移行過程のみに議論を集中して、公債残高、公的年金基金残高のいくつかの将来的なシナリオを想定して、将来への影響を分析する。

第3章では次のことが示される。第1に、財政赤字の存在は将来の国民負担率・租税負担率を上昇させることである。これは財政赤字の増大はその利払いのための増税を伴うからである。なお、社会保障負担率の上昇は主に高齢化の影響で説明される。

第2の点は、財政赤字の解消は、消費課税によって行った方が、貯蓄への影響を通して、相対的に望ましい点である。

第3の点は、賃金所得税で公債償還の調整を行う場合、公債残高対GDP比率がl10%で高位定常状態で維持される政策はすべての世代で望ましくない。一方で、その償還を消費税で行うのであれば、公債残高対GDP比率をl10%で維持する政策はその水準を90%で維持する政策よりも、現役世代にとっては逆により望ましいことである。

第4の点は、世代によって相対的なウエイトは異なるものの、公債償還を大きく行うケースが将来世代にとってはより望ましい点である。特に最終的に公債残高をほとんどゼロにするケースでは、将来世代になればなるほど、90%水準を維持するケースにくらべてその望ましい度合いは高まる。これはやはりその利払いの負担が相対的に小さくなるからである。


第4章 地方債許可制度と地方政府の歳出行動

第4章では、地方債許可制度と地方政府の歳出行動について分析している。地方自治体は、その事業に係る財源として地方債を発行することができる。特に、1990年代にはいり、国庫の補助を受けない地方単独事業が推進され、その主要な財源である地方債は年々増加し、1999年度末には127兆円の規模にも達した。むろん、その発行は無制限ではなく、事業の内容、法令、許可制度などによって一定の制限を設けているが、他方で地方交付税を活用した単独事業の誘導策によって、実質的な機能は大きな変貌を遂げている。こうした地方自治体を取り巻く環境の変化が、歳出コスト、そして歳出行動にどのように反映されるか、簡単な2期間モデルを用いて考察している。


第5章 我が国における国債管理政策と物価水準の財政理論

どのようなタイプの公債を発行すべきかという問題が、狭義の公債管理政策である。ここでは、公債の満期構成、名目債券としての公債か、物価水準にインデックスされた公債か、公債支払いをGDP、為替レート、戦争か平和かなどの他の経済環境に依存させるべきかなどが、議論される。

もし将来の実質利子率、政府支出、課税ベースなどが不確実であれば、どのような種類の公債を発行すべきであろうか。政府は不確実な各状態(state)ごとに税率をスムースにさせるような政策を選択するのが望ましい。このような観点から、最適な公債の構成が決定されるだろう。たとえば、公債の満期構成は、不確実な実質利子率の変化から公債の利払い費を隔離させるように決定されるべきであろう。このような議論は、不確実な動学モデルを前提として、最近精力的な研究が展開されている。

第5章では、特に、公債管理政策の側面から、物価水準の財政理論に基づいて、わが国の財政赤字とインフレーションの関係を分析している。そして、わが国の公債管理政策が1970年代の石油ショック期における物価上昇を助長したことや1990年代後半のデフレ傾向の一因となっていることが示される。


なお、本稿の各章の執筆者は要旨を井堀、第1章及び第5章を土居、第2章を中里、第3章を加藤、第4章を中野、編集等を佐藤が分担して行った。


全文の構成(PDF形式、 全13ファイル)

  1. 1ページ
    要旨別ウィンドウで開きます。(PDF形式 124 KB)
  2. 9ページ
    第1章 我が国における国債の持続可能性と財政運営
    1. 9ページ
      第1節 はじめに
    2. 10ページ
      第2節 政府債務の持続可能性に関する諸検定とそれらの関係
    3. 20ページ
      第3節 データと推定式
    4. 24ページ
      第4節 推定結果
    5. 30ページ
      第5節 結論
    6. 32ページ
      付 録 Beveridge and Nelson decompositionの方法
  3. 37ページ
    1. 37ページ
      第1節 はじめに
    2. 39ページ
      第2節 基本モデル
    3. 41ページ
      第3節 従来の実証分析
    4. 48ページ
      第4節 実証分析
    5. 60ページ
      第5節 結論
  4. 69ページ
    1. 69ページ
      第1節 はじめに
    2. 72ページ
      第2節 モデル
    3. 81ページ
      第3節 シミュレーション分析
    4. 93ページ
      第4節 シミュレーション結果
    5. 103ページ
      第5節 結論
    6. 104ページ
      <補論1>
    7. 106ページ
      <補論2>公債残高対GDP 比率の推移
    8. 107ページ
      <補論3>国民負担率の将来推移
    9. 108ページ
      <補論4>租税負担率の将来推移
    10. 109ページ
      <補論5>社会保障負担率の将来推移
    11. 114ページ
      図表(1)別ウィンドウで開きます。(PDF形式 431 KB)
    12. 120ページ
      図表(2)別ウィンドウで開きます。(PDF形式 414 KB)
    13. 124ページ
      図表(3)別ウィンドウで開きます。(PDF形式 418 KB)
    14. 128ページ
      図表(4)別ウィンドウで開きます。(PDF形式 390 KB)
    15. 132ページ
      図表(5)別ウィンドウで開きます。(PDF形式 361 KB)
    16. 136ページ
      図表(6)別ウィンドウで開きます。(PDF形式 316 KB)
  5. 139ページ
    1. 133ページ
      第1節 はじめに
    2. 141ページ
      第2節 地方単独事業と起債制限比率
    3. 145ページ
      第3節 モデル
    4. 155ページ
      第4節 起債制限比率と地方単独事業の歳出決定の推計
    5. 158ページ
      第5節 結論
  6. 169ページ
    1. 169ページ
      第1節 問題意識と目的
    2. 170ページ
      第2節 国債管理政策に関する議論
    3. 174ページ
      第3節 物価水準の財政理論と国債管理政策
    4. 178ページ
      第4節 我が国における物価水準の財政理論
    5. 193ページ
      第5節 国債管理政策の効果
    6. 200ページ
      第6節 結論
    7. 205ページ
      図表別ウィンドウで開きます。(PDF形式 442 KB)
  7. 213ページ
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