ESRI―経済政策フォーラム
第8回「公的金融のあり方」(概要)



経済社会総合研究所
平成14年6月14日

 本フォーラムの概要について、事務局の責任により以下の通りとりまとめましたので、ご参照下さい。なお、議論の正確な内容については、議事録(PDF-format, 117KB)を参照頂ければ幸いです。

(開催日時) 平成14年6月11日(火) 午後2時〜午後5時
(パネリスト) 池尾 和人 慶應義塾大学経済学部教授 (基調講演)
岩本 康志 一橋大学大学院経済学研究科教授
河村 小百合 日本総合研究所主任研究員
神野 直彦 東京大学大学院経済学研究科教授 (基調講演)
(モデレータ) 牛嶋 俊一郎 経済社会総合研究所次長

 冒頭、池尾和人教授、神野直彦教授より基調講演をそれぞれ頂き(ホームページ掲載の基調講演をご参照下さい)、その後パネルディスカッションを行った(パネルディスカッションの後半は、パネリスト以外の参加者の方々からの質問、ご意見にパネリストが回答しつつ議論を行った)。

1.基調講演(池尾和人 慶應義塾大学経済学部教授)(PDF-format, 27KB)
  1. 公的金融の中でも出口である政府系金融機関の話を、レジュメをもとに話したい。公的金融を、政府によって所有あるいは運営されている金融機関と捉えると、規模を問わなければ、我が国固有の機関ではなく、全世界的に存在している。
  2. 政府系金融機関の役割に関する研究として、ラポータ等が議論を整理している。これを私も適切だと考えているので簡単に紹介したい。二つの見方が存在しており、一つは開発ビュー、もう一つは政治ビューである。どちらの見方も純民間ベース、商業ベースにのらないプロジェクトへ政府系金融機関がファイナンスしているというもの。
  3. 開発ビューは、バリエーションはあるが、外部性が大きいプロジェクト等の理由で民間では資金供給できないが、社会的には意味のあるプロジェクトに対して政府が資金供給を行う。このことで、経済発展に寄与しているという見方である。
  4. 純民間ベースではファイナンスできないプロジェクトはそもそも経済的には意義がないが、政治的あるいは社会政策的には意義がある。このためにファイナンスされる。政府が金融機関を保有するのは、政治的目標の実現である、これが政治ビューである。
  5. 我が国の最も代表的な政策金融機関は、日本開発銀行であった。戦前の特殊銀行も、日本興業銀行や日本勧業銀行であったように、開発、経済発展が強く意識されている。
  6. 市場の失敗は、途上国だけでなく、先進国でも存在し得る。まともな経済学者で、市場が失敗しないと考えている人はいないだろう。しかし、市場は理由なく失敗するわけではなく、情報制約がある、インセンティブ問題が上手く解けない等の理由がある。
  7. 市場がある種の情報制約を持っている際に、政府が情報を得られやすいという場合には、市場の失敗を政府が解決出来る。しかし、市場が失敗する場合には政府も情報を得にくく、失敗しやすいという可能性は十分に考えられる。私は、実は政府であれば市場の失敗を補完出来るという状況はかなり限定的と考えている。
  8. 仮に、市場の失敗がかなり広範囲に存在すると見られるとしても、そのうち、政府が補完できるものは限定されるし、政府補完の解決策として、金融的手法が対処策として最もふさわしいというケースはさらに限定されると思う。したがって、先進諸国でも規模の限定された政府系金融機関は存在し得るが、際立った規模での政府系金融機関は経済合理性の観点からだけでは正当化できない。
  9. 逆に、経済的に意義がなくても政府系金融機関が正当化されるのは、開発途上段階である。ガーシェンクロン命題や村上先生の「開発主義」のように、開発段階における公的金融は意義があった可能性はある。実証をさらに重ねる必要はあるが、開発段階では、経済合理性を超えた正当性が認められるといっても良いかもしれない。
  10. しかし、我が国は開発段階を脱して、既に少なくとも25年は経過していると考えられる。問題の種類は既に変化しており、政策金融機関だけではないが、開発段階に創設された組織はその目的達成後も存続する傾向がある。こうした傾向と政策意図が一緒になった場合に、どういうことが起きるかという問題が、現状で政策金融機関を考えるべき論点である。
  11. 開発段階では、開発ビューと政策ビューの区別は難しい。しかし、開発段階を過ぎると外部性が大きいので市場で実行されないプロジェクトは徐々に減ってくる。しかし、政治的に好ましいプロジェクトは常に存在するという状況はある。日本では高度成長を完成する段階までは、開発ビューが成り立っていたかもしれないが、それ以降は政治ビューで政策金融を捉えるべきだと考えている。
  12. 実際、政策金融の役割も変化しており、開発金融の役割は減少して、個人の住宅金融が増加している。ある意味で、住宅金融は社会的に望ましいものではあるが、自宅を買うことすら望めない最も貧しい低所得者層の支援にはなっていない(苦しいかもしれないが、ムリをすれば住宅が買えるという中間所得者層の支援)という意味からは、ある種の政策意図(政治支持基盤の強化)が働いていいたという政策ビュー観点で眺めざるを得ない。
  13. 別の論点として二つほど述べたい。一つは、民間金融機関の機能不全問題である。現在は、民間金融機関が十分に機能しているとはいいがたい状況である。民間金融機関が機能不全な場合に、それを公的金融機関が補完できるのかが問題になる。
  14. 機能不全の内容が、資金の量的確保という意味でいけば、民間金融機関を公的金融機関が補うということは可能だろう。しかし、現在のカネ余りの状況では、絶対的な供給不足ではなく、必要なところに、お金が回っていないという問題である。それは必要なところに適切な価格で供給できていないのである。
  15. では、民間金融機関よりも公的金融機関が価格づけに優れているかということになるが、私は公的金融機関の能力には懐疑的であり、良くても民間と同じ程度しかリスク判断能力はないと考えている。
  16. 論理学では2種類のエラーがある。正しいことを間違っているという第1種エラーと、間違っていることを正しいという第2種のエラーがある。この考え方でいけば、前者は、資金を供給しなければいけないところに資金を回さないエラーであり、後者は、回してはいけないところに資金を供給してしまうエラーとなる。第1種のエラーを少なくするためには、どんなところにでも資金供給すればよいということになる。しかし、この場合、第2種のエラーが生じてしまう可能性が高い。現状において、いずれのエラーを重視すべきかということは基本から良く考える必要がある。
  17. 量的供給だけが問題なのであれば、政策金融機関はあえて必要ではなく、信用保証をつければ民間機関はいくらでも貸し出すことが出来る。今はそういう状況である。
  18. 参考にグラフをつけている。中小企業金融を考えると、中小企業は貸し渋りや、貸し剥がしにあって資金的に苦しいと思われる。現在の日本の中小企業が抱えている債務、特に非製造業の債務の方向だけ見ると貸し渋りや貸し剥がしということになろうが、既に債務残高の水準は相当高い。こうした極めて高い水準の債務を抱えているという状況で、前述のどちらのエラーを重視するのか、基本から検討しなければならない。
  19. もう一つ、政府によるリスクの時間分散機能についてふれたい。政府は永続する存在である一方で、民間金融は制度として永続する機関ではない。政府が永続することからすれば、潜在能力としては長期のリスクをカバーできると考えられる。
  20. 政府がそういう能力を慎み深く使えば、非常に良いことだと思うが、現在の政府の状況を見る限り、通時的な政府のリスク配分機能を明らかに阻害しているとしか思えない。直接は政府系金融機関だけの話ではないが、現実の日本政府は、社会保障など、世代間のリスク負担をスムージング化するのではなく、世代間の対立を増大するかのように動いているかのように見える。
  21. こうした状況では、政府系金融機関がカバーできるリスクの範囲は限定されている。(そうした状況であるにもかかわらず、)民間には出来ない長期の固定金利の貸し出しを政府は出来るというのをうたい文句にしていいのかという状況である。

2.基調講演(神野直彦 東京大学大学院経済学研究科教授)
  1. 日本語ではなぜか、金融学はなぜか金融論、財政学は財政学と呼んでいる。私は伝統的なドイツの財政学の専門家であり、その観点から公的金融を考えていきたい。財政学は19世紀後半の大不況の状況からドイツにおいて誕生した。
  2. 現在の政府は金融活動としてみると、借手としての政府と貸手としての政府にわけられる。今回は貸手の立場から議論していきたい。借手としての政府も、公債など財政活動から発生する債務と郵便貯金や年金など、行政活動から生じる債務の二つに分けられる。ここでは、行政債務に関わるようなものを念頭におきつつ、貸手としての政府、一般に政策金融といわれている部門について議論していきたい。
  3. 財政学からの観点で政策金融を捉えると、ハンスマイヤーの研究があり、「補助金としての国家信用の供与」と定義づけている。つまり、政策金融は補助金給付の特別形態と位置づけるということである。私的な努力では果たしえないような困窮状態からの救済策として、19世紀の恐慌の中から、農業分野から始まり、工業、住宅、造船、国家一般へと国家信用の供与がひろがっていったとのことである。
  4. 恐慌の救済策として始まった政策金融が第2次大戦後の復興過程で資本不足の理由から、各国に広まっていった。もう一つの国家信用供与拡大の要因はマーシャルプラン、ガリオア・エロア資金のような対外援助である。
  5. 政策金融は補助金給付の特別形態、すなわち、極端に言えば、経費支出の一形態と位置づけられる。経費支出は市場経由で交換を行う方法として、現物給付(要素市場か生産物市場に人件費あるいは物件費として支払われる)がある。市場に支払わずに現金を給与する方法としては、家計に支払えば社会保障であり、企業に支払えば補助金となる。
  6. 政策金融はそうした補助金と(民間)金融との中間形態ということになる。政府支出として金融を使う手段は三つあり、補助金、マイナス補助金としての租税優遇措置、そして政策金融があり得る。政策金融は、政策目的を達成するために、補助金給付の特別形態として行われていると考えられる。
  7. 財政的には、政策金融は、補助金と比較すれば、ある政策目的を達成するのに租税資金を節約することが出来るというメリットがある。補助金(財政)は議会を通じた国民によるコントロール下におくことが可能である(行政的裁量の余地も小さくて済むし、予算のチェックも可能である)。租税特別措置は行政裁量」の余地は少ないが、議会による統制が難しくなる。政策金融機関のデメリットはこれらと比較すると、行政裁量の余地が大きくなる。
  8. 歴史的には各国とも戦後復興時に、租税特別措置を行い始めるが、うまく機能しなかった。戦後復興期は、企業の利潤が上がってこない段階であったためである。このため、戦後復興措置は、租税特別措置から政策金融に移行し始める。
  9. そうした、政策金融は各国で定着してくるが、少しずつ矛盾をきたしてくる。政策金融は補助金と市場調達の民間金融両方の性格を持っているが、このうち、租税資金の調達が難しくなってきたからである。例えば、財政投融資資金の原資を開始時の1953年度を見ると、30%強が当時の概念で返済を必要としていない資金であった(政治的色彩が強く、予算原理に強くしたがっていた)が、近年になるにつれて、コストゼロの資金が減少し、借手としての政府は補助金や予算原理が働かない方向に変化してきた。
  10. これに対して、貸手としての政府は、当初特定の産業、例えば造船、鉄鋼、自動車など基幹産業に対して傾斜的に配分していた。その影響は非常に大きく、例えば、鉄鉱石の価格は1955年から10年間で、FOB価格は変化していないが、CIF価格は半分にすることが出来たのは造船等振興の成果である。融資先はその後は、住宅金融や生活環境整備などの部分に移行してきている。
  11. 貸手としての政府からいくと、予算原理が働き、公共財として提供しても良い分野が急速に高まっている。他方、借手としての政府は、民間金融機関の性格が強まっている。この矛盾が政府系金融機関の改革が必要とされる最大の理由だと考えている。
  12. それでは、どうすれば良いかであるが、私は政府系金融機関を民営化せよということにはならないのではないかという見方をとっている。政府系金融機関を一般会計化するか、租税資金を節約するか。どちらを選ぶべきということである。
  13. 19世紀末もそうであったが、現在のように大きな時代の転換期になると、産業政策目的と地域政策目的が非常に重要になってくるが、これらはリスクが大きすぎる分野。動学的な財政構造政策や地域政策からすれば、市場原理はアクセルを踏めるが、財政政策がハンドルを切ってやる必要があるというのが常識である。
  14. 民主的な統制を強化することが重要である。出来るだけ貸付にあたっている部署に権限を委譲する、実際に仕事に当たっている人の権限を強化するという方法と(ボトムアップ)、行政裁量に対して議会がきっちり統制をとる方法(トップダウン)の二つがある。
  15. 私の考え方は、この二つのどちらかということではなく、両方の組み合わせである。

3.パネルディスカッション
(1)コメント
(岩本康志 一橋大学大学院経済学研究科教授)
(河村小百合 日本総合研究所主任研究員)

(2)ディスカッション
  (池尾)

  (神野)   (岩本)   (河村)   (岩本)   (池尾)
(3)フロアーオープンディスカッション
(フロアー)
  池尾先生、岩本先生にお聞きしたい。今後の政策金融を民営化せよとよく言われるが、ここに疑問がある。決済機能などが弱く、融資しかやっていない機関の民営化というのはどういうことを考えておられるのか?
(池尾)
  政府系金融機関は、業務の内容からいけば、日本語では公的ノンバンクということに直接はなってしまう。ほぼそのままの経営資源・組織で移行させたときに、そのまま民営化できる政府系金融機関の数は限定されている。1−2の金融機関については株式会社にして特殊会社として存続させるものが考えられるが、それ以外は経営資源の整理統合で部分的に移管させることになるだろう。際立った規模の政府系機関は先進経済において必要ではないが、ある程度の限定された目的・規模での政府系金融機関は必要なので、そこに経営資源を再配分するということも考えられる。
(岩本)
  民営化よりも縮小させたほうが良いという意見がございましたが、縮小するのが困難というのが、公的機関の特徴。そのため、分割などの方法の方が実現可能性は高いと思う。
 
(フロアー)
  岩本先生に質問したい。長期の課題からいって、社会的重要性が証明されるべきというアカウンタビリティ確保という話があったが、最後には政策効果の証明は難しいという話も出ていた。説明責任としてどのようなことを考えているのか教えてほしい。また、短期的には公的機関が必要といっている観点を教えて欲しい。
(岩本)
   最初の質問については、客観的・科学的な評価が難しいという意味である。その場合でも、アカウンタビリティは必要である。主観的なものであっても、国民が見て判断すべきだ。経済理論で見て納得できる形で評価をするように政府は努力をすべきという考え方。
  後者については不良債権問題が発生した98年頃に中小企業金融機関が存在していなければ、大きな問題になったのではないかと考えている。その意味で、不良債権問題解決時のシステム危機対応のためのオプションを残すという意味である。
 
(フロアー)
  公的金融機関が、株式会社化することになると、企業ガバナンスはどういう形態になるのか?
(池尾)
  米国のジニーメイ(Gennie Mae)、フレディマック(Freddie Mac)が参考になると思う。米国では株式は民間に放出されているが、当該機関は政策目的も担わされている。政策実行を担保するために、定款で公的役割を担う旨の記載がある上に、政府が連邦法に則って取締役の1/3程度を任命できるようになっている。こうした形での緩やかなガバナンスになる。器は柔軟性を持ち、市場で200年程度、鍛えられている株式会社方式が優れているのではないかと考えている。ガバナンスは基本的には株式会社の構造にしたがうことになるだろう。
 
(フロアー)
  岩本先生にお聞きしたい。現在、短期的に改革を先送りすることのコストについてお聞かせ願いたい。現在の金融機関の問題点の基本はリスクの値づけであり、中小企業金融ではこの分野が最も重要になる。公的機関が存在していることで、リスク値づけが歪むことの問題をどう考えるのか。
(岩本)
  公的機関の存在によって、民間機関のリスク値づけが歪むというのは理論上おかしい。民間機関は自分たちでリスクに見合った値をつけるべきであり、その結果、中小企業が公的金融機関に走る可能性はあるが、民間機関の値付えは別問題であり、責任転嫁である。中小企業金融はコストが嵩むが、改善すべきは改善すべきである。
 
(フロアー)
  二つ質問したい。欧州のジャイロシステムと、日本の郵便貯金発展の経緯を対比して説明していただきたい。池尾先生は経営資源があるというが、本当にあったのだろうか?
(神野)
  郵便貯金は欧州で信書の取引から商取引の為替へ発達して、貯金になっていったというのを日本も導入したものだ。欧州でも英国、仏、伊が大きかったように思う。仏、伊は日本と似ているが、英国では資金の運用用途は国債・地方債等に限定されている。
(池尾)
  経営資源の蓄積についての判断は、私が判断すべき問題ではない。アカウンタビリティの一環として、政府系金融機関が自ら証明していくべき話で、それが出来なければ、能力がないということになるだろう。
  機関でなく個人で見た場合、政府系金融機関の中には志が高く立派な方もいらっしゃると思う。民間金融機関に良い人と悪い人がいるように、政府系金融機関の経営資源も天下り幹部は別にして、全てダメだとは思えない。
  金融機能回復のため、不良債権問題を処理するための特別チームをRCC以外に編成したらどうかと思う。かなり乱暴な議論であることを断って述べるが、RCCと中小企業金融公庫を一時合併し、RCCより強力な組織を作り必要時期が過ぎた段階で民営化といった手法もありうるのではないか。
(岩本)
  経営資源がないために、民営化後経営が立ち行かないとしても、それは政府とは関係がない話である。民間として市場で淘汰されるということであり、倒産するからといって政府が抱えておくのはおかしい。
 
(フロアー)
  昨年の財投改革で導入された財投機関債は財投機関の市場による淘汰を意図したものであったが、現時点でどう評価するか。
(池尾)
  私は、財投機関債によって政府系機関が淘汰されるということはありえないと思っていた。財政は民主主義により統制されるべきであり、こうした種類の問題は市場では解決できない。民主主義でしか解決できない問題であり、我々の民主主義の質が問われるべきだ。現実の財投機関債を見ても、業務内容ではなく、政府とのつながりが強いか弱いか(将来政府に見限られるかどうか)で債券の評価が決まっているようであり、私の予想通りであった。