ESRI−経済政策フォ−ラム:日本21世紀ビジョンシリーズ
「若者は夢を失ったのか−現代社会の若者像」(概要)
経済社会総合研究所
平成17年2月28日
本フォーラムの概要について、事務局の責任により以下の通りとりまとめましたので、ご参照ください。また、議論の詳細については議事録をご参照いただければ幸いです。
| (開催日時) |
平成16年12月24日(金)10:00〜12:30 |
| (パネリスト) |
小倉千加子 |
評論家 |
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小杉 礼子 |
独立行政法人労働政策研究・研修機構副統括研究員 [日本21世紀ビジョン生活・地域ワーキング・グループ委員] |
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斎藤 環 |
医療法人爽風会佐々木病院診療部長(精神科医) |
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宮崎 哲弥 |
評論家 [日本21世紀ビジョン生活・地域ワーキング・グループ副主査] |
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宮台 真司 |
東京都立大学人文学部助教授 |
| (モデレーター) |
中藤 泉 |
内閣府大臣官房政策評価審議官 (前内閣府経済社会総合研究所総括政策研究官) |
冒頭、宮台 真司氏・斎藤 環氏より基調講演をいただき、その後パネルディスカッションを行った。最後に会場参加者の方々との質疑応答があった。
<基調講演1「若者のこころ−現代の若者像」(宮台真司氏)>
- 若者の現状として、乖離化、鬱化、他者に対するノイズ耐性・免疫の低下、他者不在でも欠落感を感じないというタイプが目立ってきている。
- 就職活動などにおいても、以前は自分が何者であるかを明かすことが求められていたが、最近は、場面ごとにモデルとなる人格を用意し、相手の要求に応じて要求される人格を提供するといったプレゼンテーションが求められている。
- 古典的な鬱は、本人には自分が望ましい姿ではないという感覚があるが、最近広がっている軽症鬱病は、仕事もでき、社会性もある鬱とは遠いように見える人たちが都度都度鬱に陥る点に特徴がある。
- ノイズ耐性については、物理的な他者との距離がどこまでになると異物感を感じるかということだが、最近は他者との場の共有が難しくなってきている。
- 社会の流動性の増大への適応現象として、乖離化、鬱を理解できる。
- 高度の情報処理が求められているなか、場面ごとに異なる人格が存在するかのように行動しえることは、情報処理のコスト減の観点で合理的である。
- 社会の流動性が高まると、自分でなくても務まる、という入れ替え可能性が高まる。それがコミュニケーションに実りがない、自分がそこにいる必要がないという感覚を上昇させ、軽症鬱化になる。
- 「うまく生きること」と「まともに生きること」との乖離が意識されている。企業的な合理性を生かす行為と、まともな人間であると評価する場合の行為態度が合致するとは限らない。
- ファミリーレストランやファーストフード店のような、国際標準のホスピタリティがあるところでは、人は入れ替え可能で、固有名は必要ないが、地元商店的アメニティ(快適さ)では、客との立ち話があり、固有名詞や記憶が重要となり、非流動性がある。すなわち、役割とマニュアルに代わり善意と自発性が機能する。
- 近代成熟期では、生活世界における自立的な相互扶助が賄っていた便益を、市場化、行政化時代である。
- 大規模店舗規制緩和に象徴される国民の合意事項がどういう社会を支持しているか考える必要がある。流動性が高く、役割とマニュアルさえ踏まえていればいいという入れ替え可能な社会であれば、ノイズ耐性は低くなる。一方、ファミレス的なアメニティをよいとするならば、少年犯罪や、刑法犯の重罰化・乖離政策は肯定されなければならず、監視カメラに基づく社会の技術的セキュリティ化は容認されなければならない。
- 社会が高い流動性を容認するならば、それに適応する乖離的な行為態度も是としなければ一貫性がない。流動性の高い社会を支持しつつ、若者の一貫した人格を要求したり、社会に実りがあるから戻れというのはおかしい。
<基調講演2「若者の自殺・引きこもり−なぜ社会と隔絶するのか」(齋藤環氏)>([資料参照](PDF-format 257KB))
- 全ての若者全員が好ましい適応レベルには到達することはありえない。天才的に適応がいい人も、ドロップアウトする人も生じる。突出した才能を求めるならば、ドロップアウトも付随するものとして必然的に受け入れなければいかない。
- 社会的引きこもりとは、6ヶ月間以上社会参加をしない状態で、精神障害を第1の原因としない人である。社会参加とは家族以外の対人関係があることであり、その有無がニートとの違いである。また、25歳以上のニートは引きこもりとほぼ重なるのではないか。
- 社会的引きこもりと不登校との関連性は高い。不登校の長期化は70年代後半から増加している。因みに70年代後半は若者の思春期・青年期のあり方が大きく変化した、ターニングポイントとなった年である。
- 引きこもりは男性に多い。たまたま引きこもってしまった人は延々と引きこもりを続けるというスパイラル的な面がある。
- 今後、20年、30年とたつと、引きこもり高齢化社会が生まれる可能性がある。その際、一度も納税したことのない人への年金の問題が生じてくるだろう。
- 日本に限らず韓国でも引きこもりは増加している。ごく浅い意味での儒教文化圏の問題として捉えることができるのではないか。儒教社会は親孝行社会で、同居型文化であるが、自立が成熟の基準にはならないので、同居状態が続くことから、派生してくる可能性も高いのではないか。
- 欧米ではヤングホームレスの増加が問題となっているが、日本はそうでもない。社会の外側にドロップアウトするか、家の中にドロップアウトしていくかの違いかもしれない。
- 引きこもりはコミュニュケーションが極めて苦手で、自己イメージは安定している。インターネットや携帯電話も使わず、コミュニティカブな回路から自分を隔絶する形が大きい。
- 若者の未成熟を考えるとき、引きこもりと自分探しという2つの軸がある。コミュニカティブで流動的すぎると、不安定な人格や衝動性が温存され、リストカット、ネット心中、カルトに走る。彼らは自己イメージが拡散しがちで、プライドへのしがみつきが低い。
- モラトリアムの長期化もみられている。体感的な成人年齢は30歳、あるいは35歳ではないか。
- 社会の成熟度と個人の成熟度は反比例する。社会システムが充実すると、個人の機能として要求される様々なスキルがアウトソーシング可能となり、乖離的な適応力があれば、あらゆる機能を個人に集約する必要はなくなる。そのため、なぜ就労する必要があるか、について想像する力が大きく低下してしまう。就労の義務感は薄くなり、働く理由、意義が見出せない。この自明性の崩壊は先進諸国共通の問題である。
- コミュニケーション格差の問題も大きい。初期条件によって、格差が大きく開いていく方向にしか関係性が進んでいかない。コミュニケーションが苦手と思い込むと、自分を負け組みに分類してしまう傾向がある。
- 不適応はどの時代、社会にもおきる。問題は、その不適応が必要以上に拡散しないよう受け皿なりを用意する必要がある。引きこもりが生じるのは仕方がないが、更に進んで心中未遂といった両親殺害などに至らないようにしなくてはならない。具体的には、引きこもりの概念の啓蒙、居場所の整備などが必要。
- 引きこもりが生じる原因には、就労は義務であると考えている人が多いことがある。就労は義務ではなく、趣味にすぎないと考えることを許容してもいいのではないか。世間的なプレッシャーを削ぎ落とせば、引きこもりもこれほどの問題にならないのではないか。
- 引きこもりには男性が多い。その理由には、学卒者の社会参加へのプレッシャーは、明らかに男性の方が高いためである。
<パネルディスカッション>
(小杉)([資料参照](PDF-format 135KB))
- 若者世代の失業率が増えている。96年に中学卒業した世代では、4割近くが正社員となっていない。就職が普通のプロセスとなっていない。その背景は、卒業時点での就職口が少ないことがある。同時にアルバイトやパート形態が増加している。また、ニートも増大している。主に家事をしているが専業主婦ではない女性もニートに加えると、ニートの男女差はあまりない。
- 学校から職業への移行形態が変化している。これまでは正社員として企業にいることがビルトインされた社会であったが、正社員の口が減ったことで、一旦フリーターになっても、正社員に変われるようなプロセス、あるいはニートからフリーターへ、あるいは失業者から正社員へという、仕組みが社会に必要。若者にとって自分の能力形成やキャリアの方向性がみえる社会にしていく必要がある。
- ニートやフリーターには、背景が大きく異なる人たちが入っているが、高校中退や高卒レベルでなるタイプと、大卒・高等教育中退でなるタイプとでは大きな違いがある。高等教育系は自分探し問題といえ、高校中退・高卒系は労働に向かわせる力が伝わらないような家庭環境にあるといえる。
- ニート・フリーターの増加は社会の構成員が欠けていくことにつながり、問題である。社会は政策によって彼らを、社会をつくる側の人間にしていくことが、社会の存続のために必要である。
(小倉)
- ニート、フリーターや結婚問題について、「何が問題であるか」を決めること自体問題ではないか。
- 都市部では未婚化が顕著であり、高学歴、高収入の男女の未婚が増えている。いわゆる勝ち組は結婚しておらず、負け組が結婚しているという事実がある。ニートやフリーターの結婚率は、特に地方では実は高いのではないか。人は何もすることがなくなった時に結婚する生き物で、例えば難民キャンプではどんどん子供が生まれる。他にやることが無いので、女性を妊娠させることしか男性はそれによって自らの存在を誇示できない。そうして「出産階級」が生まれていく。
- 他者不在でも欠落感を感じない若者が増えている。恋人と一緒にいるとそれなりに楽しいが、家に帰り一人になるとほっとする学生が実に多い。結婚しても同居したくない、別の寝室にしたい人が増えている。パートナーの人格の乖離化に耐えなければならない時代になっている。かつては男性は外で働く顔と家の顔と二つあったが、今は女性も外で働くようになり、家庭内で合計4つの顔がある。家の中でも個室化が進むと、一人のとき、二人のとき、子どもといるときで世界を3つ持ち、人格もその都度変わるが、どこまで耐えられるかとなる。
- 今の職場では労働内容がマニュアル化されている。これは今の若者がすぐ辞める傾向にあるためであり、経営者にとってリスク管理の観点でやむを得ない方法である。しかし、働く側は、誰でもできる仕事には働き甲斐を感じず、早期に離職してしまう悪循環が生じている。そこで、代替性の高い仕事には耐えられない人ほど、結婚願望が高い。
- 一方、結婚機能のアウトソ−シング化が進み、お金さえあれば、機能ごとに自分の便益を図ってもらえる時代にあり、結婚願望が強いのに結婚を維持すること、あるいは結婚することが難しくなっている社会になっている。
- 結婚と子育てほどアメニティがないものはない。若いうちからモノをたくさん買い、消費者として成熟するほど、結婚相手を商品として選ぶ目も肥え、結婚生活をしてもアメニティ低く、すぐに離婚してしまう。
- 恋愛を結婚制度に結びつけた近代がそもそも矛盾をはらんでおり、そのツケが回ってきたのではないか。
(宮崎)
- 就労の自明性と共に、結婚も自明でなくなってきている。結婚生活と職業生活の崩壊はほぼ同時に起こっている。高度経済成長期に形成された、高学歴→高収入→豊かな老後という人生航路が成り立たなくなっている。そのため希望が失われ、刹那的な人生観、あるいはフリーターやニートという現象が生じた。また、そのような意識が普通の人にも生じているのではないか。
- その意味で、高度化した資本主義に対応した人格になってきており、それが旧来の労働や結婚といったものを壊している。
- この問題の入り口には教育問題、出口には年金等社会保障問題があるが、政策が対応できていない。学力低下が問われているが、詰め込み型の教育を復活させても、その先にあるのは学校にいかない、結婚しない、就職しない現象である。原因はゆとり教育などにあるのではなく、「生きる力」がないことだ。
- 今の教育制度は、夢以外は全てがなかった時代にできたものだが、今は夢以外はなんでもある時代であり、これまでの制度が維持されているのはおかしい。夢、希望をいかに補填していくかという教育制度にしていく必要がある。
- 職業を持った大人に出会う機会が少なくなっているという。かつては今している勉強が、会社や自己実現と結びついている感覚があった。今の若者は手段の次にすぐに目的、結果がないと納得しない。そこで、職業生活とは何なのかを教えていく必要があり、東大の玄田先生が提案しているような、14歳に一週間の職業生活を経験させることには大きな意義がある。
(宮台)
- ある価値観を選んだら、それに付随する否定性は歩留まりして引き受けなければいけない。その否定性がどうしても回復しなければいけない重要な問題ならば、グランドデザインを変更すべきである。流動性を高めながら、子どもたちには寛容であれ、あるいは学力低下を憂うというのは、矛盾している。
- 詰め込み教育で高能力化した結果アノミー化するならば、競争し、早々と諦め、勝った人間をリスペクトするという行為態度を習得してもらうしかない。これはゆとり教育化とエリート教育化を両立させる道である。格差を拡大、容認する。勝った人間は選別され、選別された人間に対する動機が提供され、また競争させる。それで徹底的にスクリーニングしていきながら、負けた人間にはリスペクトしてもらう方向に進むしかないのでは。諦めてリスペクトするには、自分が社会の中で占める位置について明確な意識が必要であり、そのためには、住み分け化意識が必要で、自分が社会の中でこのポジションさえあれば生きていけると思えるようなモデル学習化が「住み分け化」にとって決定的に重要。
(齋藤)
- 家族もまだ崩壊はしておらず、実質的にはまだ根強い制度として自発的に維持されている。価値判断の最終的な拠所は依然として家族しかない。個人の価値判断の原器は家族しかないだろう。
<質疑応答>
(フロアー1)
- 日本の教育で欠けていると思われる宗教についてどのように捉えているか。
(宮崎)
- 人類史の大半は貧困、飢餓、戦乱にあり、希望がもてる客観状況ではなかったが、希望をもって生きてきた。非社会性、脱社会性に向かうとするならば、その先に宗教的なものがある可能性は否定できないのではないか。
(宮台)
- 宗教さえあればおたおたせずまっすぐに生きられるというのは単純過ぎ。
(フロアー2)
- 引きこもりやニートは親の生活で生活できているが、親が亡くなったり、稼げなくなったらどうするのか。
(齋藤)
- 引きこもりやニートはしばらくすると頭打ちになるのではないか。彼らを養うだけの寛容性のある世代ではなくなり、引きこもりの子どもを養うほどの家族主義が失われていく。 今いる引きこもりは。歳をとったお母さんが自分の年金だけで養う状況になるのではないか。労働や生産性の価値を疑う柔軟性が必要。疑った上、やはり働いた方がいいというといった、懐疑を経た後の価値判断を与える器として家族に機能してもらいたい。
(フロアー3)
(宮台)
- ゆとり教育はエリート教育と表裏一体であるが、エリート教育がいかに進んでいるかが問題。エリート教育の本義とは、日本はいかに駄目な国かを徹底的に教え、それでも自分こそがその日本を救うと感じる人間を育てることにある。
<最後に>
(小杉)
- ニートや引きこもりは誰にでもなりえるもので、放置するのではなく、政策発動が必要。18歳や22歳の歳にうまくプレーしないと安定的な職業や将来を掴めないという社会状況を変えていく必要がある。
(小倉)
- 引きこもらせているのは親にも原因がある。母親であること以外に生きる場所をもたず、それゆえ引きこもりを生む。日本は子供を甘やかせ過ぎている。
(宮崎)
- 経済問題に限らず、社会全般、意識、価値観煮で大きな変化が生じている。旧来の自明性が崩れていることをしっかりと認識した上で政策を考えていくべき。
(宮台)
- 儒教社会では枠外で行動する人間に非常に冷たい。家族の枠組みで行動する者だけが支援を受ける考えでは少子高齢化には歯止めはかからない。
(以上)