市町村合併時代の道標 長野市松代町

— まちづくりに必要なもの(合併と住民力) —

江戸川大学経営社会学科教授 鈴木輝隆
写真:復元された松代城
【復元された松代城】

元気なまちが少ない。理由は3つ、地域経済の長期低迷、2つ目は自治体の財政難、3つ目は市町村合併対策で混迷していること。合併によって何が起きるか、先行きが見えず不安な気持ちでいる住民が多い。将来が見えないときは歴史に学ぶことだ。

長野市松代町は、合併でかつて失われた活力を「住民自治」から取り戻し、まちは落ち着いた佇まいを創造している。松代町は真田十万石の城下町。江戸時代の町並みは良く残っていて、さらに景観に磨きをかけたので、独自の魅力があるまちとなった。

町並み
町並み
【町並み】
真田家別邸
【真田家別邸】

1966年、人口2万2千人の松代町は、人口19万人の長野市に編入合併された。結果、政治、行政は遠くなり、地域の歴史や文化も活かすことができず、発展から取り残された。現在、長野市の人口は36万人、うち松代町は2万人。「合併によって、母都市の中心部は栄え、辺境部は寂れる」の原則どおりだった。身近な自治が遠のいたことを象徴する話は、真田家別邸のある史跡公園の観光客用公衆トイレ設置の陳情から完成までに10年を要したこと。合併で、歴史的文化圏を誇ってきた埴科郡松代町が独立自治体としての幕を閉じたことを住民は実感した出来事だった。

比較されるのが、長野市に隣接した、人口1万2000人の小布施町。1964年、須坂市との合併話が浮上したが、2年間の論議の末、合併しない単独の道を選んだ。その後行政が主役ではない住民発想のまちづくり、町並み修景事業などに取り組み、全国トップレベルの魅力的な町となった。今回の合併論議についても、迷わず単独の道を歩む。

一方、松代町は武家屋敷など貴重な歴史的文化遺産が、小布施町より多く残っているにもかかわらず、それを活かせずに衰退した。独立した自治体であったならば、松代町は小布施以上に魅力ある町になっていたかもしれないと、よく引き合いに出された。現在は、小布施町の栗菓子屋が、松代城址に隣接した敷地に、池田満寿夫美術館と栗菓子の売店を建設するほどになった。

事務局長の香山さん
【事務局長の香山さん】
ホイサッサの開発商品
【ホイサッサの開発商品】
宅老所「あったかいご」
【宅老所「あったかいご」】
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【夢空間めぐり】
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【お庭拝見1】
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【お庭拝見2】
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【町屋ウォッチング】
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【寺巡り】
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【ポスター1】
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【ポスター2】
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【ボランティアガイド】

2004年4月、NPO法人「夢空間松代のまちと心を育てる会」は、地域情報誌「信州松代町 夢空間めぐり」を、1000円で1500冊発行、3週間足らずで売り切れた。3年間の住民活動の集大成。18テーマで町を編集し、2~3時間の散策ルートを開拓した。昨年1年間、約40人が6つのチームを作り、徹底的に町を歩いて、丁寧に地域資源を拾い上げ、地域情報を発見する熱意に感嘆した。もう一冊、「庭園都市まつしろ、新しい松代が見えてくる」も同じ価格で、同時に発刊。武家屋敷の庭園や、町家保存を目的として、NPOが3年がかりで調べあげた、まちの風格と情趣を熟成させる深い本。

38年前に合併は何をもたらしたか。町から市に昇格したことに喜びを感じたこともあった。現実は、市議会議員3人(総数42人)、支所の市職員は20人となり、権限のない窓口業務だけとなった。地域課題を住民でまとめ、議員とともに市長に陳情するが、遠い存在となった行政は動いてくれない。計画段階では参加する住民も、計画が出来ると行政任せとなるため、市職員は真剣に取り組んでくれない。継続的に町の将来の考えてくれる専従職員がいない現実に直面した。

しかし、合併後も、長野市には、3つの商工会議所が残り、その一つが松代商工会議所。松代のことを常に考えてくれる職員が10人いた。民意結集の場を会議所に求め、そこから住民自治組織のあり方を発見した。合併したから発展しなかったというマイナス発想にとらわれてきたが、行政に頼るのではなく、自分たちで出来る事からまずやる、というプラス発想に変えた時、未来への道は見えてきた。

松代商工会議所が中心となって、長野高速道のインターチェンジを誘致した。商店街を再開発する都市計画道路を、会議所を中心とした住民運動によって変更させ、和風の景観重視の商店街づくりを行う。土塀や泉水路などの復元、景観協定の実施、歴道整備事業と歴史を大切にしたまちづくりは一貫して行われた。さらに、「信州松代まるごと博物館構想」の策定と実践、商工会議所の「城下町松代街並み景観賞」の創設により、民間建物の質は向上し、町全体が落ち着いた佇まいを醸し出している。住民自治によって町は蘇ったのである。

住民力を発揮するには、組織づくりとコーディネーターの存在が欠かせない。NPO法人「夢空間松代のまちと心を育てる会」の事務局長の香山篤美さんは、20数年前、家業の衣料品店を継ぐために、東京からUターンした。そのころは、武家屋敷の土塀がブロック塀となり、史跡文化は埋もれたまま。商店の廃業も相次ぐ。住民の声は母都市長野市には届かず、住民エネルギーは行き場を失った。自分たちの町を築くには、行政・議員依存から脱却して、新しい住民自治の仕組みを作る必要性に気づいた。

住民組織は次々に誕生した。1999年、自営業者のおかみさんら12人により、地元の特産品をPRしようと、まちおこしグループ「ホイサッサ松代」が誕生。中心商店街の空き店舗を活用する女性グループ「輝きネットワークわっしょい」(約50人)や、宅老所「あったかいご」など、福祉のまちづくりを目指す人びとも集まった。ユーモアのある名前の組織は人を元気にし、町を元気にする。

2001年、香山さんは、商工会議所の後押しを得て、仲間とともにNPO法人・夢空間「松代のまちと心を育てる会」を設立する。NPO夢空間は、まちづくり連続セミナーやワークショップ、松代学事始めを開催し、自治意識を高めた。NPO夢空間の活動が本格化したのは「お庭拝見―城下町松代・武家屋敷お庭巡り」。新聞に掲載されると、申込みが殺到して電話が鳴り続けた。250人を超える参加者に配布された資料は、庭園研究者が執筆した本格派で、歴史の重みや松代のすばらしさを実感させるもの。住民は「お庭拝見」や「町家ウォッチング」、38カ寺の魅力を発見する「初春の寺巡り」など地域学習を通じて、川、堰、泉水路、水と共生してきた松代独特の生活風景の価値を知った。

幕末の洋学者の佐久間象山(松代出身)と並ぶ思想家、山寺常山(やまでらじょうざん)の屋敷を長野市が保存のために買い取った。NPO夢空間は、常山邸の再生案として、都市プランナーや建築家、学芸員、庭師と一緒になり、6カ月のワークショップを経て、実行性のある高レベルの計画書を市に提出した。さらには、町出身で明治大正期に活躍した女優の松井須磨子展など「人物セミナー」の開催などによって、「松代らしさ」を発掘する。それは、歴史を語る文化財「消えた地名・町名」の復活提案や町家の保存整備活用につながる。

こうした住民活動は市を動かし、2004年4月から1年間、松代城復元完成記念イベント、「エコール・ド・まつしろ2004」(松代の学校、松代学派の意味)となって実を結ぶ。遊學城下町信州・松代「日本を嗜(たしな)もう」というポスターやパンフレットが、首都圏などの駅などで目に付くようになり、観光客があまり訪れることがなかった長野市松代町に人が大勢押しかけている。

長野市は、2002年11月、松代支所に観光課松代分室を設置し、住民自治を支える。さらに市は、松代町が住民自治から町の活気を取り戻したことから学び、市全域で、ブロック単位に地域総合事務所と地域会議を、行政区単位に地域活動組織(まちづくり協議会)の設置を計画している。

しかし、市役所の対応は、長い間のおかみ意識が抜けず、行政主体の枠組みを変えない。住民の意見を取りいれる窓口づくり程度にしか都市内分権を考えていないのではないか。「エコール・ド・まつしろ2004」の取り組みでも、行政の枠組みの中で実施しているので、住民は行政の力強い支援には感謝しつつも、窮屈な思いもしている。住民の側もピラミッド型組織しか経験していない人は、ボランティア=手足となって無償で働く人と誤解している人は多い。実行委員会が母体となって組織した住民による「エコール・ド・まつしろ倶楽部」も、ボランタリーなネットワーク組識ではなく、既存のピラミッド型組識の枠組みに押し込めようとする力が働く。そのため自発的にネットワークを作ってきた人びとが萎縮してしまう。住民の主体性や、やる気、創造性を損なっていることさえ気がつかない。  さまざまな試行錯誤を繰り返し、ようやくいい形が見えてきた。これは行政と住民とがパートナーシップを組んでいく上で必ずぶつかる問題である。住民自治組織は、主体的、創造的、開拓的なもので、行政からも自立している。重要なのは「住民の自発性」であり、今後の行政には「自己抑制」の精神を持ち、それらを引き出し、展開させてゆく下支えのプロであってほしい。

これまで、自治体は交付金や補助金等で財源は安定していた。行政は住民のやる気や創造性など考慮せず、国の金を使って事業実施する自己完結システムを作った。しかし、安定は退屈とマンネリズム以外の何者でもない。住民は退屈さがあらゆるコミュニケーションの敵であったことに気づいた。不安や緊張感から、枠を超えた自由な発想や大胆な行動が生まれる。スケート靴の歯を思い出して欲しい。厚い歯は安定しているようだが、自由度がなくカーブは回れない。薄い歯は、一見不安定なようだが、状態を鋭く捕らえ、スピードが出ていても変幻自在に動くことができる。

合併したらどうなるかと悩んでいるまちは、松代町を訪ねてみるとよい。それは合併の失敗例ではなく、多様で柔軟な住民自治を生みだす元気さを実感してほしいからである。

香山篤志さんからの市町村合併へのアドバイス

  1. 行政依存の考えを捨て去ること。
  2. 他人依存を捨て去り、自身で出来ることから身銭を切ってまちづくりに取り組むこと。
  3. 肩書きを捨てて、主体的にまちづくりに参加できる場を創り出し、拠点、空間、組織、人材を確保すること。
  4. 補助金頼みから脱し、必要な活動資金は自ら生み出すこと。
  5. 地域の歴史や文化を学習する機会を持ち、地域アイデンティティーの確立を図ること。
  6. 住民自らが地域経営の力をつけ、行政とパートナーシップが取れるような力をもつこと。
  7. 専門家集団とのつながりをもち地域学習を積み重ねること。
  8. 他町村との交流を心がけ、人脈づくりにより、外的な刺激を受けて自らを高める努力を怠らないこと。
  9. 大事なことは、個々バラバラの住民の力を地域の総体の力にしていくかで、そのためには責任ある組識、NPO法人などの組織が必要だ。


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