地域の資産価値を高めるまち 富山市岩瀬

富山市岩瀬

江戸川大学ライフデザイン学科教授 鈴木輝隆

話題となっている富山ライトレール(路面電車)に乗って、岩瀬地区を歩いて驚いた。200坪の大規模な伝統的家屋が、若い大工や左官、瓦屋によって次々と修復再生されている。どっしりして美しい建造物群に目を見張る。修復再生された伝統的家屋に暮らすのは商人だけでなく、職人やアーティストなど感性豊かな人々が住み着き、文化漂う界隈が誕生してきている。本格的な町並み再生から創造的なコミュニティの実現をめざす「岩瀬まちづくり株式会社」の若き社長、桝田隆一郎さん(40)は、「江戸初期の芸術家の本阿弥光悦が京都に開いた芸術村のように、若いアーティストが集まれば楽しい町が生まれます」と、時代の長い先を見ている。

富山ライトレール

富山市の道路整備率は全国第1位、乗用車保有状況は全国第2位と、便利で快適な自動車社会をめざしてきた結果、失ったものも多かった。車社会の実現から住宅や小売店舗の郊外立地による拡散化が進み、公共交通は衰退し、高齢者など交通弱者の不便さが課題となってきた。今後も、交通弱者の医療や介護、福祉などの費用負担も増大することが予測される。森富山市長は利便性や効率の良い町を実現するために、コンパクトシティをめざそうと考えた。

富山駅と岩瀬地区を結ぶJR富山港線は、高度成長期には、重化学工業地帯の産業の動脈として重要な役割を果たした。しかし、工場の撤退や縮小等が続き、岩瀬地区の人口は1975年の8365人から、2005年には4138人となった。過疎化が進んだ結果、富山港線の1日の利用者は、1989年の6399人から、2002年には3430人と半減した。富山港線の廃線が決まったとき、地元の有志が由緒ある岩瀬の地域再生にはLRT(ライトレールトランジット)が不可欠と、森市長に働きかけをした。すぐに、市長はドイツなどヨーロッパのLRTを自費で視察に行き、地域再生はこれだと思い、実現に向けてすばやく行動に移した。

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【ポートラム】

富山市は、2003年度に富山港線のLRT化を決定し、2004年4月には富山ライトレール株式会社を設立する。市が施設を整備し、第三セクターが事業に責任を持つ公設民営方式である。富山駅から岩瀬まで総延長7.6キロメートルを、富山ライトレールとして再整備し、2006年4月に開業した。総工費は約58億円。スマートな超低床車輌「ポートラム」は静かに滑るように走る。電車は欧風スタイルを取入れ、グッドデザイン金賞など多くの賞を受賞した。駅ホームは地元の企業の協力を得て、地域の文化や歴史がデザインされた楽しい空間になっている。

ポートラムの洗練されたデザインの車体は乗っていて気持ちが良い。利便性も良くなって、1日上下約132本の運行本数で、朝のラッシュは10分間隔、昼間から20時までは15分間隔、終電も23時34分と、快適な公共交通となって甦った。15分なら待てる時間であり、終電も遅いので利用者は増加する。運賃は200円だが、昼間と週末はお試し料金100円で、乗客はみな楽しそうである。

2005年の調査では、平日利用者が2266人、休日利用者は1045人と激減していたが、LRT導入後は倍増して、5000人の乗客があり、2007年1月までに130万人が利用した。当初は年間2000万円以上の赤字が出ると見込んでいたが、半年の中間決算で2600万円の経常利益が出たほど。今年の4月からはお試し料金がなくなり、利用者は減るかと心配しているが、魅力的な動く景観の価値は高く、人気は続くだろう。

由緒ある岩瀬の建造物群

岩瀬の歴史は、古くは905年に醍醐天皇が編纂を命じ、927年に完成奏上された延喜式にも登場する。室町時代には「廻船式目」(日本最古の海法)によって三津七湊の一つに数えられる北国廻船の重要な湊でもあった。「廻船式目」は中世のみならず近世に至るまで、法としての生命を持ち続け、岩瀬は江戸時代には北前船が寄港する交易地として繁栄した。

現在の町並みは明治6年に、フェーン現象等による大火で、約1000戸あった家屋の内650戸が焼失した。当時は、五大家を中心に回船問屋が最盛期だったため、江戸時代の伝統的建築は失われたが、岩瀬独自の「東岩瀬回船問屋型」家屋として再建された。明治後期には、岩瀬独自の「防火土蔵造り型」家屋も考案され、当時の優れた建築技術で建てられた伝統的建造物がずらっと並んだ。

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【桝田酒造店】

また、五大家のひとつ馬場家の馬場はるさんは、明治19年生まれで、富山県に初めて高等学校をつくった人である。富山県には旧制高校がなかったので、旧制富山高等学校の創設のために、当時の富山県予算の7分の1に相当する寄付をした。社会貢献する風土は岩瀬や富山の地域遺伝子である。

時代は過ぎて、回船問屋五大家である宮城家、馬場家、米田家、森家、畠山家の事業は衰退し、豪華な建造物は空き家となって過疎化も進んだ。独特の建築様式をもつ「東岩瀬回船問屋型家屋」がある大町新川通り(旧北国街道)は寂れて、商店街といえないまでになった。

明治39年創業の造り酒屋「桝田酒造店」の後継者で当事専務だった桝田隆一郎(現在社長)さんは、自分が育ったころと比べ若者が出て行き、寂しくなった岩瀬を、子どもが大人になった時、定住したいと誇れる町にしたい、歴史的資源を活かした魅力ある町を創りたいと思った。JR富山港線の存続問題で揺れ動いていた2001年、個人やグループ会社で空き家や土蔵の買い取りを始めた。ライトレール化が決まった後、2004年、正式に「岩瀬まちづくり株式会社」を設立した。

町民文化のまちづくり

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【丹生庵】
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【歌う蕎麦屋さん】

桝田さんは、最初に購入した旧材木店を修復再生し、2001年に富山市稲荷町で店を構えていた有名な蕎麦屋「丹生庵」に入居してもらった。いい材を活かしたすっきりした内装で気持ちが良い。店主の志甫克芳さんは歌う蕎麦屋さんで、店先にはスタンウェーのグランドピアノが置いてあり、弾き語りを聞かせてくれた。もちろん、手打ち蕎麦は絶品で旨い。11時から開店し、昼には売り切れとなってしまうが、志甫さんの仲間に入ればいつまでも付き合ってくれる。蕎麦は売り切れても人情のある楽しい店だ。

桝田さんは、「観光客はこうした遊びができないからつまらないと思う。人間的なつきあいができる町をめざしたい」と話す。

100年前の旧回船問屋・森家がニシン貯蔵庫として使っていた4棟連なる土蔵群の老朽化が進み、取り壊しを検討していたので、桝田さんはこれを購入した。間口10メートル、奥行き60メートルの建造物の土壁は、竹や縄を使って本格的な修復再生をしている。入居者は酒屋や蕎麦屋、ガラス工房、陶芸工房。修復再生には既存の骨格をできる限り利用した伝統的工法と随所に光るモダンなセンスが融合し、新しい岩瀬ウエーブが生まれた。

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【森家】
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【土塀の修復1】
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【田尻酒店】
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【土塀の修復2】
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【ワインセラー】
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【なかじま屋】

酒屋は「酒商田尻本店」で、販売酒は桝田酒造店のお酒だけでなく、各地から集めた日本酒や焼酎、世界のワイン約15000本がきちんと貯蔵されている。18メートルにも及ぶ大きなガラスには紫外線の透過を1パーセント未満に抑えるフイルムが張られて、お酒をいい状態に保つとともに、美しく一堂に見せる仕掛けには感動がある。

酒屋の奥には、世界演劇祭や蕎麦の村づくりで有名な南砺市利賀村の蕎麦屋「ごっつお館・なかじま屋」が入居している。桝田さんは、「造り酒屋は保存が下手なので、田尻酒商さんに満寿泉を上手に貯蔵してもらっています。蕎麦屋は知的な雰囲気があるので、この地にふさわしいのです」と語る。

伝統的建造物が岩瀬芸術村に

修復再生した森家土蔵群には、ガラス作家の安田泰三さん、越中瀬戸焼作家の釈永岳さんの工房がある。2人が居住する家は200坪近い建造物で、ギャラリーも併設している。工房で作った作品を観光土産店のように売ると、俗化して安っぽくなるので、インターネットや都会の個展で販売するように心掛けている。

安田さんは旧馬場分家を修復再生した建造物を購入し、釈永さんは旧江尻家を修復再生した建造物を賃貸で借りている。2軒とも、開き戸タイプの大戸(おおど)や竹の簾でできた出格子「簾虫籠(すむしこ)」などの特徴ある意匠を復元した。丁寧な職人仕事である。2005年から5ヵ年間と限定された「まち並修景等整備事業補助制度」を活用して、空き家の再生工事を進めた。

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【ガラス細工工房】
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【釈永岳さん】
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【安田さん】
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【簾虫籠(すむしこ)】

修復再生をする12人の職人たちをまとめているのが「大工一元」の新迫弘康さん。新迫さんの家も桝田さんがお世話をし、岩瀬に居住している。岩瀬には「普請道楽」の気風があり、毎日、朝から晩まで職人が働いている姿を見ることができる。

これから岩瀬に移り住む芸術家は、漆芸作家の橋本千毅さん、井波出身の木彫作家の岩崎勉さん、家具職人などが決まっている。桝田さんは国内外を歩き、いいものやいい町を見てきたので、「目利き」であり、作家にはその作品評価力が魅力となっている。桝田さんには良質なものを見極める目があり、人や資金を集めるマネージメント力があることから、芸術家村は自然に広がっていく。

大きな伝統的建造物の修復再生はさぞかしお金もかかろうと、桝田さんに聞いてみた。「都会のマンションより安いのです。土地建物は2000万円くらいとして、再生修復は職人が日当でしてくれるので安くつきます。だから若いお金の無い作家には、家賃6万円程度です」。

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【大工の作業】
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【大工の新迫さん】

また、「市の補助金は中古建造物の修復に助成するだけでなく、建造物外観等の維持・保全を継承するなら、譲渡もできます」。伝統的建造物を残す歴史や文化のまちづくりへの意志の強さが、住民と行政協働事業に発見できる。

若い桝田さんがこうした修復再生事業に取り組んで、成功を収めつつあるのは、「親父の代からの信用もあり、空き家も売っていただけました。先祖代々の信頼こそが財産です」を心掛けているから。これまでの実績は、約110筆を購入し、約40筆を売却済みである。手間・暇・お金がかかる労多い仕事であるが、基本的には岩瀬まちづくり株式会社は赤字にはなっていない。

企業側でも、北陸銀行岩瀬支店では、岩瀬独自の意匠を取り入れ、簾虫籠のある休憩スペースを作り、板壁を使用し、かつての商家風に改修している。富山商工会議所岩瀬支所は、駐車スペースに瓦屋根の木造ポーチを設置し、窓に格子を設けるなど周辺の景観に溶け込むデザインを行った。また、老舗の磯料理旅館「松月」が明治期の巨大な建造物を修復増築し、繁盛している。北欧の上質舶来物を販売する老舗洋品店「天下堂」は、深曳漁業の名残の土蔵を改装して、ティールームも併設して人気を呼ぶなど、魅力的な界隈が時間を掛けて修復再生されている。

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【北陸銀行】
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【松月】
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【天下堂】

大町通りではLRTの開通に合わせて軒裏配線を行い、無電柱化が実現した。これまでは岩瀬曳山車祭の山車は高さが制限されてきたが、2006年5月に行われた祭では、無電柱化によって明治36年以来、約100年ぶりに高さ18メートルの壮大な山車が曳き回された。

桝田さんは、「こうしたことが実現できたのは、五大家末裔の北陸銀行頭取の故・米田寿吉さんなどのネットワークがあったからで、企業や行政にまちづくりへの真意が即座に伝わったのです。このネットワークとは謡の仲間なのです」。奥の深い話である。

永らえる地域づくりは人材育成から

地域には賞味期限がある。富山市岩瀬は、かつて北前船の港として繁栄し、その後陸送の時代となり寂れてしまった。近年、LRTの整備がされ、由緒ある町は、アートや新しい装いをまとい、魅力ある町並みに生まれ変わってきている。

こうした永らえる地域づくりの基本は、長期的な視野に立った人材育成にある。

大工職人の新迫さんは、富山県が1996年4月に開校した、大工・家具・建具および造園・園藝のプロ(職藝人)養成をめざす専門学校「富山国際職藝学院」(現・職藝学院)の卒業生だ。森家土蔵群の修復再生工事は、2004年、富山国際職藝学院の上野幸夫教授の監修のもと、建築職藝科寺社コースを中心としたチームによって実施された。大工の棟梁の新迫さんは、酒蔵のアルバイトに来ていて、熱心さが買われ、旧・材木店(丹正庵)の修復再生を任され、全力を出し切って仕事をしたことが評価され、桝田家御用達となった。きっかけとなり、住み着いた。新迫さんを慕って、富山国際職藝学院の卒業生が中心となって集まってくる好循環が生まれている。

ガラス作家の安田さんは、富山市が設立した富山ガラス造形研究所の出身生だ。1985年、富山市が市民大学の中に「ガラス工芸コース」を設置し、1991年に「富山ガラス造形研究所」を設立した。この卒業生の9割がガラス作家として活躍していることもあり、世界的に高いレベルの評価を得ている。もともとは富山市に新しい文化を根付かせようと、元市長がガラス工芸に焦点を絞って、人材育成を始めたことが、いまだに続いている。造形科の修業年限2年・入学定員16人、研究科修業年限2年・入学定員4人と少数教育で、授業料も年約24万円である。富山市だけでなく全国から募集している。世界的に活躍する野田雄一教授の熱心な教育や活動もあり、小さな教育機関ではあるが質は高い。野田先生は、桝田さんに安田さんを紹介し、岩瀬に移住した。

人材育成にはお金がかかると思って、野田先生に質問をした。笑顔で答える野田先生。「この研究所の作品のレベルが高いこともあり、市民や企業などが作品を購入し支えてくれるため、市の負担は1億円程度です」。全国にはガラス工芸を活かした地域づくりは数あるが、観光地として名前は知られてはいるが、地域の文化資源を創造するために、人材育成に長年努める行政はほとんどない。富山市では、人材育成が誇りある地域文化や歴史を創造し、安定して永らえる地域を実現している。

「自腹を切らず、苦しいから誰かに助けてもらいたいと思っている地域には再生の道はない」と桝田さんは語る。専門性を持ちマネージメント力のある人材育成は地域再生の基本である。

地域の資産価値を高める

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【桝田さん.】

ドイツに留学していた学生に聞いた話である。「日本とドイツの学生の違いは、ドイツの学生は日本人と違って自分が生まれ育った町に誇りと愛着を持っていることに気がついて、自分が恥ずかしくなった」という。

日本では地方の若者が東京圏の大学に入学すると、卒業後、ふるさとの田舎に戻る人は少ない。親とすれば帰ってきて欲しいのであるが、仕事がないから仕方ないと語る。親も子孫のために自分の地域に投資をしていないし、従って仕事も資産も創造されない。将来の地域のために、自分の町に投資をして資産価値を高めることが、いまこそ求められる時代はない。地域にお金が使われることで、地域の文化や生活が継承される。

地域の資産価値とは、まず人材資源にあり、環境資源、歴史・文化資源、経済資源、そして社会関係資源(人間関係資源)である。現在、繁栄している東京圏の価値は高いように見えるが、長い時代を超えて、地域の資産価値になるかどうかは分からない。一時的なお金や不動産は、長い時代の中で災害や時代の潮流が変化し、その価値を失うこともある。

岩瀬では、いつの時代にあっても、地域遺伝子である地域貢献が働き、環境資源、歴史・文化資源への経済的な投資を通じて、職人や芸術家など人材育成し、そして社会関係資源をより豊かにし、地域の資産価値を高めているようだ。


  • (写真協力)山崎正治(北陸経済研究所)
  • (参考文献)「富山港線LRT化の整備効果に関する研究会」報告書 平成18年3月 国土交通省・地域整備局
  • 「町並み修景等のガイドブック」 富山市都市整備局都市計画課
  • 「岩瀬 回船問屋群のまちなみとLRTによるまちづくり」事業概要 富山市都市整備局都市計画課
  • 「LRTによる岩瀬町再生について」 新都市Vol.59 No.10 2005年 財団法人・都市計画協会 

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