新住民の参加を得て、新しい地域経営に挑む

大町市美麻地区

推奨:元気なまち  鈴木輝隆レポート

 第2ステージを迎えた地域づくり

平成の大合併後、地域経営の主体は大きく変化した。自治体は財源難からコストと効率性を求めて、拡大し続けてきた行政サービスを見直し、行政施設は指定管理者に、観光事業は民間に移行するなど、新しい仕組みと人材を必要とする時代を迎えている。

地域自治組織は、現在そのほとんどは機能していない。市町村合併を促進させるために、小さくても主体性と誇りを持てる自治の保障として提案されたはずが、住民と行政との役割分担がはっきりしないことや、地域計画や合意形成の手法などの自治システムや財源の確保などにおいて明確な制度設計がないことなどが要因となっている。地域審議会や地域自治組織は存在価値がうやむやとなり、首長の恣意的な判断に任されている状況にあり、有名無実なものとなっていることが多い。支所機能の強化も志向されたが、決裁権がないこともあり、責任ある仕事は減少し縮小閉所の傾向にある。一時的な行政の対応では継続性は保証されないことが証明されている。

かつて地域づくりは、箱物からイベント、文化施設や観光施設、生涯学習として趣味や生きがいまで、国の財政的な支援もあり、自治体が中心となって進めた。しかし、行政が市場中心の効率重視の政策に舵を切ってからは、限界集落や福祉、教育、自立経済への対応などの地域課題の解決を、行政任せではなく住民自治やコミュニティ力で解決するしかない時代となった。厳しい現実に立ち向かう「地域づくり第2ステージ」のこの時代には、新たな才能を持つ人材と新しい互助の仕組みが必要である。

市町村合併を機に、住民の半数近くを占める新住民と在来住民がお互いの価値観の違いを認め合うことから、ともに知恵を出し模索する中から、厳しい現実の課題に取り組んでいる大町市美麻地区の話をしたい。

 北アルプスが一望に眺められる大町市美麻地区

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【美麻の風景】
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【新行高原の蕎麦畑】

大町市は山岳の町として知られ、中部山岳国立公園・北アルプスの名峰が聳え立ち、立山黒部アルペンルートの黒部ダム、仁科三湖「木崎湖」「中綱湖」「青木湖」の水景観、雄大なスキー場、葛温泉など温泉郷など、日本を代表する観光地のひとつである。

美麻地区は雄大な北アルプスの景観を遠くに望み、のどかな自然に包まれた農村風景が気持ちをゆったりさせる。美麻の名前は麻の産地であったことに由来している。特産品は気候と地質が栽培に適している蕎麦が有名で、良質の蕎麦を活かした「新行そば祭り」には各地から多くの人びとが訪れる。観光地ではないが、信州のさわやかな田舎の魅力がしみじみ感じられる純朴な地域である。

 新住民の参加で新しい山村が誕生

旧美麻村は、2006年(平成18年)1月1日、隣接する旧八坂村とともに大町市へ編入合併した。05年当時の人口は1,239人(1,155人:08年1月1日)、高齢化率は30%、地区別では20%~45%、高齢化に悩む過疎の山村であった。現在の美麻地区の人口構成に特徴があり、人口・世帯ともに約5割近くが、平成以降のIターン者とクラインガルテンを利用する二地域居住者が占めている。

昭和30年代中頃から、人口流出が進み、集落機能は低下し、行政がこれを肩代わりし細かく対応してきた。集落の仕事を行政が代替した結果、更なるコミュニティ機能の低下を招くという悪循環が続いた。

新たな住民が増加したのは、過疎対策として、91年(平成3年)から01年までに村営住宅31戸を建設したことに始まる。外との関係が築かれてきた歴史は、80年(昭和55年)に米国カリフォルニア州メンドシーノ郡メンドシーノと姉妹都市提携を結び、92年から隔年で相互訪問による交流事業を開始し、さらに旧八坂村にある財団法人「育てる会」が行なっている山村留学生の受け入れもスタートするなど、よそ者に対しての寛容性が地域の矜持となり、住民のメンタリティの強化につながっている。

95年には宅地分譲整備を26区画行い、新住民が入居した。97年には年間39万円で借りることができる滞在型市民農園の「ふたえ市民農園」の49区画が完成、04年には「おおしお市民農園」の36区画が完成し、すべての区画に入居者があり、予約待ちもあるほど人気を博している。クラインガルテンは各地で整備が進んでいることもあり、競争相手が増加することで、影響を受け始めている。

美麻地区の滞在型市民農園の平均年間利用は約130日で、二地域居住の代表的な例となるほど、新しいライフスタイルが定着してきている。移住者と二地域居住を合わせると、人口の43%になる。表「昭和50年代以降の人口の推移」から、美麻地区の人口構成は、平成に入ってから、在来者が急速に減少し、移住者や二地域居住者の増加で補っている状態である。世帯別構成を見ると、在来者では若年層が少なく、50歳以上が42.8%と高年齢化している。移住者は、10代では山村留学で、20代から50代と比較的な若い人は移住者が多く、50、60代は二地域居住者が多いことが分かる。

地元住民と新住民の間は、打ち解けあう機会が少ないこともあって、最初は助け合う状況ではなかったが、合併の準備段階で、コミュニケーションの場ができたこともあり、在来住民と新住民が価値観の違いを認め合うことにより、新しい農山村が誕生し始めている。

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 メンドシーノ国際交流

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【メンドシーノ交流1】
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【メンドシーノ交流2】
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【メンドシーノ交流3】

美麻地区の個性が育っていくのは、米国カリフォルニア州メンドシーノとの国際交流事業にある。80年に姉妹村を締結して以来、美麻村の小学校5,6年生全員がメンドシーノを隔年で訪問し、同じようにメンドシーノの子どもたちが美麻を訪れる。高齢化の進む村において、世代を超えて多くの支持を得ているこの事業は、クラフトマンである移住者の提案によって始まった。メンドシーノは、サンフランシスコなどの都市部から制作の場を求めて移り住んだアーティストやクラフトマンが多く、ギャラリーも数多く存在するアートの町である。美麻地区は早くからクラフトマンが移住し、芸術や文化に対して寛容な山村であったことが、新住民の価値観を受け入れやすい柔軟な土地柄を築いていた。

旧美麻村は国際交流事業を進めるにあたって、異文化交流の経験のある新住民にボランティア協力を求めた。ボランティアグループは公式に認められることで、ホームスティのコーディネートや計画立案に関わるほか、交流促進のための英会話教室開催や、民間レベルでの留学生・高校生通年の派遣・受入を行うなど積極的な活動を行なった。この中心人物は旅人民宿「しずかの里」を経営する前川浩一氏であり、住民レベルで意味のある国際交流事業が実現できるのは、彼の存在が大きい。

新住民はこうした公の役割を果たすことによって、存在価値が認められた。交流の少ない山村地域にあって、子どもが主役となった国際交流は、未来への可能性を感じさせる希少な事業である。

メンドシーノ訪問には参加者の一部自己負担を求めるが、多くの費用は行政の補助金で賄っているため、合併後、この事業が継続できるかが、合併の大きな判断材料と考える旧美麻村民も数多く、この交流を持続させるためには、住民と行政が一緒に合併後の住民自治を検討する場が必要であるのは当然であった。

04年4月、合併に向けての地域自治組織の検討は、「多くの村民が関心を持つメンドシーノ交流事業を柱として進めるべきだ」と考えていたボランティアグループの代表が村長を訪ね、勉強会の開催を要請した。05年には、この交流事業に対する住民の客観的な評価を得るために全住民アンケートを自発的に行い、交流事業の認知度や参加状況、意識の変化などについて調査を行った結果、継続への高い評価を得て、大町市との合併後も重要な事業として位置づけられ、継続することが決まった。

小さな地域で頑張って継続してきた子どもに夢や希望を与える海外体験は、コミュニティでの教育への高い精神性の象徴である。この事業の継続がなかったなら、美麻地区の住民は誇りと希望を失い、現在のような元気は生まれなかったであろう。自分では何も考えていない成功事例の移し替えではなく、本気になって体験し自らが工夫して作り上げてきたもの。それは多数決の原理ではなく、少数で質を大切にする小さな山村だからでき、未来を創造する可能性さえある。

 山村留学「育てる会」

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【山村留学】
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【山村留学田んぼ草取り】

美麻地区のもうひとつの誇りは、大町市と合併した旧八坂村が始めた自然・生活体験教育を目的とした「山村留学事業」がある。実施している団体は、68年(昭和43年)に任意団体「育てる会」として発足し、73年に財団法人として認可された。75年、旧八坂村に青少年自然活動センター「やまなみ山荘」を建設竣工し、翌年我が国初めての1年間を単位とした長期山村留学事業である「育てる会八坂学園」を開設し、9名の留学生を受け入れた。92年には旧美麻村も加わり、「美麻学園」を開設し、留学生を受け入れている。

99年には長期山村留学体験者総数は1500名を超え、06年には2000名を超えた。山村こそ、たくましく優しい子どもを育てる歴史を脈々と築いている。日本で初めての山村留学事業だけに、それを40年も試行錯誤してきたことはもっと評価されて良い。

この山村留学は、月の前半は「やまなみ山荘」で共同生活を行い、月の後半は美麻学園農家会の農家が受け入れ、農家から学校に通う。理想をめざす教育は、農家の誇り・地域の誇りであり、相互扶助を基本とした山村生活は留学生と地域住民に強い結びつきを生み出している。子どもたちは、歩くことを基本とした生活、小遣い、テレビ、漫画、ゲームを必要としない生活、登山、キャンプ、カヌー、スキー等の野外活動、四季を背景とした農作業などを通じて得る労働、太鼓、民舞を通じた農村伝承文化の表現活動を学ぶ。

子どもたちは進んで農家の農作業を手伝い、暮らしに必要なものは買うのではなく、農家の人を手伝い自らが作り出す。例えば、味噌を作り、仕込んだ味噌はやまなみ山荘で、子どもたちの味噌汁になる。「農の心 人を作る」が理念で、子どもは四季折々の農家の営みを通じて食文化や人とのかかわりを学ぶ。農家の里親は、「子どもに農業や山仕事など手伝わせるには相応の準備や段取りが大変なんだ」という裏話もあるが、消費社会のもつ危うさを批評できる精神はこうした面倒な努力がないと身体化しない。

私は、実際、「育てる会」を何回も訪ねてみたが、留学生の面倒を見ている教師も親身で献身的な生き方をしていて、ノウハウのあるサービスとはまったく違う意味を持つ。ここには与えられる教育ではなく、自らが考え学んでいくしかない、真似のない生活がある。便利や快適ではない厳しい自然の中で暮らすことは、友だちのところに行くときにも、携帯などもなく、車を使わず、10キロメートル以上あるのは当たり前だが、苦労するだけに、人に会うことや話すことが、人生にとって本当に大切な時間だと感じている。小さな留学生の目は輝き、個人主義を超えたやさしさとたくましさは、大きく深い人間を感じさせ、全人格的な教育はこれからもっとも必要である。

数年前の晩秋、留学生の小中学生が下校時に道に迷い、山の中をさ迷い遭難した時の落ち着いた行動は今も語り草となっている。年上の子が、動揺し弱気になる年下の子どもを落ち着かせ、夜道を迷い歩くことなく、体を寄せ集め温め合い、翌朝まで待って、全員揃って元気に下山したことがあった。留学生の冷静な判断と行動力は全国放送となり、大きな話題となったが、教育界ではこのことの意味を深く考えることはなかった。親元を離れて、自己に甘えることなく身につけた責任力と判断力、統率力などは、現代の若者が失った自分で考え行動する自然への適応能力、トラブルにもうろたえない強い精神である。ここの生活は、お金を持たず、ゲームやテレビは見ない。歩くことや考えることを大事にして、四季折々の変化の中、体で感じることを身につけ、身の回りの事項を「自己解決する能力」を日々磨いている。

現在、留学生の親自身が、子どもが行なっている自然・生活体験を経験したことがないこともあり、自発的に棚田の耕作放棄地を借りて、米作りなどを行なっている。また、「育てる会」が休暇中に実施している、1週間から1ヶ月の「短期山村留学」は人気があり、募集すると同時に満員となるほどである。こうした観光的ではない活動が可能であるのは、「長い年月によって築かれたカリキュラムのノウハウだけでなく、全国規模の育てる会のボランティア・ネットワークがあるからだ」と、職員は話す。時代の変化が激しい中、40年以上も理念を持ったボランタリーな活動が継続されてきたことはもっと評価されていい。教育とは、経済や時代を超えていく、一貫した精神や文化が存在することで、未来社会を信じることができるのである。

現在、大町市との合併にあたって、「大町市八坂美麻山村留学推進協議会」を作り、八坂学園・美麻学園の行政側との窓口になり、地域全体で取り組んでいる。農家への支援は1日800円と育てる会からの宿泊費が2200円で、合わせて1名1日当り助成金は3000円で、農家平均利用日数140日となっている。美麻学園では、08年度で17期生を迎え、受入農家2軒で8名を受入し、今年で延べ199名を数える。美麻村当時は、教育委員会が主体となり義務感で受入農家を探していたが、合併により、現在は受入農家会が自主的に動いているのが実情である。個人的な人脈だけで進める農家の確保は限界に達している。こうした善意の人に対して敬意を払わない社会を築いてきたのが日本の近代化であろうか。

 クラインガルテン(滞在型市民農園)

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【ふたえ市民農園】
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【おおしお市民農園】

美麻地区のクラインガルテンは2箇所あり、97年には、滞在型市民農園の「ふたえ市民農園」49区画が完成、04年には「おおしお市民農園」36区画が完成、併せて85区画となっている。利用料は、光熱水費や浄化槽管理費別で、年間39万円。利用期間は、1年単位(4月から翌3月まで)で5年間程度利用可能である。

「ふたえ市民農園」の1区画の平均面積は100~300m2、ラウベ(コテージ)1棟の平均建築面積は約50m2の木造平屋建て(一部ロフト付き)で、間取りはテラス・キッチン・バス・水洗トイレ暖房、倉庫、洗濯機スペースである。普通に暮らしていくには十分である。交流促進センター(管理棟)は、食堂や売店、大浴場、宿泊室、大会議室がある。宿泊室はトイレ付8畳6室で、24人まで宿泊でき、料金は1泊2食付6500円。仲間や家族が訪ねてきても大丈夫である。貸農園をもっと借りたい人は、15m2単位(全体面積1000m2)で利用でき、利用料は15m2で年間3000円となっている。

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【市民農園共同作業】
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【おおしお市民農園2】

「おおしお市民農園」の1区画の面積は300m2、ラウベは木造平屋建てで、平均床面積約40m2、各々100m2程度の菜園がついている。全棟バリアフリーに心がけ、段差の少ない構造に配慮している。いずれのクラインガルテンも空き家待ちの状態である。

歩いてみると、農園管理は野菜や花などが健全にデザインよく栽培されている。住民の交流も盛んで、農作業だけでなく朝夕のウォーキングや趣味など、楽しい暮らしがある。収穫感謝祭や味噌作り、山菜取りやキノコ取り、陶芸や野焼き、工芸展、どんど焼きや雪祭り、地域への貢献なども積極的に行なわれている。「農園だより」も出され、全国紙など新聞各紙、種や農業資材、日用品などの販売もしている。

「スーパーで買うより、毎日眺めて、知っている人の田んぼの米を食べたい」と、利用者の純粋な希望から自発的にはじまった「美麻米交流」は、ふたえ市民農園利用者自主企画の事業である。利用者の中では通年滞在する人もいて、平均年間滞在日数は100日を超えるそうである。まさに二地域居住者で、さらに移住者となるケースも出ている。市民農園経験者が宅地分譲地を求めて、終の棲家として、理想を求めて積極的に地域づくりに参加している人もいる。

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 美麻地域づくりミーティング

合併の目的のひとつに「役所組織の強化」があるが、合併しても組織が強化されない要因が職員の能力にあったとすれば、合併後の地域にマイナスの影響を与えることになる。そこで04年6月、メンドシーノ交流ボランティアと旧美麻村職員の地域自治組織の合同勉強会を開催する「美麻地域づくりミーティング」を組織化し、活動を始めた。

旧美麻村への移住者でメンドシーノ交流事業の実質的リーダーである前川浩一氏が、自身の出身校である関西学院大学教授の小西砂千夫氏に講師を依頼し、合併と住民自治についての講演会を企画した。住民の自発的な活動が、地域の未来を切り開いていくことにつながった。こうした講演は、毎回、何回も繰り返しCATVで放送される。この講演会において、「地域に残すべき事業」と「まちづくり条例」の検討をしてはどうかとのアドバイスを受け調査・検討が行われた。

7月、「地域に残すべき事業」についての住民アンケートを行った結果、20以上に及ぶ項目から、地域の特徴的事業となっている「山村留学」があげられ、これをテーマとして勉強会が開催された。

8月、北海道酪農学園大学の河合教授がボランティアで訪れ、「ニセコ町のまちづくり条例」についての講演会を、合併後を想定して大町市で開催した。講演会には、大町市、旧八坂村、旧美麻村の住民、職員、議会議員などの参加があり、関心は高まっていった。

9月、メンドシーノ交流事業についての検討がなされ、今後の交流を、現在の実行委員会を行政主体からボランティア主体に移行することや、NPO法人化するなどの意見が出された。一方、組織論の先行を疑問視する意見や住民組織としての活動に関する意見もあり、「住民自治とは何か?」の理解を促進させる必要が生じた。

10月、山梨県旧須玉町にあるNPO文化資源活用協会の「意志ある町の住民自治組織の映像記録」をCATVで放映し、その後、ビデオを企画・出演している私に、住民自治に関するボランティア講演会の依頼があり初めて美麻を訪れた。合併協議が停滞している時期であったため、職員の意識改革を促す内容の研修会も併せて実施したが、住民と行政が未来に向けて真剣に考えていることに感動した。

11月、同じような課題に取り組んでいる、新潟県旧高柳町に「合併後の住民自治のあり方について」の視察を実施した。この頃から、美麻地域づくりミーティングとしての役割を「自ら活動する」との精神から、地域の様々な団体や活動を「結びつける」活動へと変化させていった。

12月、合併協議会において、9月から継続審議されてきた「地域自治組織」の内容が承認され、合併後の地域のあり方について方針が示された。合併協議の初期の段階では、組織論によって合併前の状況を担保しようといった理解をしていた訳だが、地域内分権や住民自治を突き詰めて検討していくと、組織によって担保はできないという結論に達した。いかに強力な組織論を用いようとも、地域住民の活動に裏づけされない組織は機能しない。これを行政が補完するようであっては、従来の手法を合併後も継続するだけで、合併した意味がないと考え、住民主体の地域自治組織をめざすことになった。意志ある地域は、国の制度をそのまま受けるのではなく、自ら考えた組織作りをめざした。

 国土交通省地域振興アドバイザー派遣事業

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【アドバイザー事業】
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【フリーマーケット】

05年3月、合併後を想像するために、40年前の昭和の大合併で長野市の辺境となって疲弊した町を住民自治から再生した長野市松代町を訪ねた。NPO「夢空間・松代のまちと心を育てる会」事務局長の香山篤美氏は、住民自治のまちづくりの実際を親身になって話した。以降、地理的に近いこともあり定期的に同地を訪問し、松代の町並み探訪と併せて多くの住民が参加しやすい「まちづくりを学ぶ視察ツアー」に参加することで、具体的な目標ができた。

合併に向けての地域自治組織を、合意形成の上に、どのように作っていくかを、一緒に考え創出するため、7月から3回に亘って、国土交通省地域振興アドバイザーとして、ニセコ町片山健也氏と私が、美麻村地域自治組織設立準備委員会に派遣された。

旧美麻村で検討したいと考えていた内容は、合併後の地域において、設置される「地域自治組織」を活用して住民自治を実現し、地域政策の実施に際しては住民が主体的に参加できる新たな合意形成の仕組みを作ることであった。「住民自治」の原点を学び、地域自治組織の制度設計などを議論し、具体的な実現に向けて話し合いが約100回も行なわれた。新旧住民がほぼ同数だけに、お互いを理解し合う時間も必要だった。これまで行ってきた国際交流事業や、山村留学のような思いやりのある土地柄や心意気は地域の精神としてしっかり根付いていた。

7月には、新潟県上越市安塚区の住民自治組織の視察研修に、住民と行政が一緒になって参加。8月には、地域自治組織設立準備委員会委員と役場職員が参加し、小布施町を視察研修した後、小布施町職員と一緒に、片山健也氏のニセコ町のまちづくり条例などを学ぶなど、ライバル意識もありモチベーションにつながった。

合併後も続けたい事業として選択した、「メンドシーノ交流事業」「ケーブルテレビ」、「村のホームページ」「市民農園の運営」などの活動について、今後どのように継承していくのかを話し合い、自分たち仕様の地域自治組織の制度設計は完成した。委員会では、難しい立場に立った下條秀則会長、人一倍地域を愛して持論を構築する前川浩一委員、相手の立場や社会的な視点からものごとを考えることができる職員の大塚裕明氏が、粘り強く進めた。時には、お互いの気持ちを共有できなくなった状態も生まれたが、異なる価値観を認め合う日が来ると信じて進めたことが成果につながった。地域自治組織は、移住者を含めての定住人口だけでなく、市民農園の二地域居住者や情報交流人口も含めてのオープンにした社交の場で議論されたことは特筆すべきことである。

また、美麻地域づくりミーティングでは、11月の村文化祭を公民館におまかせから住民参加型の内容への移行を視野に入れて、メンドシーノ交流事業の活動資金確保を目的に、ボランティア主催のフリーマーケットを実施したところ、例年の4倍の入場者となった。さらに、交流事業を住民主体の事業として継続するために、合併する大町市や旧八坂村の住民との交流の促進や、市民農園利用者と訪問団の交流するワークショップの実施等を企画・実施した。

国際交流事業の今後のあり方と、過去の事業効果を検証するために、全住民アンケート調査を実行委員会に提案し、12月に実施した。交流事業は、参加経験のある人だけでなく多くの住民からも評価され、結果は広報などを通じて発表した。自分たちの事業を自己満足することなく客観的に評価したことは、住民の温度差をなくし信頼につながり、自らも謙虚にした。

 地域自治組織(美麻地域づくり委員会と美麻地域づくり会議)

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【みあさづくり通信】
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【クラフト国際交流1】
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【クラフト国際交流2】
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【クラフト国際交流3】

大町市との合併は06年1月1日に行なわれた。美麻地区の住民の声が届かなくならないように「美麻地域づくり委員会」が設置された。この委員会は、合併市長との諮問・答申だけになる可能性があるので、住民が自由自在に使うことができる「美麻地域づくり会議」を制度化した。

06年6月には、「第1回地域づくり委員会」が開催され、市長から各委員に委嘱状が渡された後、会長(下條秀則氏)副会長(小林勝則氏)が選出された。現在、予想していた通り、委員会が活用されることは少ない。住民自治の実働部隊としての「美麻地域づくり会議」は06年5月に設立され、会長は、設立準備委員会において、地元住民と新住民とが分け隔てなく真剣に議論する場を支えた合津富吉氏がなった。自分たちが作った住民自治の制度設計はほぼ認められたが、これをどう活かしていくのか、まだよく分かっていなかった。

地域づくり会議で決定した意見や提案を、地域づくり委員会や支所を通して上げても、必ずしも行政に反映されるわけではないとの認識はあったが、何よりも住民の意思を行政に示すことが大切であり、住民自らが活動するための共通の場が必要であった。現状ではまだ十分に活用できていない状態であることは仕方がない。

地域づくり会議には約40団体と多様な個人が参加し、役員は会長、副会長、部会長、会計、監事であり、専門部会を3つ設けた。3専門部会とは、「広報部会」「事業部会」「研修部会」である。

「広報部会」は、コミュニティ広報紙「みあさづくり通信」を隔月発行し、「広報おおまち」に掲載されない美麻地区の情報や、支所からのお知らせなどを掲載している。予算は当初32000円/号、印刷部数は700部で発行し始めたが、19年度からは印刷機の導入により発行費用は4分の1程度となった。現在まで12号が発行され、住民のコミュニティ情報の共有に寄与している。広報やホームページ(美麻wiki)の作成・更新は、前川浩一氏や移住者でIT会社に勤める佐藤潔氏のボランタリーな努力により担われている。インターネットが山村のコミュニケーションの活性化に役に立っている好例といえる。

「事業部会」は、花いっぱい運動への苗提供や「やまびこまつり」(市民祭り)への参加など、イベントや祭りの実施が中心である。地元住民と新住民が積極的に協力し合って、農業や環境整備、クラフトなど文化イベントも行なっていることが特徴となっている。昨年は、メンドシーノ姉妹都市交流実行委員会と共催で「クラフトと国際交流de美麻い~とこよっとくれフェア」を実施するなど、異文化交流は山村に新しい文化を育て、未来への可能性を育てる装置となっている。

「研修部会」は、住民自治や地域活性化などについて自らが学び、パワーアップを図っていく部会。地域づくり講演会をNPO山里舎と行うなど、住民の活動も支援する。

なお、平成19年度より研修部会の機能を見直し、現在では広報部会、事業部会に再編した。

活動の財源には、大町市から地域自治組織交付金(100万円)が交付されているが、07年度から、会費を自治会加入世帯300円/戸とし、08年度からは団体会員500円とするほか、活動に協賛する人からの協賛金を募り、自主財源の確保に努めている。

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 美麻地区住民の計画への参画

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【コミュニティセンターのバスターミナル】
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【バスターミナル2】

旧美麻村の庁舎が老朽化し、新しい美麻支所の建設をすることなった。支所を住民活動に活用できる施設にするために、美麻地域づくり委員会と美麻地域づくり会議、公民館運営審議会、地域住民が検討の場に参画し、施設内容、レイアウト、施設構造までを提案した。設計業者の決定にあたっても、市の設計業者選定審査委員会に地域住民の代表3人を入れるなど、積極的に関わることで、使いやすい施設をめざした。07年12月に完成したコミュニティセンターは、大町市美麻支所や公民館、図書館で構成され、住民の活動の場所も確保され、広報などの印刷機も設置された。

コミュニティセンターに隣接する診療所や保健センター、デイサービスセンター、CATV施設、情報交流施設に加えて、バスターミナルも設置され、コンパクトなコミュニティ・サービスの拠点が誕生したことで、住民自治実現へ一歩近づいた。

市の機構改革により、支所は08年度までは部長級の支所長が配置されるが、09年度から課長級になり、職員も減員となる予定である。行政組織の縮小は、住民自治による地域経営力が試される挑戦の時代を迎えている。

大町市街地と美麻地区を結ぶバス路線の時刻の見直しにも、「美麻地域づくり委員会」が参画し、住民アンケートを基に路線・時刻の提案を行い、4回の協議を経て決定した。運行本数に0.5回から3回と格差のあったものが、ほぼ全地区において5回となった。これまで白馬村からJRに乗り継がなければ市内に行けなかった路線が、大町市の中心部に直結し、さらに始発や最終運行時間の延長など、市と合意を得て、住民の利便性を格段に高めた。住民が参画することにより、地域の問題解決をより現実的・説得力のあるものとしている。

 指定管理者制度と住民ディレクター

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【住民ディレクター】

「地域づくり会議」の広報活動にはメディアの存在が欠かせない。これまで美麻地区では、CATVの活用が住民の情報共有に大きな役割を果たしてきた。06年度、大町市が示した指定管理者制度導入を検討する施設として、情報交流施設が対象となった。さらに、CATVを運営してきたスタッフ(Iターン者)が、一身上都合からニュージーランドに帰ってしまった。情報発信を住民主体で行なえないかと、住民による地域情報の取材や編集まで行なう住民ディレクターの養成をめざしている。

07年10月、熊本県山江村の住民ディレクターの松本佳久氏を招き、講演と実際の方法を学び、08年2月には、住民と職員が山江村に研修に出かけた。このときにボンネットバス「マロン号」に乗せてもらったことをヒントに、大町市エネルギー博物館が所有しているボンネットバス「もくちゃん」(木炭バス)を活用し、エコ時代の地域のシンボルを作ろうとしている。博物館と協働し、木質バイオマスを活用した木炭バス運行プロジェクトの実現に向けて交渉を始めた。

大町市や美麻地区では菜種油の生産で共通していることもあり、08年5月、大町市で開催される全国菜の花サミットに合わせて、マロンテレビ局員を講師に迎えての住民ディレクター養成講座を実現させようと準備を始めるなど、住民自治の交流も行なっている。住民主体の地域連携は、地域再生をめざす地域づくり第2ステージの重要なキーワードとなる。国や行政は、こうした新たな公の地域連携を支援することも大事な時代となってきた。

「ぽかぽかランド・美遊」(道の駅を含む温泉宿泊施設)に指定管理者制度導入の答申がされたが、まだ、住民自治組織が十分に育っていないこともあり、県外の業者が指定管理者となり経営している。まだまだ住民の力を結集するには時間がかかる。

「麻の館」(麻の資料館、観光施設)は、指定管理者制度が導入され、地域住民が新たな組織を作り、地域の女性が中心となった施設経営を行い、美味しい蕎麦やおやきで評判になって集客・売り上げともに上昇し、黒字経営を実現できそうである。市民農園、診療所、中村家は、現在市直営となっているが、いずれ住民自治力をつけて、指定管理者となりたいという希望をもっている。違った価値観をもっている住民が存在することで、得意分野が広がり、マネジメント力が付き、枠にとらわれない柔軟な発想が生まれてきている。

 美麻地域づくり会議 地域づくりシンポジウム2008・美麻発新

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【地域づくりシンポジウム】

08年1月、美麻地域づくり会議は、「地域づくりシンポジウム2008・美麻発」を新しい美麻公民館で開催した。合併後2年経過した美麻地域づくりの検証と今後の住民自治組織を考えることがテーマであった。

「平成の大合併と合併を契機に進めてきた地域づくりの検証」と、「国の進める住民本位の分権型社会に対応する地域コミュニティのあり方」について、美麻地区の地域づくりに継続して、支援や助言してきたアドバイザーである関西学院大学教授の小西砂千夫氏、ニセコ町の片山健也氏、私も招かれてシンポジウムを開催した。

美麻地域づくり委員会の課題は、大町市からの課題など投げかけられないと、毎年同じことの繰り返しとなり、次の一歩が踏み出せないこと。足元のコミュニティ崩壊の可能性もある限界集落の現実を見据え、将来、自立へ向けての課題の発見や住民の夢や希望の共有へ、10年先の地域のあり方を考える「コミュニティプラン」の作成に取り組むことなど、短期的な課題解決や長期的な理想をめざすものを組み合わせて、住民と行政の契約締結から永らえる地域づくりへ、忍耐強い取り組みなどの発言があった。

 地域で話し合って決めるシステム

地域自治組織は、合併を契機に、全国各地に作られたが、有名無実のものとなり、住民自治の実現となっている組織は少ない。首長の諮問機関と位置づけられているが、ほとんど諮問はなされていない。美麻地区の自立的な住民は、自ら責任ある組織としてNPOなどを設立する例もでてきた。

地域自治組織に、先の見える熱心な持論を展開できる前川浩一氏のような人材がいるかどうか。行政側にも、住民への目線が低いが、一歩先が見え、行政業務に精通しただけでなく、戦略的な企画立案ができる大塚裕明氏のような職員の存在は大きい。人材を活かしたり、育成することは、小さなビジネスができる場を行政が提供していくことで可能となる。そして、大切なことは、地域で話し合って決めるシステムを持つことである。美麻地域づくり委員会や美麻地域づくり会議は、今後、こうした役割を果たせるかどうか、見守っていきたい。

また、地域にある未利用の資源(地域資本)、耕作放棄地などの環境資本や、継続できなくなってきている祭りなどの文化資本を、新住民に活用させることも必要である。新しい芸術・文化、クラフト展など、新住民などの参加を得れば可能である。市民農園など二地域居住者を活かしていくことから、新たな文化や活力が生まれる。

新住民は地元住民のこれまでの地域づくりへの敬意を、地元住民は地域が抱えている課題への新住民の参加や協力を得るなど、お互いの寛容性が大切である。こうした相互コミュニケーションを活性化するには、コーディネーター役の行政の役割は大きい。行政は「新たな公」をいかに育てていくことができるか、住民自治組織の役割のひとつだと思う。



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