強い経済を取り戻す-政策運営に求められる「戦略」

  • 伊藤 元重
  • 経済財政諮問会議議員、東京大学教授、総合研究開発機構理事長
  • 聞き手:内閣府大臣官房審議官(経済社会システム担当) 豊田 欣吾

安倍内閣の経済財政政策と経済財政諮問会議の役割

― 今日はお時間をいただきまして、どうもありがとうございます。

昨年12月に安倍政権が発足いたしました。それに伴いまして経済財政諮問会議も今年の1月から再起動ということになりました。伊藤教授には民間議員にご就任いただいております。その関係で、まず最初にお話をお聞きしたいのは、経済財政政策の立案のためのの司令塔たる経済財政諮問会議、これがどういう機能を果たしていくべきか、それと諮問会議という合議体の中で民間議員の方々はどういう役割を果たしていくべきかという点です。まずは、そうした点についてお伺いできればと思っております。

(伊藤) これは私見ですが、全ての経済政策はマクロ政策運営、経済財政運営につながるのだろうと思います。具体的にいくつか例を申しますと、例えば社会保障の問題点、日本においては非常に大きなテーマです。個別の医療・年金・介護の政策ももちろん非常に大事ですが、どういうふうに限られた資金あるいは資産の中でそれらを運営していくのかということを考えなければいけないだろうと思います。あるいは雇用の問題、特に雇用というのは非常に人間が絡むものですから、若者あるいは女性、あるいはシニア、あるいは現役の中堅の方、それぞれ違う課題・問題を抱えているわけです。それについてどういう対応をするかということは、もちろんミクロのレベルでも大切ですが、やはり経済全体として日本の雇用あるいは人的資源といったものをどっちの方向に持っていったらいいだろうかというビジョンが必要だろうと思います。これは一例を申し上げました。

こうしたとき、日本に限らず世界でもそうだと思いますが、経済政策全体を議論する場が必要で、日本の場合には経済財政諮問会議の重要な役割はおそらくそこにあるのだろうと思います。ですから主要経済閣僚あるいは中央銀行総裁が常時総理の下に出席されて開催されるということは非常に意味があると思います。これはそこで何かを決めるということだけでなく、そこでどういう大きな議論がされているかを社会全体に発信する、この社会全体への発信というのはもちろん一般の社会あるいはマスコミだけでなく霞が関そのものにも、各個別の案件を扱っていらっしゃるところにもそういう発信をするという意味でも重要だと思います。

そういう中で、民間議員の役割はいろいろな議論があると思います。いわゆるクローズコミュニティといいますか、特定の政治家の方々あるいは役所の方だけで議論をやるというのでなくて、やはり民間の声を入れることは大事だと思います。

いくつかの民間の声の中にも意味があって、1つはエキスパートといいますか、実際に経済政策あるいは個別の産業分野について議論するとき、そういうことをずっと中立的な立場で見てきたアカデミアあるいはエコノミストの声を集めることは非常に大事だと思います。それから、産業人、経済人といった方、実際の現場で経済を見ている経済界の方に入っていただくことは非常に大事だと思います。我々民間議員の役割というのは、外の声あるいは中立的な視点からの声によって、ときには政策の中枢におられる方に対して少し厳しい意見を申し上げる局面があるかもしれませんが、そういうことも含めて中立的な視点から議論をさせていただくことがおそらく一番重要だろうと思います。

総理あるいは財務大臣あるいはその他の大臣の方々にとっても生でそういう声を聞いていただくことは非常に大事だと思います。もちろんいろいろなところでいろいろな方々から現場の声を聞いていらっしゃると思いますが、定点観測というと変な言い方ですが、同じ人たちから継続的に話を聞くことも重要なことなのかなと思います。

伊藤 元重

そういう意味で経済財政諮問会議のような指導的なものというのは、海外でも似たような組織があるところはあると思いますが、非常に大事だと思います。

― 経済財政諮問会議の機能、その中における民間議員の役割をお話しいただきました。そうした民間議員としてのお立場あるいは民間議員を離れて東大教授という有識者としてのお立場ということでもよろしいのですが、安倍内閣で今大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略という3本の矢を一体的に実行していくことで強い経済を取り戻すということを最大の使命に掲げています。安倍内閣の政策への期待等を背景といたしまして、現下におきましては為替レートが円安傾向で推移し、株高が進んでいるということだろうと思います。現在、こうした動きを受けて家計や企業のマインドの改善が続き、消費や生産などの実体経済に好影響が及びつつあると思いますが、これまでの政策運営の評価、それと3本の矢について、今後どういうふうに展開していくべきか、お考えをお聞かせいただければと思います。

(伊藤) 今の安倍内閣の強い経済を取り戻すということには、失われた10年あるいは失われた20年とよく言われますが、日本はバブル崩壊後ずっと経済が混乱して低迷してきたというときにいろいろ見えてきた大きな課題をどうやって解決していくかという面が一つありますが、それに加え、もう1つ、失われた3年半という側面があります。

リーマン・ショック後、ご案内のように日本だけ為替が独歩高で、これに産業界は苦しんできた。それ以外の原因もあるかもしれませんが、株価で見ますと日本とアメリカとドイツという主要先進国の株価インデックスは1998年ぐらいから2007年、8年ぐらいまでは相当緊密な連関を持っていました。リーマン・ショックでこの3つの株は全部下がったのですが、その後の回復過程では、アメリカとドイツの株価は非常に強い相関を持ってきましたが、日本だけ独り非常に低迷しているという状態でした。この背景に何があったかということについては、これは歴史の研究に委ねるしかないのかもしれません。いろいろ仮説はあって、いろいろな議論があると思います。

伊藤 元重

安倍政権の政策にはこの2つの失われた問題からの回復というダブルの意味があります。当面、3本の矢、特に金融緩和、機動的な財政政策も含め、おそらく失われた3年半を取り戻す過程にあるのだろうと思います。デフレ脱却ということもその中に含まれる部分はあると思います。これはかなりうまくいってきている。しかし、それをうまく梃子にして、その失われた10年あるいは失われた20年というところをどうやって変えていくのかということが重要になってくると思います。

もう少し申し上げますと、失われた10年、20年というのは日本にとって非常につらい時期ではありましたが、悪いことばかりではない。悪いことばかりではないという言い方はちょっとオーバーですが、何が起こったかというと、この間に例のバブルが崩壊した後、家計部門も企業部門も、それから金融セクターも必死になってバランスシート調整をしたわけです。ですから、今欧州やアメリカが苦しんでいるような過剰債務だとか、あるいは住宅のほうに非常に負債が多いとか、あるいは金融機関のレバレッジが非常に高いというような状況はある意味でこの10年、20年に非常に解消したわけです。家計も企業も潤沢に貯蓄資金を持っていますし、金融機関もレバレッジが非常に下がってきている。

残念なのは、その過程で政府部門の債務がどんどん増えていったということです。バランスシート調整ということで言うと、企業と家計と金融セクターは非常に順調に、10年、20年と着実にバランスシート調整した一方、それを政府がかぶってきたということです。

そこからの課題としては、1つは民間部門については非常に大きなチャンスかもしれないということ。ある経営者が言っていましたが、お金はたくさんある、今ないのは、それを積極的に投資に回そうとする企業、あるいはそれを自分の生活のために有効に使おうという前向きな家計の行動が非常に欠けているのではないかということです。したがって、成長戦略として、ないものではなく、実際あるお金を引き出していくということが非常に重要になってくるのだろうと思います。

他方、今度は政府のバランスシートが非常に重くなってきたわけです。公的債務も非常に増えてきてしまい、これは今非常に大きなリスクファクターになっています。ここを常に見ながら経済活性化をしなければいけないということが今の政権の大きなテーマであるわけです。そこのところをこれからどういうふうにしっかり処理していくのかということが重要なのかなと思います。

― 先生が今触れられましたけれども、我が国の足下の例えば部門別のISバランスを見てみますと、企業部門あるいは家計部門、家計部門は従前からそうですがかなりの黒字、その一方で財政、一般政府部門は相当程度の赤字となっています。

(伊藤) そうですね。

― 一般政府の赤字をそれ以外の部門が手当している、こういう構図になっているわけです。そういった足下のISバランスなども念頭に置きつつ政策展開をしていく、こういうことが極めて重要だということですね。

(伊藤) そうですね。経済学者がよく言いますが、こういうときは金融緩和が非常に有効であると。ですから安倍総理が金融緩和を非常に強く打ち出すよりはるか前から、いわゆる学者の世界では比較的より大胆な金融緩和をしたほうがいいのではないかという議論が多かったのです。

今、非常に面白いことが起こっています。今おっしゃったように家計部門も企業部門も非常に縮こまってしまった。家計は預貯金にみんなお金を注ぎ込んだ。企業部門は要するにリストラや雇用抑制を進めながら、あまり新規投資はしてこなかった。これは、デフレ的な世界で見ると全体合理性にはなっていませんが、部分合理的というか、個々の経済主体の合理的な行動の結果ではあるわけです。

ですから、そういうものを打破するという目で見ると、今日本銀行がやっている金融政策というのはある意味では有効なのだろうと思います。物価が1%に下がっていて金利がゼロのときに、あるいは株価も当然低迷しているとき、なかなか消費者に預貯金以外のものにお金を回しなさいと言っても難しいのですが、物価が2%で、しかし預金金利は相変わらずゼロに近づいている、比較的不動産価格が動き始めていると、これはやはり預貯金でずっと持っていたら目減りするなと考えるわけです。

ですから、そういう意味でこの先、安倍政権で重要なのは金融市場、例えば為替市場とか、国債市場とか、一部株式市場とか、すでに動きだしている金融をより広い金融の世界の活動に広げていくことができるか。例えば家計部門がもうちょっと自分の資産運用をリスクを見ながらも多様化していくとか、あるいは企業がより積極的に、ただお金を持っていてもしょうがないわけですから投資をしていくかどうか、あるいは金融機関も日本銀行がこれだけたくさん国債を買ってしまうと、国債利回りが低いものですから国債に投資するという時代でもなかなかなくなってくるとすると、そのお金をどうやってリスクのある例えばファンドに出すとか、あるいはいろいろな新しい取組みをするか、ベンチャーに投資するということを考えていくということになるといったことです。実はまだ失われた3年半からの脱却ということの持っているポテンシャルは発現しきっていないわけですが、ここはかなり重要で、ここをどうやって広げていくか。そうなってくると中央銀行の政策を超えて、成長戦略や政府の政策にも関わってくると思います。

財政健全化について

― 経済財政諮問会議において財政健全化の議論が本格的に始動しております。アベノミクスを成功させるためにも中長期的な財政健全化の取組みが必要不可欠だろうということだと思いますし、これから諮問会議において健全化に関する議論が各論も含めてますます本格化していくわけですが、財政健全化についての基本的な考え方、経済財政政策全体の中での位置付け、そういったところをお話しいただければと思います。

(伊藤) そうですね。財政健全化の問題には特に重要な問題が2つあります。1つは今既にある1,000兆円を超える債務をどうするか。債務があることそのものが爆弾を抱えているような状況ですから、その爆弾を爆発させない中でどうやって処理するかという問題。それからもう1つは、これから少子高齢化がどんどん進んでいく中で、今の制度をそのまま維持していきますと、これはもう雪だるま式に、特に医療・介護が大きいと思いますが、年金も含めて社会保障費が膨れ上がっていくわけです。それをどうやって我々が現実として受け止めなければいけない高齢化のスピードと合った形に直していくのかというこの2つがあると思います。

その際、政策運営も、極めて戦略的で、しかも相当いろいろな手を打っていかなければいけないのだろうと思います。したがって、財政健全化の政策を具体的にやるときも何がポイントになるかというと、今何をやるのか、あるいはこれから1年、2年の間に何をするのか、5年先までにどういうことができるのか、あるいは10年、15年、20年後を見たときに何をすべきなのかということを常に同時に考えていきながらやっていかなければいけない。

しかも大事なことは、それを何か外から隔絶されたクローズドな中でひそひそ議論して突然やろうと思っても、国民が納得するわけがないわけです。やはり国民、あるいは政策担当者など、いろいろな利害関係者との議論をしっかりやって、いろいろな改革の気持ちを醸成させていかなければいけない。そういう非常に複雑な作業だろうと思います。

どこかにも書きましたが、財政健全化や、後でもう少し詳しくお話しするかもしれませんが、社会保障制度の改革もやはり「戦術」ではだめなんですね。「戦略」でなければいけないと思います。目の前にある問題にとにかく対応しなければいけない。それから打てる手を打つというのが「戦術」です。残念ながらどうしても財政運営、社会保障政策というのはそういう面があるのだと思います。政治の現実ですから、いくら学者がすばらしいアイデアを出しても、現実はそうは言っても難しいという話があるわけです。しかし、「戦術」だけでやった結果が今のこの状況であるとすると、「戦略」が非常に重要になってくると思います。

軍隊にたとえてみれば、今何ができるかという話だけではなく、この先いろいろな可能性があったとき、例えば敵が陣容を倍増してきた、あるいは突然何かいろいろな変化が起こったなど、そういうことをいろいろ考えながら、2の矢、3の矢、4の矢、5の矢あるいは10の矢と、ひょっとしたらすぐには打つことができないかもしれない、非常に準備にかかるものかもしれませんが、そういうことをしっかりしていって、そういうものがあるのだよということをマーケットにしっかり知らしめるということが重要なのかなと思います。

具体的には今まさに議論が始まっているわけですが、当面まずやらなければいけないのは、これから2年だろうと思います。これからの2年間の日本のマクロ経済政策運営というのはかなり特殊な時期だろうと思います。というのは、デフレから2年で2%まで物価上昇率を持っていく、それを今目標に日本銀行は政策を実施しているわけです。これだけでも大変なトランジション、移行期です。消費税も来年8%、再来年10%と2年で5%水準から10%水準に上げるというふうに予定されています。それから、財政運営でいうと2015年、これも2年後までにプライマリーバランスで見たときの赤字をGDP比で半減させるという、非常にアンビシャスな目標を出しているわけです。これを同時にどうやって達成するかということが当面の財政政策の一番重要なポイントで、これは政治とも非常に関わりがあるわけですから、これから重要なポイントになるだろうと思います。また、ただ「やります」というだけではマーケットは当然信じないわけですから、それをどういう形でやるのかということをしっかり出していくというのが重要なポイントになるだろうと思います。

もう1つ同時に申し上げたいのは、非常に膨れ上がった債務をどういう形で、いわば膨れ上がり続けるものを止めるか、その先は今度は少し縮小させていくかということが重要で、これは社会保障制度に関わる話ですが、ここで非常に大事なのはマーケットだと思います。日銀の金融政策が明らかにしたのは、やはり期待に働きかけることでマーケットは動くということですが、マーケットに対して期待に働きかければ働きかけるほど、マーケットはじゃあ次は何なのということを当然考えるわけです。しかし、次は誰が考えても財政です。

伊藤 元重

例えば日本銀行が大量の長期国債を買った。これ自身は金融政策です。金融政策というのは要するに市場にあるアセットを別のアセットに置き換えるという行為、この場合でいうと国債という資産を日本銀行が吸収して、その分だけ日銀のいわゆる預金残高が積み上がることになります。ただ、そういう行動があるから安心して政府が借金をどんどん垂れ流すということになってきますと、これはいわゆる財政の中央銀行によるファイナンスと言われても仕方がないし、見られても仕方がない。したがって中央銀行がいう大胆な金融緩和策で長期の国債を買えば買うほど、これから日本の政府は財政健全化のためにどれだけ強い意思を持ってやるか、簡単にいうと赤字を垂れ流さないような方向に急速に動いていくかということが試されるわけです。そこは常にマーケットとの対話が必要だろうと思います。

ただし、問題はそれだけではなく、それはあくまでも足下の赤字の問題です。その先には、どう考えてもこれを放っておくと膨れ上がってしまうような社会保障費のようなものをどうやってうまくコントロールするかという問題がある。社会保障費を減らすだけがコントロールではないですし、また更に増税ということがオプションとしてはあり得ると思いますが、それも含めて日本はどうやっていくかということをきちっと考えていくことが重要だと思います。

― 財政健全化に関しまして各論を含めて、とりわけ社会保障についていろいろお話、ご示唆をいただきました。社会保障について具体的な解決の方向性、もし付け加えるべき点がございましたら、お願いいたします。

(伊藤) 社会保障の中身の詳しい話については、例えばいわゆる高齢者だけではなく、育児支援とか少子化対策など、現役世代への支援をもっとやっていくという議論があって、それはそれですごく大事だと思っていますが、今日は財政健全化という観点からだけ一言申し上げます。先ほど申し上げたいわゆる社会保障改革には「戦略」が必要であるということをもう少し具体的にお話しさせていただきたいと思います。

伊藤 元重

例えば年金に関して見ると、ご案内のようにマクロ経済スライドを導入することによって、それなりに年金給付の伸び率を抑えることができるかもしれない。それでも給付は増え続けるかもしれませんが、既にそういう制度は導入しているわけです。ただ、今後本当に高齢化がどんどん進んでいったとき、それだけで大丈夫かどうかということについていろいろ不安があります。

また、年金だけで言うと、いわゆる国庫支出とは別に年金基金等の問題もあるわけです。そうすると場合によっては、これでうまくいかなかったら、その先に例えば年金の支給開始年齢を今の65から67に引き上げるということも考えなければいけないステージにくるかもしれない。既に欧州などはそういう方向にコミットメントしているわけです。もし、そういうことがあると、やるかやらないかはこれからの話だと思いますけれども、支給開始年齢の話は突然やっても無理だとすると、今からそういう議論をやはり始めておくべきだろうと思います。

医療はもっとこうした話があります。医療費を抑えるためにどうしたらいいのかということを考えて表を作ると、すぐにできるかもしれない改革から、成果が出るのに時間がかかるかもしれない改革、あるいは本当にそれをやることがいいのかどうかということを国民皆で議論して、その上で考えなければいけない改革など、いろいろなものがあります。「戦術」はたくさんあります。それを「戦略」としてどう組むかということだろうと思います。

今議論されていることは、例えば70歳から74歳まででしたか、75になる直前までの医療の自己負担が本則では2割ということになっていますが、今1割という暫定的な措置を取っているものを本則の2割に上げるとか、あるいは、医薬品などでジェネリックをもっと使ってもらえればいいのですが実際そうなっていないということで、一部の成功した市町村もありますから、ジェネリックをもっと使って医薬費の節約をしますとかいうことがあると思います。こういうことは比較的近い将来できそうな改革だと思います。もちろん、それでも論争はあるのかもしれませんけれども。

しかし、医療を本当にイシューとするとなると、その先がなければいけないわけです。例えば大きなイシューになった話としては、医療供給体制の改革があります。これはやれば相当成果が出るのだろうけれども、まず決めるまでに時間がかかるだろうし、それからやって成果が出るまでに相当時間がかかるだろうということです。内容を簡単に言うと、これから高齢化が進んでいくわけですから、急性期の非常に緊急性を要する、いわゆる金がかかるベッド、高度な部分をもう少し縮小して、しかし、その分慢性期とか高齢者医療のためのいわゆる病院病床にシフトしていくという考え方があります。少し極端な言い方かもしれませんが、10万円かかるベッドから、ベットというのは治療費のことですが、例えば2万円、3万円あるいは1万円になるようにしていくことによって現実の高齢化という需要と供給が合うわけです。これをやればうまくいくということは世界の例でよく分かるわけです。スウェーデンのような国は、病院が全部公営病院ですから、県が命令すればこういう病院にできるわけです。日本は民間病院も含めてやっているわけですから、その改革をするというのはそう簡単ではないです。しかし、そういうことはすぐに今からでも議論を始めて、どうすれば少しでも現実に合った形でコストが低い医療供給体制になるか考える必要があります。

ITの活用などもそうですね。ITを使って、例えばカルテの電子化その他諸々でいろいろなことをやれば、誰が考えてもコストは相当節約できるということが分かるわけです。しかし、これもやはり成果が出るまでに時間がかかるし、あるいはそれをやるためにいろいろな社会的なコンセンサスを得ていかなければいけない。こういうタイプのものを今から議論を始める。実際、1つずつ手を打っていく必要がある。

更にその先には本質的に日本の医療費を根本的に変えるかもしれないという大きなイシューがあるわけです。例えばみとり医療をどう考えるか。これは非常に大きい問題です。

2つ目は、医療のアクセスです。日本は今フリーアクセス、誰でもどの病院にも行けますが、世界の常識は医療のクオリティを維持し、医療のコストを高くしないためにあえてアクセスを制限して、つまりいわゆるかかりつけ医に行かなければ専門病院に行けませんよと、アクセスを制限しています。これをやろうとすると当然いろいろな反論があるのだろうと思いますが、ものすごく強力な武器です。

3つ目には、これも非常に難しい問題ですが、死んだときに死亡時消費税みたいなものをいただいて、いただいたものを防衛費の2.5倍とも言われている高齢者医療に振り分けていくという考え方もあります。これは一種の増税ですね。

それからシンガポールのメディカルセービングアカウント、つまり実際に現役世代のときに所得に応じて天引きしてしまうというのもあります。天引きは5%なのか1%なのか0.5%なのかわかりませんが、天引きしたものはその人のアカウントに入れて、その人の将来の医療費に使ってもらおうという話等、ほかにもたくさん例があります。

こういう例は学者の世界ではいくらでもアイデアがありますが、実際にやろうとしたら、これはものすごく大きな議論をしなければならない。しかし、これだけの高齢化が進んでくると、そういうところまで議論をしていかなければいけないかもしれない。もちろんそれと並行して、そこまで大胆な改革は困るので消費税15%を我慢するとか、あるいは消費税20%まで我慢するという議論になるかもしれない。

もちろん今、議論の中身をテーブルの上に全部乗せる必要は全くないと思いますが、そういう非常に長期の闘いであるということを一部の専門家だけでなく、国民全体がしっかり認識するということが社会保障改革では非常に重要かなと思います。別に経済財政諮問会議でそれを全部議論するというのではなくて、1人の学者として思うことは、やはり財政健全化も社会保障改革も「戦略」がないとなかなか難しいのかなという気がしました。

― ありがとうございました。伊藤先生がおっしゃられた戦略的に物事を考えていくという点が非常に重要ということだと思います。

人的資源の活用について

― 冒頭、先生がおっしゃられましたけれども、社会保障制度も雇用もマクロの中で位置付ける、それが諮問会議として非常に重要な役割の1つだということだったと思います。近年、我が国においては非正規化が進行し、マクロ的に見て特に若者の人的資源の形成・活用というものが必ずしも十分でないのではないか、こういう問題意識がかなり大きくなってきていると思います。そういった問題を克服するために、先般、伊藤先生に主査を務めていただいている有識者会議のワーキンググループ3の下に、清家篤慶応義塾長をヘッドとした専門チーム(注)が発足し、集中的にご議論いただき、4月上旬に報告書を出していただきました。その報告書の内容も含め、人的資源の活用ということでどのようなお考えをお持ちか、お聞かせいただければありがたいと思います。

(伊藤) この清家先生が座長をされた研究会の報告書は非常に中身が濃いものですから、なかなか一言でまとめるのは難しいのですが、是非皆さんにも読んでいただきたいと思います。いくつか大きなポイントがあります。まず、特に経済財政諮問会議というような立場で申し上げると、やはり人の問題というのが経済を考えるとき常に中心にないといけないということです。金融を活性化させたり、投資を増やすなどももちろん大事ですけれども、やはり最後にそういうものが人材にどうかかってくるかというところをしっかりやっていかないと経済はなかなか活力を生まない。そういう意味で、今日本の人材がどういう問題を抱えているかということをかなり丁寧に現象だけでなくてその背景、あるいは変化すべき方向性まで整理されたという意味で非常にいいレポートだと思います。

2つ目に、このレポートの背景にある考え方でもあるのだろうと思いますが、やはり戦後うまく機能してきた制度が制度疲労を起こしているということです。あまり単純化して言うのは好ましくないのでしょうけれども、学校を出たら一括採用され、会社の中でかなり手厚いスキルのトレーニングが行われ、それがキャリアにつながって、それは単に仕事とか収入の場だけでなく、結婚して子供ができれば家族というものにもつながって、というサイクルで回ってきていましたが、いろいろな理由でそれがうまく回らなくなってきた。

例えば人口が縮小して少子高齢化になったということもあります。あるいはいわゆる日本型というものが優れていたと言われているキャッチアップ型の経済からフロンティアで勝負しなければいけなくなってしまったということもあるし、産業の変動が激しいことから、1つの仕事でずっと一生同じ会社で勤め上げるということを、仮に望んだとしても産業競争がそれを許さなくなっているという面もある。いろいろな要因があります。

ただ、難しいのは、制度というのは慣性のようなものがありますから、何か変えようと思ってそう簡単に変えられない。例えば教育制度を変えても雇用制度が変わらないと変わらない、あるいは雇用制度を変えようと思うと家族制度が変わらないと変わらない、あるいは家族制度を変えようと思っても、人々の認識が変わらないと変わらない、税制が変わらないと変わらない、といったことで、まさに今日本は苦しんでいるのだろうと思います。ですから大枠のところでいろいろな制度改革をすることも大事ですが、他方でどういう人的活用あるいは雇用制度が望ましいのかということを考えて、改革の突破口、改革のためのツボみたいなものを考えるということで、こういう視点は非常に重要だろうと思います。

3つ目は、雇用政策と人材育成政策は、ペアできちっとどうやっていくかということが非常に重要ということです。確かに今、失業者がいたり、あるいは非常に低い賃金で苦しんでいる人がいれば、それを何とかしてあげたいということがある。ともすると、雇用政策に力点が置かれがちです。ただ、雇用政策というのはあくまでも「戦術」であり、あるいは対症療法に近い面がどうしてもあります。ですから、やはり人材のスキルアップあるいは人材育成政策みたいなものが同時にあって、その雇用政策と人材育成政策がペアできちっとどうやっていくかということが非常に重要ということだと思います。

報告書の具体的中身は、報告書を見ていただきたいのですが、私はそれを見て、パッとイメージがわいたのはトルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭のところで、「幸せな家族はどれも皆同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」ということです。例えば若者の雇用の問題、例えば子育てで大変な方、なかなか女性で職場に復帰できない方、あるいは若いとき会社で頑張ったけれども、40歳ぐらいでちょっと誘われ、しかし転職もできないで悩んでいる人、それからまだ60で元気だけれども、いつまで会社にいれるかどうか分からないで次の仕事を考えている人。これらの方の抱える問題は、おそらく皆違いますし、そういう意味で多様な対応が求められている。逆に言うとそういう多様な対応がうまくいけば、結果として多元的、多様な働き方を社会が容認することにより、より高い社会的価値が生まれるということ、そこら辺のところを、私が言うと薄っぺらになってしまいますが、清家先生の研究会レポートの中では非常にうまく書いていると思います。

― どうもありがとうございました。

おわりに~分析に基づく政策形成の重要性と政府、大学、シンクタンクの役割

― それでは、最後の質問となりますが、伊藤先生はNIRA(総合研究開発機構)の理事長というお立場でもございます。分析に基づく政策形成、証拠に基づく政策形成ということについて、政策形成をする際に政府・大学あるいは民間シンクタンクとの間でどのような関係を構築することが望ましいか、お考えをお聞かせいただけばありがたいと思います。

(伊藤) 大学とシンクタンクの関係は私は結構クリアだと思います。大学というのは基本は研究機関です。よく学生に言いますが、私は東京大学の経済学部にずっといて、研究室がありますね。周りの部屋の先生、仲のいい先生とはお酒を飲んだりするわけですけれども、学問的な話はあまりしない。というのは、例えば私の隣に最近までマーケティングの先生がいましたが、マーケティングの先生と国際経済学の先生はあまり学問的な話はしない。向かいには経済史の先生がいまして、この人はもちろん我々とよく議論しますが、そうは言っても江戸時代あるいは大正時代の日本の産業と今の問題は直接関係するということはない。若い頃、国際経済の仕事をやっていて誰と議論するかというと、例えばハーバード大学の私の恩師だとか、あるいはコロンビア大学の先生だとか、あるいは日本でもほかの大学の先生とか、大学というのはそういう意味では専門性が強い組織です。もちろんそういう中で政策的な議論はできますが。

シンクタンクの役割はちょうどその逆です。問題、あるいは問題設定がまずあって、それに対してどうやって知見を集めていろいろなものを出していくかということになります。もちろんエビデンスに基づいたものであればあるほどいいわけです。したがって大学とシンクタンク、あるいは研究組織とシンクタンクの関係というのはある意味ではかなりクリアで、要するにシンクタンクから見たら、いかにそういう知見を世界中から、世間から引っ張ってくるか、シンクタンクとしては彼らの力を借りながら分かりやすい形でいろいろなところに発信していくか、ということになります。残念ながら日本はこれまでそういうシンクタンクが非常に少なかったわけですから、そういう活動がもう少し日本で活性化すればいいかなと思います。

この点、こういう「場」があるということは非常に重要です。例えばNIRAで今、震災復興のインデックスのプロジェクトをやっています。そうするとそこに災害からの復興についていろいろな研究をしている学者が集まるだけではなく、例えば岩手県、宮城県の役所の方も来てくれる、あるいは、例えば復興庁の方などもシンポジウムに来てくれるという形で、そこに「場」があるとそこにいろいろな立場の人が集まって議論しやすいということで、シンクタンクはそういう役割ができればいいかなと思います。

政府との関係ですが、我々として非常に期待しているのは、政府で実際に政策をやっていらっしゃる方が個人の立場でこういうところでどんどん発言していただいたり、あるいは議論に関わっていただければいいなと思います。実際に今少しそういう動きが出始めています。例えば我々はまちなかの医療や、医療や健康をベースとした地域、まちの再生をテーマとしたプロジェクトをやっているわけです。その際、厚労省のこういう問題に見識のある方などが議論に参加してくれます。それは結果論に過ぎないのかもしれませんが、そういう中で議論したことが実際に政策の中にも少し見え始めてきている。あるいは先ほど申し上げた復興のところでは復興庁あるいは震災の被災地の自治体の方々なども参加してくれる。今後もそういうことができればいいなと思います。

伊藤 元重

これまでそもそも霞が関が日本最高のシンクタンクであって、したがってその中で完結してしまったのですが、ただ政策問題がだんだん1つの省の中でカバーできなくなって、縦割りではうまくいかなくなったということがあります。

それから、これまで以上に発信ということが非常に重要になってきているということでは政府の中で非常にうまく連携できればいいなと思っています。ここのスタッフの中でも霞が関で仕事をした方々、辞めてこっちに来るという方も今出始めています。そういった方は過去に政府の中でいろいろな経験をしているので、普通の民間のシンクタンクとは少し違った経験を積んでいます。そういう意味ではいろいろな形で政府、大学、民間シンクタンク、場合によってはそれに産業界も含めて交流があればいいし、シンクタンクとしてはそういう「場」を提供できればいいなと思っています。

― 本日は広汎、多岐にわたるテーマについて貴重なお話を伺いました。どうもありがとうございました。

(本インタビューは、平成25年4月24日(水)に行いました。)

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