よみがえる日本経済、広がる可能性

  • 竹田 陽介
  • 上智大学経済学部経済学科教授
  • 山田 久
  • 株式会社日本総合研究所 調査部長 チーフエコノミスト
  • 聞き手:内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)増島 稔

―本日は、経済財政白書を題材にご議論いただきたいと考えております。今年は「よみがえる日本経済、広がる可能性」という副題をつけています。アベノミクスで景気がよくなり、設備投資も増えて、デフレ状況ではなくなっていることを踏まえています。

第1章が景気、金融政策、財政政策。第2章が物価、所得賃金、労働供給。第3章は、経常収支の赤字がどうして生じているのか、また、日本経済がどうやって稼ぐ力を高め、付加価値を生み出していけばいいのかという論点を扱っています。

回復が続く日本経済

―第1章から御議論いただければと思います。第1節では、足元の消費税引き上げに伴う景気変動について記しています。変動はあるものの基本的には緩やかな回復が続き、設備投資も堅調と説明しています。第2節は金融政策について、基本的に日本銀行の「量的・質的緩和」をポジティブに評価しています。ただし、今後、出口に向かっていく際の留意点も示しています。第3節は、成長と財政健全化の両立について扱っています。名目成長を高めていくことが必要ですが、財政健全化自体はデフレ効果を持っているので、経済成長に神話的に財政健全化を進めていくことが重要となります。歳入面では法人税、歳出面では特に医療・介護の話を取り上げています。

日本経済の中長期的発展に向けて取り組むべきこと イメージ01

(景気の基調と消費税率引き上げの影響)

(竹田教授)第1章のメインテーマとしては、やはり消費税率アップのインパクトということではないかと思います。耐久消費財と住宅投資の駆け込み需要の大幅な増加と反動というのが、前回の消費税アップのときと比べても大きいというデータは極めて興味深い。恐らく今後きっちりした経済分析に供されることになるであろう、とても重要な一つの社会実験だったと思います。今後実施されるであろう消費税率アップについて、反動の影響をどうしたら小さくできるかということを議論していく必要があります。今回の白書では自動車の取得税の引下げ等の平準化措置が取り上げられていますけれども、例えば年度をまたぐような予算編成等、財政の下支えのあり方も必要になる措置ではないでしょうか。また、分析中、3%の幅が大きな消費の駆け込み増、反動減につながったという御指摘は、毎年1%ずつ上げていくということが、波打つ消費の動きを抑えるのに寄与する可能性を支持することになると思います。

(山田部長) 今後少なくとも、来年の秋に消費税率引き上げは予定されていますし、将来的にはさらなる消費税の引き上げということがおそらくは必要になってくるということを考えますと、今回の動向を経験値としてしっかり分析するということがとても大切なことだと思います。これ以外にも、たとえばヨーロッパ諸国ではこれまでにも消費税率の引上げの経験というのがかなりありますので、欲を言えば、これらの経験との比較のようなものも入れてはどうかと思います。

―平準化措置については、影響は一部と考えています。予算措置については、2月に決まった補正予算の繰越しが4月以降に影響を与えています。ご指摘の毎年1%上げるという方法、事業者のコストが相当大きいということもあります。ただ、山田先生が指摘されたヨーロッパの経験では1%ずつ税率を上げた国もありますので、分析を深めたいと考えています。

(金融政策と金融面の動向)

(竹田教授) 黒田総裁の「異次元緩和」の効果を比較的肯定的に観察されていると思います。異次元緩和を含む非伝統的な金融政策には2つの効果があります。1つは、期待に働きかける経路です。もう一つは、本書で「ポートフォリオ・リバランス」と呼ぶ投資家のリスクテイクを促す経路です。

前者に関しては、白書のグラフの動きをみると、1年以内の予想物価上昇率にかなりポジティブな影響があったようにみえるが、中長期では、ほとんど影響がありません。これは、日銀が約束してきた2年間で2倍のベースマネーで2%のインフレを達成するということは信用されているのかもしれないけれども、それ以降の話についてはあまり踏み込んだ期待の変化は見られないということです。私の近著1では、過去の非伝統的金融政策の期間はケインズの「美人投票」と呼ばれるメカニズムに近い期待形成がなされてきたということを示しています。それぞれの期待形成者が全ての人の平均の期待を予想して、それにさや寄せされるように自分の期待を調整するというメカニズムです。それを崩すのは、金融政策だけでは無理だったというのが私たちの分析の結論です。黒田異次元緩和は、この期待形成にバズーカ砲で少しだけ風穴をあけたと看てとれるわけですが、その効果に関しては、本当に短期だけであった可能性が高いということです。

もう一つの投資家のリスクテイクを促す効果に関しては、銀行のポートフォリオの構成をみると、国債を減らして貸し出しをふやすという資産代替が顕著にみられます。ただ、日本銀行はベースマネーや国債等の量を増やすという約束をしただけで、日銀自身がリスクテイクをしたわけではないとみると、このポートフォリオの変化は、金融政策による変化ではなく自律的なものである可能性も高い。私の金融政策に対する見方は厳しいので、期待に働きかける効果も、リスクテイクを促す効果も、あるとしても微々たるものだろうとみています。

(山田部長) 私も、基本的には金融政策の効果には、かなり不確実なものなのではないかという感じがあります。今回は物価を上げるということが目標でしょうけれども、いわゆる「量的・質的緩和」が景気や物価に影響が及んでいくルートというのを考えてみると、たぶん2段階に分かれているといえます。

まず、量的・質的緩和がマネタリーな変化を起こすことで、白書でもイールドカーブが下がる、予想物価上昇率が上昇する、ポートフォリオ・リバランスが起こるといった金融面での変化について分析されています。しかし、次の段階として考えられる、マネタリーな変化が実際に物価とか経済・景気に対してどういうふうに影響を及ぼすのかについては、今回書かれていないので、次の課題としてチャレンジする必要があるのではないかと思います。

それと、我々、民間のエコノミストの立場から見て、今回の金融政策で一番動いた変数というのは為替だったと考えています。次の話を先取りすることにもなりますが、最終的に物価が上がった経路としては需給ギャップ要因が結構大きいと考えており、需給ギャップが縮小したことについては、供給力が落ちてきたことと需要が喚起されてきたことの両面があるといえます。この需要が喚起された要因について、従来は為替が動いて輸出が増加し外需増加するというルートだったのが、今回はその効果は弱くて消費の増加が影響している。これは円安を背景に株が上がって、広い意味での資産効果、実際にはマインドの改善が大きく影響したと思います。そのあたりはいろいろな政策的なインプリケーションがあると思います。

(竹田教授) また、期待インフレの影響が現在の物価上昇にプラスの効果をもたらしたというフィリップス曲線の推定では、将来の物価上昇はかなり重要な要因です。中長期的な期待インフレ率が適度な水準に誘導されるのは、まさしくインフレーション・ターゲティングの枠組みが役に立つ点だと思います。

さらに、白書ではアメリカの話が非常に詳しく書かれています。アメリカの出口戦略は次の四半期にも実施が予定されているという話もあり、テーパリング自体はもう始まっていますが、日本も学ぶ必要が多々あると思います。実施に際しては、様々な保険をかけるという発想が必要ではないかと思います。日本には、多くの方が指摘するように、長期金利が消費者物価2%の目標が達成される前に高騰するリスクと、白書でも触れられているサージェント=ウォレスの論理から、2%では済まない高いインフレが起こるリスクの2つが存在しています。出口戦略を実施するにあたっては、これらのリスクが顕在化する可能性を低めるために、政策上どのような保険をかけられるかが真剣に議論されなければならないと思います。たとえば、財政当局とのアコードや他国の中央銀行との政策協調もあったら助かるでしょうし、さらに不十分であれば、多少の金融抑圧の手段も講じることも許容する必要があるのではないかと考えています。たとえば、預金準備率を引き上げることが余計なインフレを起こさない、あるいはバブルを起こさない予備的な措置として効いてくる可能性もあるかもしれません。これは、かなり抑圧的なやり方かもしれません。そこまででなくても、多少の金融抑圧と言われるような措置も用意しておいた方が保険になるでしょう。アメリカの政策当局がどうするかということを注意深く見ながらも、日本にとって必要な保険の掛け方という政策のオプションも用意しておいたほうがいいのだろうと考えています。

(山田部長) まさに実験的な金融政策については、メリットの分と裏側のコストがあり、しっかり今考えておく必要があるので、言及されていることは非常に有益なのだと思います。

他方、今の金利が、財政の状況等のファンダメンタルズからみて抑えられている形になっているのだと思うのです。その要因分析を、もっと踏み込んでやる必要があるのではないかと考えます。グローバルな金利の低下は、一種の貯蓄過剰のような状態がグローバルに起こっているためのではないかと思います。ちょっと前までは新興国が高い成長をしていましたので需要を生んでいたが今減速をしている。アメリカはバブルの後遺症から立ち直って回復し始めているが、賃金が余り伸びない。ヨーロッパは財政緊縮せざるを得ないので経常収支が黒字になる。以上のように、世界的に貯蓄過剰の状態になっていることが実際はかなり影響しているのではないかと考えます。

この影響にはタイムリミットがあって、アメリカはじわじわとよくなってきて、いずれ景気が加速してくるときに、貯蓄過剰の問題が変わってくる。ヨーロッパも、新興国もずっと停滞しているわけではない。こうしたグローバルな要因については、数量的な分析をやっておく必要があるのではないかと思います。そういうグローバルな環境によって金利が抑えられているので、もし抑圧をやったとしても抑えられないかもしれない。むしろそれが例えば為替レートとかに対してのインパクトになってしまうのではないかと考えますので、個人的には金融抑圧はできればやらない方がいいと思います。

(竹田教授) IMFの『ワールド・エコノミック・アウトルック』の中で、貯蓄過剰の話が分析されていました。バーナンキが言ったように、セービングス・グラットが新興国で起こったが、インベストメントのほうは、ヨーロッパも日本も停滞して伸びずにいる。つまり、世界全体の資本市場の需要・供給曲線で説明すると、S(貯蓄)が右に、I(投資)が左にシフトして、世界全体の貯蓄投資の量は変わらないのに金利だけが大幅に低下するようになりました。これがもし元の状態に戻ったら、非常に低い世界金利というような良好な状況は続かなくなるだろうと予想されます。日本もある意味では小国ですので、世界金利を受け入れて金利が形成されていると考えられるならば、一国の金融政策よりももっと大きな力が働いている金利についても視野に入れなければならないと思います。

(経済成長と財政健全化)

(竹田教授) 日本における歳入改革の方向性として、さまざまな副作用はあるかもしれませんが、資本課税が考慮されてもいい時期ではないかという印象を持っています。最近流行りの『21世紀の資本論』を書いたトマ・ピケティが、国際的な資産課税が資産の再分配を促すのに必要だと主張していることともつながります。資本課税を実施するには、税による歪みを小さくするという面と、再分配を適正に水準にするという面の2つがあると思います。現在の日本では、この2つのポイントは資本課税にとって極めて有利な条件だと思うのです。例えば、株式保有に資本課税を課すと、貯蓄を引き下げることになりますが、今の日本の貯蓄が下げ止まっている要因は、予備的な貯蓄動機です。予備的な貯蓄は将来の不安があるからこそ生じるものですので、事後的に見れば過剰な貯蓄といえ、それを税制によって減らすのは社会的にみれば望ましいはずで、税の歪みは小さいといえます。再分配については、年々高くなっていると思われる日本の資産格差を是正するのにも役立ちます。

(山田部長) 竹田先生がおっしゃるのは一つのアイデアだと思うのですが、一方で資本課税は国際的協調してやらないとできないのが大きな論点かと思いました。

それから、「経済成長と両立する財政健全化策」の表では、具体的に歳出のどこをどうカットするか、あるいは増強すべきという論点については、さらに独自にいろいろな分析を積み上げていく必要があると思います。ここで入っていない分析で、社会保障関係経費を年金や医療といった引退世代向けの歳出と、教育や労働市場政策・保育等の現役世代向けのものに分けて、国際比較のデータで試算すると、引退世代向けは経済成長のマイナスに現役世代向けはプラスに効く結果となったというものがあります。

―経済と財政健全化の関係については、OECDの一連のスタディを中心にサーベイしたものですけれども、特にこれから日本でやろうとしているような政策で国際比較できるような分析があればインプリケーションが出てくるのかなと思います。


1 竹田陽介・矢嶋康次『非伝統的金融政策の経済分析―資産価格からみた効果の検証』、2013年11月、日本経済新聞出版社


デフレ脱却への動きと賃金をめぐる論点

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―第2章は物価と所得に関する分析です。

物価の上昇については、まず為替が円安になったことが国内物価に波及したわけですが、足元ではその効果は小さくなり、期待物価や需給バランスの影響が効いてきていると分析をしています。また、サービス価格が最近上がり始めているのはデフレ脱却との関係で特徴的です。

所得については、賃金のベースアップやボーナスの増加もみられますが、雇用者数、特に非正規あるいはパートの人が増えているところが今回の特徴になっています。

ベースアップを含めて、賃金が上がっていくためには、やはり生産性を上げていくということが重要なのですけれども、労働の質を特に取り上げました。人材育成を強化し雇用の定着を図っていく一方で、労働市場の柔軟性を高めていくことも生産性を高めていく上では重要という分析をしております。また、労働の供給制約が出ている中で、今回は、特に女性の労働供給に与える影響を扱っています。

(山田部長) 私が一番おもしろいなと注目したのは、第2-1-5図の「消費者物価の要因分解」の図です。ここでは需給ギャップ要因について、マイナスギャップが過大に推計されていないかという感じはするのです。推計方法によるかと思いますけれども、資本ストックの物理的な量でなく、経済的な価値の減価までを考えると、需要に応じて対応できる生産能力はかなり落ちてしまっていて、需給ギャップが実態的にインフレギャップになり、それが物価の安定的なプラスにつながってきているのではないかという解釈をしています。

(竹田教授) この第2-1-5図は、フィリップス曲線の推計を丹念になされて作られているのだと思います。私自身のフィリップス曲線の推計では、慣性要因と呼んでいる自己ラグのパラメータρが1に近い値をとり、インフレーションの持続性は強く効いて、インフレ期待の影響は極めて小さい結果を得ています。白書の分析では、その意味で、現在の物価上昇にとってインフレ期待が重要な要因になっているのは多少奇異に映ります。金融政策の影響を受けて大きく変わっているわけではない予想物価上昇率が、物価上昇の要因に大きく影響しているのはなぜなのか。デフレの真因については、将来の負の供給ショックを予想した現在の負の需要ショックによるという考え方が、説得力が高いと思います。将来の人口減少や日本の財政の持続可能性等の将来予測される負の供給ショックを読み込んで、現在の消費や投資といった需要がマイナスの影響を受けているとデフレが起こるという考え方です。総需要・総供給曲線(AD-AS)で説明しますと、総需要(AD)が左にシフトしたのを起こしているのは将来の供給ショックです。将来のショックを合理的に予想すれば現在の総供給(AS)も左にシフトして、インフレが起こるはずですが、実際には現在の総供給(AS)自体は左にシフトしないという説明です。

―フィリップスカーブについてはいろいろと確認をしましたが、2013年以降、物価が上がっている局面はフィリップス曲線の上方シフトを示唆しているのではないかと考えています。 また、需給ギャップについては、特定の業種や職種で供給制約が限界的に生じていることや日銀短観の需給判断DI等と、足元でギャップがマイナスなのであることとの整合性をご指摘いただいていると思います。需給ギャップについては水準というより、方向や傾きで見ていただいた方がいいと思っています。ややテクニカルな話ですが、我々の推計では、資本ストックについてはSNAベースの民間投資のストックを使っています。JIPデータを用いている日本銀行の推計の方が潜在成長率が低めとなるため、ギャップは縮みやすいということになります。

(山田部長) 一方で、労働市場については、賃金がどうすれば上がっていくのかが取り上げられています。

賃金については、通常は生産性が決まってそれが賃金に影響を及ぼしていくというルートで考えるのでしょうけれども、逆に、賃金自体が生産性に影響を及ぼしていくルートというのもあるのではないかと考えています。極めて単純な分析ですが、名目賃金と実質労働生産性と実質賃金の間で2変数ずつのグレンジャーテストをやると、実質生産性から実質賃金へも、名目賃金から実質生産性に対しても、グレンジャー・コーザリティが有意に出てくるのです。名目賃金に対して上昇圧力があり、ある程度賃金を払わざるをえない状況にあれば、経営資源をより生産性の高いところにシフトしていかざるをえない、一種のプレッシャーとして企業の事業構造に影響するのではないかと考えられます。

たとえば80年代ぐらいまでは、労働組合の影響や労働市場が恒常的には余剰が生じていなかったということなどが名目賃金に対する上昇圧力になっていたと考えられます。同時に、右肩上がりの成長がみられる時期でしたので、結果的に成長分野に人が移っていくルートがあったのではないかと思います。

しかし、その後は需給が緩和して名目賃金に対する上昇圧力がなくなり、さらに日本の労働市場は、追い込まれれば人員を削減しますけれども、例えばアメリカ企業のように好景気でも不採算事業を整理する、いわゆる攻めのリストラといったことはあまりやらないという特徴があります。そうすると、どうしても雇用維持のために賃金を抑えようという動きも労働者サイドからも働いてしまう。実は、こうした動きがデフレ発生のメカニズムと関係してくるのではないかと思っています。

また、138ページでは、実質賃金について労働分配率の低下や交易条件の悪化による要因分析していて、非常におもしろいインプリケーションの出た分析だと思います。労働分配率は名目賃金をどう決めるのかに関係していると考えられます。景気が回復してきたときに労働市場が機能して転職が活発化すること等によって需給が逼迫するとか、あるいは労働組合がヨーロッパ的に強いと、分配率の低下はもう少し緩やかだったのではないかと考えられます。生産性を無視して賃金を上げるという話ではないと思うのですけれども、少なくとも日本では、通常景気が回復するなどして、賃金が上がるはずの局面で上がらなかったことに弊害があったのではないかと思うのです。

以上から、企業の中でより収益性の高いところに移すためのプレッシャーがかかってくるメカニズムも大事だと考え、いわゆる政労使の会議の中で賃金を上げようという議論があったことも、私は意義があると思っています。

―企業は、賃金を上げることにより、ただコストが上がるだけでは賃金を引き上げるインセンティブがありません。アンケート調査の結果などから言えば、労働者の定着を図るためにベースアップをするといった動きがないと、なかなか持続的に賃金が上がらないと思います。

(竹田教授) マクロ経済学において、賃金はなぜ下方に硬直的かということに関する仮説は、5つほどあります。山田さんのおっしゃった効率賃金仮説のほか、インサイダー・アウトサイダー理論、暗黙の契約理論も、成り立っているかもしれません。

もし、暗黙の契約理論によって賃金が硬直的であるならば、雇用契約を短くする雇用調整のスピードを早めて多様な労働者の参加を促す政策は、賃金の調整もかなりスムーズにするのだろうと思います。

(山田部長) 国際比較をしたときに、日本の労働市場は、雇用の調整がゆっくりで、もともと時間外労働が前提でありボーナスの割合が高いということから賃金で調整するという特徴があります。この20年のデフレギャップが発生する中で、雇用に対する調整圧力が強かったものの、それを先延ばししたので、その分をボーナスや時間外等の賃金面で調整せざるをえなかったということだと考えます。すると、循環的に景気がよくなったときにも、雇用調整圧力が残っていたものですから、賃金が下がるという形が定着してしまったという解釈が成り立つのではないかと思います。そう考えれば、今回の景気回復では雇用調整圧力が解消に向かっているため、多くのベースアップがもっとみられてもいいはずだと思います。

(竹田教授) 賃金が上がらないことの理由としては、もちろん非正規やパートの割合が増えたことの影響が強いという指摘もありますけれども、これだけ街中に求人の張り紙がみられるほど労働需給がタイトになっているので、もっとベースアップがみられてもいいだろうという気がします。今は、なぜ賃金が上方に動かないのかということを説明しなければいけないという意味で、先ほど議論していた賃金の下方硬直性を説明する仮説とねじれが生じています。

(山田部長)さらに雇用調整の話との関係で、いわゆる雇用の流動化の関係について取り上げています。第2-3-2図にある国際比較のマクロの分析では、雇用調整速度の速い国ほど労働生産性が高くなる傾向を示しています。一方で、ミクロの分析では、労働生産性を高めるためには人材育成が必要で、そのためには一定の定着が必要という議論となっているので、一見するとちょっと矛盾するように印象を受けます。これは、個別企業としてはコア人材を定着させていくために一定の年功カーブや様々な施策で人材投資をすることが必要なのですが、マクロで日本全体でみたときには、90年代以前の労働移動は活発なときほど賃金が上がっているという現象をとらえているわけです。日本にとって問題なのは、いわゆるリストラなどによって経済の下降局面で労働移動が大きくなってしまったことでしょう。経済の回復局面で労働移動が起こっていくというサイクルのために、政策的にどう誘導していくかという論点が重要なので、もう少し整理をされることを期待したいという印象です。

我が国経済の構造変化と産業の課題

―第3章は産業に焦点を当てています。経常収支の赤字に着目して、それが示唆する日本経済の課題を考察しています。比較優位の変化に柔軟に対応していくことが重要で、製造業では、グローバル・バリュー・チェーンを構築して生産工程の国際的な最適化を図ることや、サービス業との連携を強化していくことが重要であると強調しています。国内の個人向けサービス業も人口減少や高齢化といった環境変化に柔軟に対応していく必要があるとしています。

(竹田教授) ホットなトピックとして、経常収支の赤字が意味することに接近したことが注目点です。通常、名目の経常収支が円安によっていったん赤字化してからおそらく一年半ぐらいのタイムラグを伴って黒字化するJカーブがみられるというのが定説だと思います。円安化後しばらく経った現在、益々赤字が目立つようになってきているようにみえるのはなぜかが大きなテーマです。白書では、数量効果より価格効果のほうが強く出ているという結論になっています。かつての「国際収支の経済発展段階説」に照らし、既に日本は貿易サービス収支で黒字を計上する国ではなく、むしろ成熟した債権国として所得収支で稼ぐ国になったのではないかという問題意識は今でも、旧くて新しい問題だと認識しています。

(山田部長) 私も経済発展段階説というのはすごく大事だと思うのですが、むしろ一国でみるよりは産業別、あるいは部門でみたほうがいいのではないかと考えています。ある産業、たとえば自動車は輸出代替が進んで海外生産がふえ、むしろロイヤリティーや投資利益を受けとっていくという形に近くなっているのではないかと考えられます。一方で、例えば一般機械、産業機械、食料品といった分野は輸出ができる産業といえます。国全体として論じることもおもしろいのですが、産業やセクターごとにそういう位置づけをしていくという方法もあるかという感じがしました。

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―輸送機械や一般機械等の産業別にみると比較優位の変化があり、それぞれに違ったフェーズにあるということが今回の白書のメッセージです。稼げるところで稼ぐというか、輸出に比較優位があるのであれば輸出で、ロイヤリティーに比較優位があるのならば、そちらでということだと思います。また、Jカーブについては、円安になって価格効果が効いて輸出が伸びる産業、たとえば化学や鉄鋼等もありますが、全体としては輸出数量が伸びにくいという事態が生じているのだろうと考えられます。海外の需要が弱いということと、自動車などで現地価格を下げないで、数量ではなく価格で稼いでいるということが影響しているのではないかと分析しています。

(竹田教授)産業の立地の問題にかかわる話として、「グローバル・バリュー・チェーン」という言葉が示され、産業の1つの将来像を描かれているのをとても興味深く読みました。どこに立地していようと、グローバルなバリュー・チェーンの中で上流あるいは下流への参画のいずれにせよ、日本企業が果たす役割はあるのだということです。経済発展の理論家であったアルバート・ハーシュマンは、投資の限界効率性の高い産業から優先的に活性化していくと考えるのが、普通の経済発展の戦略だけれども、むしろある1つの産業が他の産業にどれだけ誘発効果をもたらすかという基準で見て、社会資本を増設していく戦略が、一国全体の経済発展にもたらす効果が極めて大きいということを指摘しました。これは、グローバル・バリュー・チェーンと同じだと思うのですけれども、上からの効果と下からの効果を見究めていくことは、「失われた20年」を経て新たな経済発展を必要とする日本で、忘れられてはならない観点ではないかと思います。

(山田部長) このグローバル・バリュー・チェーンの考え方は、おもしろく、重要だと思います。それと関連して、製造とサービスの連携といった話にメスを入れられたのは非常に重要な視点です。ただ、この応用編として、今後の課題についての分析をされるのであれば非常に有意義なのではないかという印象を受けました。

― 本日は、多岐にわたって御示唆いただきました。それを踏まえて分析を深めてまいりたいと思います。今後とも御指導のほど、よろしくお願いいたします。

(本インタビューは、平成26年8月8日(金)に行いました。)

 (注)平成26年度年次経済財政報告は以下のページからご覧いただけます。
http://www5.cao.go.jp/keizai3/whitepaper.html
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