ミクロ計量分析と政策研究の発展について

  • 大森 義明
  • 横浜国立大学国際社会科学研究院 教授
  • 聞き手:内閣府経済社会総合研究所長 西川正郎

ミクロデータの分析は、その計量経済学的手法の発展に伴い、長足の進歩を遂げている分野と考えられます。大森先生はこの分野において、日米双方で研究・指導を行われてきました。この機関紙ESRでは「経済理論・分析の窓」として経済学の理論的な点・潮流等について専門家の方から簡単に解説いただくコーナーを設けておりますが、記念すべき第1号、続く第2号では、大森先生に「ミクロ計量経済早わかり」としてミクロデータ分析にとって基礎的な理論とデータの関係や識別問題等について解説いただいています1。今回は、ミクロ計量分析と政策研究の発展に関して、研究や後進の指導にもご活躍の大森先生にお話を伺いました。

データの利用と研究の進展

画像:横浜国立大学国際社会科学研究院 教授 大森義明

— 最近のミクロデータ利用の状況と研究の進展をどのように見ていらっしゃいますか。

大学や様々な研究機関でもパネルデータ等を集めるなどの取組が行われ、以前に比べて公的統計等も用いられるようになり、最近は日本国内でもミクロ経済分析を実施する研究者が増えてきました。基本的には日本は個票データの多い国と言えるでしょう。ただ、残念ながら、これらのデータについても十分に使われているとは言えず、日本のデータを利用したミクロ計量分析については、数がまだまだ少ないという感じが否めません。

米国では、基本的に政府が集めたデータは研究・政策評価に自由に用いることができるという原則のようなものがあると思います。データを管理するウェブサイトで名前や所属等必要なことを書けばダウンロードができるというサービスになっているものが多い。中国のデータでもそういう対応ができるものが増えてきました。

研究者は新たな知見を見出し、成果を論文にまとめ、ジャーナルに発表することを使命としていますので、そのためにデータが必要となった場合に、日本のデータアクセスのハードルが高いのであれば、海外のデータソースを用いてでも目的を達成したいと考えるでしょう。特に、経済学では、他の条件を一定とすれば、何らかの施策等に対する人々の反応は国境を越えて似通っていると考えるので、日本のデータで分析しなくてはならないということはありません。最近は、1か国のデータだけではなく2か国、例えば、米国とそれ以外の国といった形で比較対象をして、制度等が違う国においても同様のことが言えるのではないかということを実証する研究も増えています。日本のデータも海外の方に利用いただいて、こうした比較研究などにも活用していただくことが肝要でしょう。

日本では大学や研究機関等で作成されているデータについては、慶應義塾大学のパネルデータ設計・解析センター、家計経済研究所のパネルデータや東京大学の社会科学研究所のSSJデータアーカイブ等により、以前よりデータにアクセスできるような努力がなされているとは思います。ただ、残念ながら、こうした大学における努力も予算と教員の研究時間が限られる中で十分になされているとは言えません。また、米国などの大学ではさまざまなデータのアーカイブから研究者が利用したいデータの入手を仲介する機関、データラボというような施設が整っています。日本の大学ではこうした施設を持っているところが限られているのは残念です。

— 若い研究者は政策インプリケーションの強い研究にあまり取り組んでいないという意見もあります。

政策インプリケーションのある研究に取り組むかどうかについては、研究分野にもより様々ではないかと思います。私が研究を進めている労働経済学は、少なくとも米国などでは非常に政策志向が強い分野で、かなり政策に絡んだ論文でなければ、よいジャーナルにはなかなか掲載してもらえません。ミクロデータを使う人たちの研究上の重要な目標は、政策的なインプリケーションがあるような研究をするということ、それはもう間違いないと思います。

日本のデータに限らず、データの多くはそもそもそういう政策評価を行うためにデザインされていないのです。非常に使いにくいという点があると思います。記述統計を目的としたデータはそもそも政策評価のために設計されていないので、政策的な分析をするのに必要な情報が欠けていることが少なからず生じるのです。 例えば、訓練プログラムが訓練後の賃金に与える効果を評価したいとしましょう。 訓練プログラムへの参加を労働者に無作為に割り当てる実験を行い、その結果を記録したデータは、政策評価のために設計されたデータの一例です。実際に、海外ではこのような実験データが政策評価に用いられています。一方、記述統計を目的としたデータは、実験データではなく、経済主体の自由な行動を反映した、いわゆる観察データです。訓練プログラムに参加するか否かは労働者が決めており、無作為に決められてはいません。このようなデータを用いて政策評価を行うには、政策の割り当てと結果以外の情報、この例では、訓練プログラムへの参加・不参加と訓練後の賃金以外の情報も必要になって来ます。例えば、伝統的な最小二乗推定やマッチング推定は、さまざまな変数を一定に保てば、政策割り当てが無作為であるとみなせる場合に有効な手法です。分析者は、労働者の属性や環境に関する多くの変数を一定に保とうとすることでしょう。そのような変数がデータから欠けていれば、最小二乗推定やマッチング推定からは信頼に足る政策評価を期待することは難しくなります。そんなときに、分析者は、政策の割り当てには影響するものの、欠けている変数とは相関しない変数、いわゆる操作変数を用いた政策評価をしようとするでしょう。 操作変数の背景にある自然実験を現実の世界に見出せる保証はありませんが、自然実験を見出せる状況であっても操作変数を構築するのに必要な情報がデータから欠けていれば、操作変数法も使うことができません。 例えば、居住地・勤務先の都道府県や生年月日などの情報は操作変数を構築するのにしばしば必要になるのですが、研究者がこれらの情報を含むデータを利用できるのはむしろ例外的です。

— 大学で研究したものが政策に役立っているかどうかといった評価のメカニズムがあれば、研究者が非常に評価されて本人も誇りにもなり、政策研究の発展につながっていくと考えますが、いかがですか。

大変大きなテーマです。日本の大学における教員の評価については、研究業績システムが確立しているとはいいがたいと思います。米国では評価方法というのはだいたい定まっていて、たとえばサイテーションインデックスジャーナルに毎年1本必ず公表しなければならないなどの日本の多くの大学よりも厳しい評価基準が定められています。日本では研究者が研究をする強いインセンティブが与えられていないということもあります。

— データの利用に関しては、マイナンバー制度が始まるので、行政データ、行政記録情報の将来の利活用についても期待が高まっていると考えられます。行政記録情報は収集コストの低いパネルデータであるということ、Attrition(脱落)が少ないというメリットがあると思いますが。

行政データ、もしくは業務データはそのデータがカバーする範囲という意味では広く、サンプルの脱落がない等の点から注目されていますが、必ずしも研究を実施する際に使いやすいデータというわけではないでしょう。たとえば、2月のESRIフォーラムの資料で大竹先生がふれられている業務データに関しても大変素晴らしいデータと思いますが、これらはそもそもこうした政策の対象となる方を対象に取っているデータですので、サンプルセレクションの問題が起こっています。

実は、Attrition、サンプルの脱落が起こることは、計量経済学的手法の発展により、ある程度カバーすることができるようになっています。それよりも、こうしたサンプルセレクションの問題を解決して政策効果を取り出すためのサンプル外のデータと変数、いわば操作変数が欠けていることの方が重大だと考えます。

実際に政策分析に使えるデータは、政策を分析するための土台となる経済学的仮説なり理論モデルが念頭にあって必要な変数が見えてくるものと考えられます。つまり、データを使いやすくする、あるいは政策分析に使うデータを収集するには、こうした統計を作成・収集する側に、ある程度の経済学的知識と計量経済学に関する知識を持った人がいなくてはならないということだと思います。実際に分析に用いられるさまざまなモデルのパラメータを識別、推定するのに必要な変数を判断することが必要ということです。

— 今年1月の米国経済学会総会においても行政データに関するセッションが設けられるなど、米国でも行政データの活用についての関心が高いようです。

行政データについて議論が高まっているのは、米国でさえも行政データを自由に使えなかったという実態があるからでしょう。行政データは政策分析のために研究者への提供はある程度行われてきてはいましたが、誰かが使えるようになる自由ではなく、みんなが使えるようにオープンアクセス化していくという観点からの議論と考えられます。

政策研究発展のためには、オープンアクセス可能なデータを用いているかどうかという、アクセシビリティーはとても重要だと考えます。何らかの研究実績があったとして、それとは別の研究者が同じデータを使って、同じような結果が得られるとするならば、その研究は裏付けられるでしょうし、逆に手法を変えると異なる結果が得られるのであれば、先行研究に対する議論が生まれるでしょう。このような積み重ねを行うことによって、より頑健な成果が残されて、その分野に関する研究が発達していくのではないかと思われます。

日本ではオープンアクセスでのデータ提供サービスはあまり行なわれていません。特に政府の統計調査については、そういう形式ではありません。今は統計法が改正になって研究目的で用いることが全面的にはできるようになりました。これは昔、私がミクロ計量分析を始めた30年前ぐらいとは隔世の感がありますが、ただそれでも現在の利用については、事前に審査があり、研究計画で提出した内容の範囲でしか研究ができないし、また研究利用期限が例えば1年と限られるなど、使いづらいものになっています。データを使った分析については実際のデータを眺めて、そのデータの癖というか、特性をしっかり把握して分析できる土台を作ることが重要です。それだけで1年はかかってしまうことも多い。もしデータの利用が1年に限られてしまったら、研究ができない、あるいは不十分なまま終わってしまうか、十分なデータの吟味がないままに1年で分析を終えられるような題材に終始するといった選択をして利用申請するということになるのではないかと思います。この結果、あまり質の良くない研究になってしまうことが懸念されるのです。

以上の話は、公的統計の話ですが、大学等が作成するデータはやはり研究には有用です。実際、米国の労働経済学の実証分析の厚みに貢献したのは、ミシガン大学によるPSID(Panel Study of Income Dynamics)やオハイオ州立大学のNLS(National Longitudinal survey)といったアメリカを代表するデータがあったからと言っても過言ではないでしょう。これらはよくデザイン・管理がなされていて、調査の代表者・主査という立場の方に学者が就いて進めており、研究者のネットワークを利用して質問を構築しています。また、最近の調査は潜在的に多くの質問項目からなる調査となっていまして、調査票ではなく、ある質問にイエスと答えたら次に必要な質問項目に飛ぶように、フローチャートをすべて組み込んだタブレットで管理しています。質問をし損なったり、齟齬のある回答を受け付けたりというミスもほとんどありません。

もちろん、このような調査を行うには、それなりのお金や人が必要です。実際これらのパネルデータもファンドの問題から2年おきになってしまった時期もあり、データの質が落ちたといわれています。

最近は先述の通り、日本の大学でも、こうしたパネルデータを作成する動きもありますので、今後期待しています。

— 研究の成果について、オーソライズされた見解として政策へ利用できるものがあればよいと思います。ある分野について十分な論文のサーベイなどが行われていると、指針が見えて大変よいものだと思います。

サーベイについては、Journal of Economic LiteratureやJournal of Economic Surveysといったジャーナルがあります。何よりも研究者に利用されているのはHandbook of Labor Economics やHandbook of Health Economicsといったハンドブックシリーズです。また、よいジャーナルに掲載されている論文には優れた先行研究のサーベイがありますので、そうしたものを参考にしていただければ、それぞれの分野の最新の状況がつかめるのではないかと思います。

私が専門とする米国の労働の分野の例などでも一つの結論が出るのに何十もの研究成果があり、それらが積み重なって、よい研究がクローズアップされてくるわけです。そのように評価が固まらないと議論は難しいと思います。

文献サーベイは、そうした数多くの研究があってできるものなので、一定の蓄積がないとまとめるのは難しいと思います。幸い、日本でも労働の分野に関してはある程度蓄積もあり、雑誌の特集などで研究者たちが最近の研究の紹介をするということも行われています。日本も10年後ぐらいには本格的なサーベイ論文が出てくるのではないでしょうか。

画像:内閣府経済社会総合研究所長 西川正郎

— 先生には私ども研究所が主催する研修の講師もお勤めいただきました。研修の参加者には内閣府だけではなく、他の省庁の職員も参加しており、ミクロ計量分析や政策評価に対する関心が広がっていると考えられます。こうした受講者たちと接している中で、政府職員に求められる資質等についてのご見解はいかがでしょうか。

内閣府での研修は数日で終了するものですから、残念ながら、受講生の方の状況を十分把握するほどお話ができる状況ではありません。ただ、ミクロ計量分析に関する手法を習得するということは難しくて、しっかりとした分析・研究を行える水準になるには十分なトレーニングが必要です。私も学部や大学院で学生を指導しており、ゼミでは因果効果の分析に関する指導で週に4時間を擁していますが、それなりの分析ができるようになるには3年はかかるという印象を持っています。ただ、最近は日本人の大学院生が少ないので、そうして訓練を施した学生が日本に残らないということも起こっていますが。

昔はあまりミクロ計量経済学の本はありませんでしたが、最近は日本語でもかなり入門的なよい教科書が多く出版されるようになりました。

— 先生は、海外の教科書を訳されていますね2

進んだ内容に関する十分にまとまったいい教科書を日本の方に紹介して、少しずつみなさんにミクロ計量経済分析とはどのように役立つのかということを広めていく必要があるのではないかと考えて、翻訳という方法に取り組んでいます。

以前訳した教科書は、大変テクニカルなところもある、中上級の方用の教科書だった手前、入門者の方には若干読みづらい教科書だったかもしれません。他方で、かなり入門的な教科書ですと、計量分析の感覚を磨くのにはとてもよいと思いますが、それだけでは読んですぐに実際の分析に応用・実践できるという感じにはなりません。今も私は同じ著者によるもう少し入門向けの本3の翻訳に関わっています。これは以前、私が訳した中上級的な教科書と入門書との間に位置づけられると思います。また、彼らはウェブサイトを開設していまして、教科書内のデータやプログラムのコード等をダウンロードできる仕組みになっていて、実践することができるというのがメリットです。

ぜひ、日本の方にミクロ計量経済学の手法を十分に勉強して頂きたいと考えています。

— 本日は、ありがとうございました。

(本インタビューは、平成27年 5月 1日(金)に行いました。)


1「ミクロ計量経済早わかり(1)」Economic & Social Research(ESR) No.1 pp.10-11. , 「ミクロ計量経済早わかり(2)」Economic & Social Research(ESR) No.2 pp.10-12.

2ヨシュア・アングリスト、ヨーン・シュテファン・ピスケ『「ほとんど無害」な計量経済学:応用経済学のための実証分析ガイド』,大森義明・小原美紀・田中隆一・野口晴子 訳 NTT出版、2013年 (原著はAngrist, Joshua and Jӧrn-Steffen Pischke Mostly Harmless Econometrics: An Empiricist’s Companion, Princeton University Press, 2009).

3Angrist, Joshua and Jӧrn-Steffen Pischke, Mastering ‘Metrics, Princeton University Press, 2013.

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