デフレ脱却と経済再生の「これまで」、「これから」
「経済の好循環」拡大に向けた課題は何か

  • 川口 大司
  • 一橋大学大学院経済学研究科教授
  • 品田 直樹
  • 株式会社日本政策投資銀行財務部次長
  • 聞き手:内閣府政策統括官(経済財政分析担当)付参事官(総括担当) 村山裕

―本日は、経済財政白書を題材にご議論いただきたいと考えております。2013年以降、アベノミクスの下で、物価の面でデフレはみられなくなり、人々のマインドも若干好転してきたのではないかと思います。景気も消費を中心に持ち直し、企業の収益増加から、雇用・所得環境の改善が続いています。こうした良好な指標もみられるものの、今後の課題としては、デフレマインドを払拭し、成長の天井を引上げ、期待成長率を高め、生産性を上げていくような前向きの企業活動が求められるのではないかと考えます。

足元の景気動向について

画像:一橋大学大学院経済学研究科教授 川口大司

―まず、景気動向についてですが、好循環の下で景気の緩やかな回復基調は続いており、消費増税もあったが、雇用・所得環境の改善傾向、好循環は継続しているととらえています。今後にかけては、消費・設備投資の持ち直しが求められるでしょう。一方、物価は、デフレではなくなり、賃金上昇を背景にCPIは緩やかに上昇。GDPギャップはなおマイナスだが、予想物価安定、労働需給改善により改善が期待されると考えております。

(品田氏) この1年を振り返ってみて、日本の景気動向に大きなインパクトを与えたのは円安の動きと、昨年の秋以降の原油安であったと考えています。今回の円安については、輸出数量がさほど伸びず、むしろ交易条件の悪化によって実質賃金が低下し、日本経済に負の影響を与えました。この点は白書でも触れられており、特にコラム1-1では、円安は幅広い業種で生産者価格の下落に影響するが、原油安は一部業種での下落に大きな影響を及ぼすことが指摘されています。本来、円安は輸出入両方に、原油安は主に輸入側に影響すると考えられますが、足元では原油安のポジティブな効果が実体経済に及んでいないのは気になるところです。原油安による実質的な所得移転効果が薄れているのではないか、また円安と原油安の綱引きが最終的に期待インフレ率にどのように影響していくのかといった点が注目されます。

(川口氏) いま為替のお話がありましたが、景気動向には交易条件の変化がかなり大きな影響を及ぼしているという気がしています。1980年代半ばから現在までの実質賃金と労働生産性の動きをみると、CPIでデフレートした実質賃金と労働生産性との比較では実質賃金が生産性に伴って上がらない、もしくは下落しているという評価になるのですが、GDPデフレータでデフレートした実質賃金では労働生産性とかなり安定的な動きとなるということが分かってきています。CPIとGDPデフレータの動き方の違いは交易条件が大きく影響することがわかっていますから、景気が回復することが消費の増加につながるかどうかは交易条件に大きく依存します。同僚の齊藤誠先生や深尾京司先生が長らく指摘されていますが、交易条件の変化による富の流出をどう抑えるのかが、今回の景気回復が国民生活の改善につながっているのかどうかにつながっているのだと感じました。

―原油の影響は小さいかもしれませんが、じわじわと影響すると考えられるので、注意してみるべきだと思います。一方で円安については食料品価格等への影響等もあり、直接消費に影響するものでした。デフレからの脱却については、円安は前向きにとらえられるかもしれませんが、原油についてはCPIの短期的引き下げにつながります。デフレ脱却に向けた課題として加える部分としては何があるとお考えでしょうか。

(品田氏) デフレ脱却については、デフレマインドの払しょくとインフレマインドの醸成という2つの側面があり、この2つにやや距離があることが問題だと考えています。

前者については、日銀の異次元緩和が始まり円安方向に大きく転換したことや、GDPギャップが改善して名目賃金が上昇したことによって、長らく続いた円高と自己実現的なデフレ予想によるデフレ均衡ともいうべき状態からは脱却できたのではないかと思います。

しかし、安定したインフレマインドが醸成されるにはまだ時間がかかると考えています。以前に比べると、人口減少などの構造的な要因が供給側だけでなく需要側も抑制し、インフレにもっていくのは難しいという認識が広がっているのではないでしょうか。

こうしたなかで、インフレ期待が醸成されるには、それを牽引するセクターが必要ではないかと考えています。米国では2003~2004年と2009~2010年に米国型コアCPI上昇率が2%を下回りました。このディスインフレ期でも、メディカルケア(保健医療)は毎年3~4%の物価上昇となり、インフレ率を下支えしました。日本でも、毎月勤労統計調査等の数値をみると、今年に入って教育・学習支援等の分野では前年比プラスの傾向が続いています。こうしたサービス部門の物価上昇がドライバーとなってくると、インフレマインドの醸成にも大きく寄与すると考えられます。

(川口氏) 景気回復の感覚が広く認識されることが重要です。たとえば、景気回復が消費に与える効果について、影響を強く受ける家計とそうでもない家計、資産の有無等、異質性はかなり大きいと思います。白書の中でも家計調査を使った分析で、60歳以下の低所得層で消費が伸びていないことが示されています。こうした世代がどれぐらいの幅を持っていて、どういう位置づけなのかということをみて、景気回復の影響が広範囲に広がっているのかどうかをみることが重要でしょう。

(品田氏) 私も家計調査を用いた分析について、関心を持って拝見しました。消費税率上げによって60歳未満の低所得者層の消費が抑制的になったということは、いわゆる流動性制約下にある家計が多いということかもしれません。もしそうであれば、金融政策や財政政策の効果にも影響するので、こうした分析は消費税率が再度引き上げられる際に逆進性を加味するかどうかという議論にも役立つことでしょう。

労働力の確保

画像:株式会社日本政策投資銀行財務部次長 品田直樹

‐第2部では、生産年齢人口が減少するなかで、労働力の確保や効率的な労働移動という課題を取り上げています。女性・高齢者の労働参加によって就業者は増加していますが、同時に非正規比率も押し上げています。こうした労働市場の二極化に偏らず、多様な働き方や生産性上昇にいかにつなげられるかについて伺います。

(川口氏) 労働力の確保は喫緊の課題であるとともに、長期的な課題であるといえます。特に女性はM字カーブに代表されるように30~40代の女性が労働市場に参加しないなど、その生産力をフルに活用できていないのが現状です。これを解決するのは大変難しいことですが、保育制度を充実し、ワークライフバランスがかなうように取り組んでいくことが重要です。これには男性の正社員に対する対応も必要で、正社員が長時間働かなくてならないという現状は男性の育児参加を妨げるものとなっているのです。どうして正社員が長時間働かなくてはならないかというと、固定費が高いからといえます。日本は法的解雇が難しく、また正社員のキャリアアップを重視する慣行にあるので、正社員を解雇したくないと考えます。そこで、追加的に必要な労働力は非正規社員を採用することで回していくというのが、非正規社員が増えた原因です。今人不足となっている中で、女性や高齢者を使わなくてはならないというのは雇用管理を含めて経営判断として必要となっている話で、国でできることは少ないのかもしれません。しかし、不当解雇について金銭解決が許されておらず、人員縮小する際の手続きが未整備な状態にあることは、正社員の固定費を高める要因につながっていると考えられます。正社員の固定費用を下げるような形での改革を行わなくては、仕事と育児の両立はなかなか広がっていかないのではないかと感じています。

白書では、企業のマイクロデータを用いて、労働生産性の伸びを産業間と産業内の影響とに分解し、産業内での生産性の伸びの寄与が大きくなっていることを示しています。これは、同じ産業の中でも生産性の高いところに人が移動していく流れによって生産性が高められたことが示唆されます。先ほどの家計の分析とも重なりますが、企業の分析においてもマイクロデータを生かしてその異質性に注意を払った分析が重要になっていると考えました。

(品田氏) 最近、高齢者の非正規雇用が増加していることも大きな特徴です。企業内に特化したスキルを持つ高齢者が、定年後に企業外でスキルを活かすことができず、元の企業で非正規雇用されるケースがありますが、高齢者のスキルを社会全体で効率的に使えず、賃金の水準も下がってしまいます。

(川口氏) 定年後の再雇用について、賃金の急激な減少が見られるのは、定年直前の賃金ギャップが大きい、つまり生産性よりも高い給与をもらっていることによるものです。もう少し生産性に見合わせて賃金カーブのフラット化を図って長く働けるようにすることも重要でしょう。

非正規就業の問題点は、人的資本の蓄積が期待できないことです。雇用期限が切られている非正規の社員に対して、企業はスキルを高めるような投資へのインセンティブを持ちません。欧州の一部でも正社員の解雇規制が厳しいのですが、一方で、非正規就業の規制を緩和した結果、労働市場の二重化につながるということがわかってきました。日本もそのパターンになっているのではないかと危惧されます。もう少し正社員について賃金や雇用調整もフレキシブルにするような労働市場の改革を行うことで、こうした状況を解消すべきでしょう。

イノベーションと生産性

‐日本は、研究開発の規模といったイノベーションのインプットは大きいのですが、経済全体の生産性上昇というアウトプットに反映できていないのではないかという議論があります。

(品田氏) 日本の場合、インプットは非常に高い水準にありますが、なかなかそれがアウトプットに結びついていないという白書のメッセージは非常に明確ですし、その通りだと思います。イノベーションの効果については、インプットをフローで見るだけでなく、蓄積されたストックがどれだけアウトプットにつながるように使われ、生産性を上昇させているかが重要で、たとえば学習院大学の宮川努先生などは無形資産と生産性向上に関する研究を進めていらっしゃいますが、無形資産のストックがどう使われているかという分析は今後非常に重要になってくると考えます。特にアウトプットにどれだけ反映されているかという点については、技術知識の陳腐化のスピードや、資本ストックでいうところの稼働率をいかに定量化して分析するかがポイントになるでしょう。

また今回の白書でも焦点を当てられていましたが、非製造業のイノベーションについては、生産と消費が同時に行われるという性質から、計測・把握が非常に難しいと思います。

(川口氏) 経済学的には、イノベーションとは労働と資本のインプットが同じ投入量であるのにアウトプットを上昇させることを示すものであり、必ずしも科学技術の革新だけを示すわけではありません。技術があると思われている会社であっても投資に失敗して付加価値を見出すことができないという場合もあります。このように、付加価値を増やすのは技術だけではなくそれを運用する人材・経営の高質化も必要なのです。旅館再生ビジネスなどは最たる例でしょう。白書のコラム3-1では、日本はマネジメント能力の高い人材が不足しているということが触れられています。経営能力のある人材をどう確保していくのかは、真のイノベーションを実現していくための課題でしょう。

―法律や規制への対応ではなく、社会慣行というものも大きくかかわることから、政府ができることは限られているのかもしれません。人材または人材以外への投資が進むようにするための鍵は何でしょうか。

(品田氏) 川口先生がおっしゃった人材・経営のイノベーションを通じて、企業が効率的に経営されているかを外部のステークホルダーがきちんと評価することが大切です。

白書のコラム3-2-8では、現預金の保有と収益性の関係について論じられています。現預金を多く持つ企業ほどROA等で見るところのパフォーマンスが高いという傾向が見られますが、従前は将来の投資案件を見据えて現預金をリザーブしている企業に対して、ポジティブな見方がありました。しかしリーマンショック後は、将来の不確実性に備えて、保守的な意味で現預金保有を増やした企業について外部からの評価が高まったという分析を行ったことがあります。こうした評価は局面によって変化しますので、経済の正常化に伴って、前向きな投資に現預金を使っていけるような企業が高く評価されるよう、外部のステークホルダーも含めて認識が是正されていくことが重要ではないでしょうか。

(川口氏) 現預金の保有や経営人材等がどうパフォーマンスに影響しているのかを評価することも大切だと思われます。企業の投資行動をどう変えていくのかについては、国としてはコーポレートガバナンスについてのガイドラインを示していますから、このガイドラインが企業行動を望ましい方向に変えているかを評価し、必要であればガイドラインを軌道修正していくことが課題ではないかと思います。

(品田氏) イノベーションには、プロダクトイノベーションからプロセスイノベーションに至るまで多種多様なものがあり、企業側は様々なリスク・リターンに直面しています。一方で、資金供給者側は伝統的な銀行による融資やベンチャーキャピタルによる投資など、制度的に分断されています。白書の中でもクラウドファンディングが取り上げられていますが、今後は、金融システムの安定性を担保しながら、こうした資金供給のチャンネルを増やしていくことがイノベーションの活性化につながるのではないかと思います。

白書について、今後の課題

画像:内閣府政策統括官(経済財政分析担当)付参事官 村山裕

―今後の白書などでの課題、景気回復や成長力の強化に向けて取り組んでいくべき分析などありますか。

(川口氏) 今回の白書ではミクロデータを用いた分析が特徴的でした。特に企業データなどはその分析の成果は十分にあったと思います。今後充実してほしいと思います。これは内閣府の人材の技能を育成するという意味でも重要でしょう。

(品田氏) 労働者や企業についてのミクロデータからの指摘は非常に重要です。アベノミクスの先行きについては、どうしてもマクロ的な政策目標が議論の中心になりますが、その中で労働者や企業といったミクロ単位の動きがどうなっているのかを見ることは、政策を考える上でとても大切だと思います。

―本日はいろいろな示唆に富む貴重なコメントをいただきました。ご指摘の点を踏まえて今後も分析を深めてまいりたいと思います。どうぞ引き続き御指導のほど、よろしくお願いいたします。どうもありがとうございました。

(本インタビューは、平成27年8月6日(木)に行いました。)


(注)平成27年度年次経済財政報告は以下のページからご覧いただけます。

http://www5.cao.go.jp/keizai3/whitepaper.html

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