人材への投資を通じた生産性向上

  • 青木 浩介
  • 東京大学大学院経済学研究科教授
  • 聞き手:内閣府政策統括官(経済財政運営担当)付参事官(総括担当)黒田岳士)

2017年6月、政府は「経済財政運営と改革の基本方針2017」(骨太方針2017)の閣議決定を行いました。骨太方針2017では、人口減少・少子高齢化といった我が国が抱える中長期的課題を克服し、成長と分配の好循環を創り上げていくために、「人材への投資を通じた生産性向上」を改革に向けた取組の中心に据えていますが、その骨格の策定に際しては、多くの経済学者の方とマクロ経済学的な論点について議論を行いました。

今回はそうした議論にも参画を頂きました青木教授に、骨太方針2017のベースとなっている、最近のマクロ経済学の研究成果等についてお話を伺いました。

潜在成長率の伸び悩みとその背景

画像:東京大学大学院経済学研究科教授 青木浩介

—4年半に及ぶアベノミクスの取組の下、日本経済は名目GDPで見れば過去最高の水準に達し、雇用・所得環境は大きく改善し、全国で経済の好循環が着実に回り始めています。一方、世界金融危機以降、世界経済の成長が鈍化しており、日本経済も潜在成長力の伸び悩みがみられますが、こうした先進国に共通してみられる経済の長期停滞の現象についてお考えを聞かせて下さい。

(青木氏)「長期停滞(secular stagnation)」は、もともとはアルビン・ハンセンが大恐慌の後に使い、近年はローレンス・サマーズが使い始めた言葉なのですが、私は、IMFとBISの研究者による研究が、現代版の長期停滞の研究の始まりだと考えています。この研究では、経済危機が起こった多くの国で、経済活動が危機前のトレンドに戻ってこないという発見をしています。例えば、アジア通貨危機の後、韓国やタイなどではGDPが大きく下がりました。本来であれば、V字回復のような形で元のトレンドに戻ることが考えられますが、それが戻りませんでした。大きな経済ショックが起こった後、GDPの戻りが遅いのは特に先進国に限ったものではなく、いろいろな国で観察されることがわかっています。長期停滞の分析については考え方が2つあると思います。1つは、今、申し上げたように、大きなショックからの回復が遅いのはなぜかといった考え方です。仮説の一つとしては、経済停滞の前には何らかの形の金融危機が発生しており、金融危機に伴うバランスシート調整に時間がかかるというものです。また、名目金利のゼロ制約による金融政策の有効性の低下も強調されます。日本のバブル経済崩壊後しばらくの経済停滞を考えても、この仮説を説得的であると考える人は多いと思います。もう1つの仮説は、大きなショックの後には、技術進歩を担うR&D活動が停滞するというものです。大きな負の需要ショックが中期的な経済の経済成長へ波及する要因として注目されています。長期停滞のもう1つの考え方は、実は長期的なトレンドそのものが変化しているというものです。どちらかというと、この考え方の方がハンセンの議論に近いです。特に、人口動態の変化が着目されています。日本経済については、バブル経済の崩壊後、90年代以降続く成長率の低さの全てをバブル経済崩壊の後遺症として考えるのは現実的ではなく、人口動態の長期的な変化などの影響を受けて成長率が低下していると考えるほうが自然ではないかと思います。

—日本については、人口動態が長期的に変化することで成長率が低下しているとお話がありましたが、潜在成長率の低下も長期停滞の1つの要因であるという議論があります。我が国における潜在成長率の低下の背景についてはどのようにお考えでしょうか。

(青木氏)一国のGDPの長期成長率の決定要因は労働人口成長率と技術進歩率です。潜在成長率の低下の要因として、TFP(全要素生産性)成長率の低下がよく議論されますが、これは、日本固有の現象ではありません。多くの先進国でTFP成長率は下がっています。日本固有の問題は、どちらかと言えば人口動態の問題であり、特に労働力人口が長期的に1%程度のスピードで低下することは、経済にとって大きな下押し圧力です。労働力人口が減ると、人手不足から短期的には資本ストックへの代替が生じて、多少投資が伸びる時期が出てくるかと思いますが、中長期的に考えると、労働力人口が減少するに従い資本ストックも減少していくはずです。いずれは、資本ストックと労働力人口の両方が下押し圧力となっていくような局面に向かうと考えています。今は、生産年齢人口が減少を始めて間もないので、一人当たりの資本ストックが上昇し、その結果、労働者一人当たりの所得が依然として高い状態にあると思います。しかし、今後の人口構成の変化を考えると、たとえ労働者一人当たりの所得が上がるとしても、子供や高齢者も含めた日本国民一人当たりの所得の先行きに対しては楽観視できません。だからこそ、まさに、労働市場に参加する人を増やすという「働き方改革」が必要になってきます。

人材投資と生産性向上

画像:内閣府政策統括官(経済財政運営担当)付参事官(総括担当)黒田岳士)

—「働き方改革」の中では、希望に応じて労働市場に参加する人を増やすといった取組とあわせて、質を高めるという観点から、生産性を上げていくことも1つのテーマになっていますが、生産性の向上に向けた政策的な取組について、これまでの研究から考えられることはありますか。骨太方針2017の中では、人材への投資が1つの解になると考えています。

(青木氏)働き方を変えることや子育て支援などを促進することは、労働参加率を高める上で非常に有用であると考えています。労働生産性を高めるためには、長期的な視点からは、労働者の訓練をどこで行うかという点について、きちんと考える必要があります。日本では、これまで、企業内で訓練をすることが一般的でしたが、その背景には、企業が長期に雇用にコミットできるという前提がありました。その前提が変わる場合、例えば、産業の流動化が非常に高まり、労働者に対して長期的に雇用の保障ができないような環境では、企業内での訓練が難しくなってきます。そうした環境の下では、むしろ、訓練を企業の内から企業の外へ移すことも必要になると思いますが、その際、大学の教育の質とか中等教育の質の話が出てくると思います。いずれにせよ、労働生産性を高めるという政策と今後の労働市場の構造をどうしていくかという問題は切り離せないのではないかと考えています。

—経済財政諮問会議でも、リカレント教育の充実や大学教育を含む教育の質の向上を議論してきましたが、教育者のお立場から、最近の学生の方に、どのような印象を持たれていますか。

(青木氏)最近の学生の方については、各自が目的意識を持って良く勉強しているという印象を持っています。その一方、自分の世代と比べ、日本の先行きに対する不安をとても強く持っていると感じます。我々が学生だった80年代、90年代初めは、まだ安定成長の時代でもあり、いずれはアメリカに追いつくといった予想を持っていました。また、老後が不安と思う学生は少なかったと思います。それに対して今の学生の方は、年金への不安など漠然とした不安を持っていると感じます。

労働分配率の低下の背景

—骨太方針2017でも、不安は1つのテーマとなっており、消費が伸び悩む1つの背景として考えられる中、消費の喚起策として、可処分所得の引上げを取り上げています。足元では労働分配率の低下傾向が観察されると言われていますが、実際に低下傾向にあると言えるのでしょうか。また、そうした傾向は日本固有の問題と言えるのでしょうか。

(青木氏)最初に、可処分所得の引き上げと労働分配率の上昇は分けて考えられると思います。可処分所得が資本所得の増加によって増えても、労働所得の増加によって増えても、所得は所得です。経済のパイが拡大すれば、基本的にはいずれかの経路を通じて可処分所得は上昇します。他方、所得から消費への好循環が生まれにくい理由として労働所得の伸び悩みがあるという議論は、妥当性があると思います。所得の低い人は、所得の中に占める労働所得の割合が高い傾向があり、また平均的な消費性向も高い人が多いと考えられるので、労働分配率が上昇し、増加した賃金の取り分が平均消費性向の高い人のもとへ向かえば、所得に対する消費の弾力性は高まるのではないでしょうか。労働分配率の低下傾向については、確かに、比較的多くの先進国で共通して見られる事実として確認されており、日本固有の要因が原因となっているとは必ずしも言えないと思います。労働分配率が低下する要因については、仮説が複数あり意見が分かれているところです。その1つは、賃金に比べて資本財の価格が安くなったために企業が資本の活用を増やした結果、資本のシェアが高まり、労働のシェアが低下したというものです。他には、国際貿易が影響していると考える仮説があります。労働集約的な部品を新興国から輸入したり、労働集約的な生産過程を新興国にオフ・ショアリングしたりすると、労働分配率が低下するというものです。他にも、多くの学者が多様な説を唱えており、1つの理由を決め打ちできていないのではないかと思います。日本のケースについても、どの仮説がもっともらしいか、一言では言いにくいというのが現状だと思います。

—労働分配率を高めることについては、どのようにお考えでしょうか。

(青木氏)労働分配率を上げるべきかという規範的な議論をする際には、現状がなぜ望ましくないかという点をまず分析しなければなりません。先ほど申し上げたような資本財の価格の下落が原因という説が仮に正しいのであれば、労働分配率の低下は企業活動の自然な結果であって、介入すべき根拠が見出せない場合もあると思います。その一方、仮に労働市場において、買い手、つまり企業側の交渉力が過剰に強いという事実がデータ等で明らかになるのであれば、最適な場合と比べ、賃金が低下し雇用が過少になることが少なくとも理論上考えられるわけで、そうした状況の下では介入の必要性があると思います。しかし、少なくとも我々が現在知っている仮説の下では、労働分配率を上げる必要があるという結論が自然に出てくるかというと、それは必ずしも自明ではないと思います。

—今回の骨太では、「改革に当たっては、『経済・財政再生計画』で掲げた『財政健全化目標』の重要性に変わりはなく、基礎的財政収支(PB)を2020年度(平成32年度)までに黒字化し、同時に債務残高対GDP比の安定的な引下げを目指す。」としています。債務残高対GDP比を安定的に引き下げることのマクロ経済学的意義をどのように考えるべきでしょうか。

(青木氏)マクロ経済学的な意義としては、債務残高対GDP比を安定的に引き下げることは、中長期的に安定的な金利・物価環境を作る上で大変重要です。国の債務返済が可能であると皆に信じてもらう、つまり、国の計画に信認を持たせることは不可欠な政策です。現在の高い債務残高対GDP比にも関わらず物価や金利は低位安定しているので、心配は杞憂ではないかという主張もあるでしょう。しかし、政策的な視点から言えば、リスクに事前に対処しておくことは重要であると思います。一般的に言って、大きなリスクについては、本当にそのリスクが顕在化するのかどうか、現在のマクロ経済学の知識では明らかに出来ないことが多いです。しかし、わからないのであれば事前に何もしなくて良いわけではないと思います。マクロ政策を例に取れば、バブルが発生している可能性があるときに、事前に対処すべきか、もしくはバブル破裂が判明した後に事後的に対処すべきかという議論がありました。実は、アメリカの連銀は後者の考え方をとっていたと言われています。しかし、事後的に大きなショックに対処することはとても難しいと思います。限られた時間の中で利害調整の難しい政策を多く行わなければならないからです。なので、少なくとも私は事前の対処を常にしておくことが重要であると思っています。財政の持続可能性については、人々の信認によるところが大きいので、信認という予見が難しいものについては、保守的に対処することがよいと考えています。

—今回の骨太では、統計改革やEBPM(証拠に基づく政策立案)の推進が一つの柱として記載されています。先生がご指摘されたように、我々も、政策を議論する上では現状の分析が重要だと考えていますが、マクロ政策運営における「エビデンス」をどのように蓄積・活用していくことが求められるでしょうか。

(青木氏)証拠に基づく政策については、ミクロの政策に比べ、マクロの政策の場合は、より難しいのが現状です。これは、環境を制御した下での実証が難しいからです。例えば、消費税率引き上げの影響を調べるといっても、消費税率が変化した事例が少ない上に、税率の変化だけではなく、世界経済の状況等を含め様々な要因が消費に影響を与える結果、ミクロ分析の場合と異なり、政策の影響のみを正確に抽出することが困難です。だからといって、証拠に基づく政策ができない訳ではありません。サンプルが足りないのだったら、歴史を遡って同様の事例を探したり他国の事例を検証したりするなど、ミクロの分析に比べると精度が劣るかもしれませんが、いろいろと手段はありますし、やる価値はあるのだと思います。政策的な実験はできなくても過去の政策の評価や効果の計測を常にやっていくことは健全であると考えています。もう一つは、マクロ政策を担当する役所として、経済見通しを作成する能力はとても大事だと思います。短期・長期の信頼できる見通しを作成し、それに整合的な経済政策を行うことは、正しい経済政策を選択するためにも、また政策の妥当性を国民にきちんと説明するためにも非常に重要です。

—最近、研究所の学術誌である『経済分析』では、テーマを設定した上で、現在あるいは将来の政策課題に対する提言や示唆を与える分析・研究の募集を試みています。アカデミズムとの日々の交流の仕方などについて、ご提案はありますでしょうか。

(青木氏)政策当局者と学者との交流については、より応用的な学会やコンファレンスの回数を増やすこともよいことだと思いますし、時々、各省庁で行われる勉強会も非常によい取組だと考えています。出向も含め、人事交流をさらに促進することは双方にとって非常に良いことだと思います。

—本日はありがとうございました。

(本インタビューは、平成29年6月19日(月)に行いました。)

画像:インタビューの様子
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