インフレ目標付長期国債買い切りオペの提案

学習院大学経済学部
岩田規久男

2つの構造的デフレ圧力

バブル崩壊後の日本経済は、単なる景気循環だけでは捉えることができず、2つの構造的な要因が絶えずデフレ圧力として働いている。

第1は、グローバルな競争の激化などによる構造改革圧力というデフレ要因である。

第2は、株価と地価の暴落とその後の持続的な下落による資産デフレである。資産デフレは構造改革にともなう痛みを増幅する。そのため、日本経済は不良債権の早期処理とそれに伴う構造改革がなかなか進まず、その遅れが資産デフレを長期化させ、それが再び構造改革を遅らせるという悪循環に陥っている。

フローとストックのデフレの悪循環

2000年12月の国内卸売物価(97年4月の消費税税率引き上げ調整後。以下同)は90年代のほぼピークである91年1月に比べて10.5%低い水準にある(図1参照)。

他方、消費者物価(除く生鮮食品)は94年後半から99年くらいまでは安定していたが、それ以後弱含みとなり、2000年後半以降は、対前年比0.5%から0.6%の下落が続いている。

2000年第3四半期のGDPデフレータは93年第4四半期よりも9.6%低い水準にある(図2)。

2001年1月の日経平均株価の月中平均は、バブルのピークである89年12月の月中平均の約34%の水準でしかない(図3)。地価(6大都市市街地地価指数)も、2000年9月現在、商業地で90年9月のピークの18%、住宅地で同42%と極めて低い水準にまで低下している(図4)。

国内卸売物価やGDPデフレータで見た持続的な物価の低下は、事後的に実質金利と負債の実質価値を高めることにより、債務者の負担を増大させてきた。さらに、債務者が保有している株式や土地の価格も大きく低下したため、彼らのバランス・シートは著しく悪化した。

年々の物価の下落率が1-2%程度でも、それが10年近くも続いた場合の累積的な効果は、債務者にとってはかなり大きなものになる。さらに、資産デフレの累積効果は物価下落のそれをはるかにしのぐ大きさに達している。国際証券が「法人企業統計年報」を用いて推計したところによると、非製造業の土地保有額の簿価は133.4兆円であったが、時価は69.6兆円に過ぎず、含み損は簿価の半分近くの63.8兆円に達した(図5)。

地価の低下は土地の担保価値を低下させるため、中小企業のように銀行の土地担保融資に大きく依存している企業の資金調達を著しく困難にし、土地を担保に貸し出している銀行にとっては不良債権の増加をもたらす。不良債権の増加はその償却により、自己資本比率を低下させる。さらに、日経平均株価が1万4,000円台を割れば、株式含み益どころか含み損を抱えることになり、銀行の自己資本比率は大きく低下し、貸し出しの減少をもたらす。

株価の下落は逆資産効果とバランス・シートの悪化とを通じて、個人消費を抑制する。この効果は株式に直接投資していない家計にも及ぶ。それは、生命保険や年金基金の運用利回りが低下すると、年金も保険も頼りにならないという将来不安が高まるためである。

以上のようにして、株価と地価の低下は民間需要を減少させ、それが物価の下落(デフレ)と景気の悪化をもたらす。デフレと景気の悪化とにより、家計と企業の期待成長率及び土地と株式の期待収益率は共に低下するため、土地と株式に対する需要が減少し、それが再び、地価と株価の低下をもたらす。地価と株価の低下は右に述べたメカニズムを通じて一層の民間需要の減少と成長率の鈍化、物価の下落を引き起こす。このように、バブル崩壊後の日本経済は資産デフレのワナに陥っている(図6)。

財政政策の限界

資産デフレのワナから抜け出すためには、財政支出の拡大には大きな限界がある。財政支出の拡大は景気循環の後退期の局面で、民間需要が自律的に回復するまでの間、需要不足を埋めるという「つなぎの役割」しか果たすことはできないからである。資産デフレのワナから脱出しない限り、民間需要が自律的に回復することは困難であり、回復したとしても極めて弱々しいものに止まってしまう。そのため、財政政策に頼った景気回復政策は、絶えず財政支出を拡大しつづけなければならず、公債残高の累増をもたらす。これまでのところ、公債残高が累増しても金利が上昇せず、設備投資が抑制されたり、円高がもたらされたりするといった、負の公債残高効果は働いていない。しかし、公債残高の累増は人々に将来の増税を予想させることにより、すでに家計の消費を抑制し、財政支出拡大効果をかなりの程度相殺していると考えられる。

資産デフレ下における金融政策の波及メカニズム

次に、資産デフレのワナから脱出するための、金融政策について検討する。

金融緩和政策が実体経済に及ぼす経路には、金利の経路、資産価格の経路、バランス・シートの経路、為替レートの経路がある。

(1)金利低下の経路(図7)

名目長期金利は現在の名目短期金利と将来の期待名目短期金利の平均値に、リスク・プレミアムを加えたものにほぼ一致すると考えられる。

Rn=(r0+r1+・・・+rn-1)/n+α (1)
Rn=n期満期の名目長期金利
r0=現在の1期満期の名目短期金利
ri=現在予想されるi期後の1期満期の名目短期金利=1期後の期待名目短期金利(i=1,2,・・・,n-1)
α=リスク・プレミアム>0

(1)から分るように、金融緩和政策が長期にわたると予想されれば、それだけ長期にわたって、名目短期金利も低下すると予想されるから、名目長期金利の低下は大きくなり、かつ、その低下は満期の長い名目長期金利にも及ぶ。将来の名目短期金利が長期にわたって低い水準で安定すると予想されれば、(1)のリスク・プレミアムもまた低下する。

日本銀行は2000年8月にゼロ金利政策を解除した。ゼロ金利政策解除は単にオーバーナイト・レートをゼロから0.25%に引き上げただけでなく、「デフレ懸念が払拭されるまでゼロ金利政策を継続する」という期待形成を通じた金利経路への働きかけをも解除したことを意味する。

(2)資産価格上昇の資産効果(図7参照)

(3)バランス・シート改善の経路(図8図9図10参照)

(4)円安の経路(図11参照)

「良い物価下落論」の誤謬

日本銀行政策委員会の審議員の間では、「技術革新や流通革命がもたらす物価の下落は、経済厚生の向上につながる『良い物価下落』であり、デフレとはいえない」として、需給悪化を原因とする「悪い物価下落」と区別すべきであるという意見が多数を占めている。あるいは、エコノミストの間にも、「国内物価が下がっているのは生産性が低く割高だった非輸出財が、大競争時代に突入したことで、国際水準に収れんする過程と見るべきである」という考え方も少なくない。

図12の曲線A0B0は財A(非輸出財とする)と財Bに関する生産可能性曲線を示したものである。当初の、日本国内の財Aと財Bの相対価格をa0/b0とし、国内生産はE0の点で行われていたとしよう。ここで、割高な非輸出財Aの価格がa1に低下し、国内の相対価格(a/b)が国際的な相対価格(a1/b0)に一致したとしよう。これにより、物価は下落する。これが、いわゆる「良い物価の下落論」における物価下落であり、デフレと区別すべきであるといわれる。

しかし、名目金利の非負制約や名目賃金率に下方硬直性がある経済においては、均衡点はE1のように、生産可能性曲線より内側に移動する可能性がある。点E1の点では、国内の資源(労働、資本、土地など)は有効に活用されておらず、「良い物価下落論」の主張とは逆に、経済厚生は低下している。以下に提案する金融政策の3つのオプションは、いずれもインフレ目標の設定を前提にしているが、それらの政策は財Aと財Bの両方の価格を同率のπだけ引き上げることによって、国内の相対価格を国際的な相対価格(a1/b0)と等しい値に維持しつつ、生産点を点E2に移動させて、資源の完全利用を図り、経済厚生を高めようとするものである。

金融政策のオプション

(1)インフレ目標付きゼロ金利政策

期待される効果は以下のとおりである。

インフレ目標(1-3%)の設定により、ゼロ金利政策解除の時期が透明になる。

期待形成への働きかけを通じて、名目長期金利を引き下げる。

(2)インフレ目標付き・一時的固定相場

円・ドルレートに目標を定めて、円売り・ドル買い介入を実施する。期待される効果は以下の通りである。

純輸出の増加

インフレ期待の発生→期待インフレ率の上昇以下の名目金利上昇→実質金利低下

インフレ目標付き長期国債買い切りオペの増額

ここでは、金融政策の第3のオプションとして、インフレ目標付き長期国債買い切りオペ増額を提案したい。

インフレ目標を設定するのは、次の2つの理由による。第1に、金融政策の目標を明確に数値で表わせば、その透明性と説得性が共に高まる。

第2に、インフレ目標を設定することにより、資産価格の大きな変動を抑制することが可能になる。例えば、2000年末以来続いている株安は、バランス・シートの改悪効果を通じて、デフレ圧力となり、将来の物価の下落を予想させる。日本銀行がこのバランス・シート改悪効果による物価下落を予想して、金融政策を一層緩和の方向に運営すれば(すなわち、フォワード・ルックング型の金融政策)、株価の低下が抑制され、結果的に、株価の安定が図られる。株価が安定すれば、株安によって引き起こされるデフレ(フローとストック双方のデフレ)のワナに陥ることを回避できる。

インフレ目標の数値としては、インフレ目標を採用している諸外国の経験から見て、1-3%程度の範囲に設定することが妥当であろう。インフレ率をゼロではなく、1-3%程度のプラスに設定する最大の理由は、名目金利はゼロを下回ることがないという非負制約が存在するからである。

日銀エコノミストの反対論に答える

翁・白塚・藤木(2000a)や翁・小田(2000)などは長期国債の買い切りオペの増額が右で述べたさまざまな経路を通じて、総需要刺激効果を持つことは認めているが、次のようなリスクの存在を強調する。

翁・白塚・藤木(2000a)は、非常事態への対応を前提とする「アグレッシブな長期国債買い切りオペ」の場合(マネタリーベースをほぼ倍増させ、現在のM2+CDの約1割に相当する60兆円の買いオペを実施するケース)、将来、金融を引き締める必要性が生じて、売りオペを実施しなければならなくなったときに、8兆円から12兆円程度のキャピタル・ロスが生じるという。彼らはこうしたアグレッシブな長期国債買い切りオペには、次の2つのリスクがあるという。

第1は、「財政規律の喪失と受け止められたり、中央銀行の国債引受と実質的に同じとの認識が生まれた場合には、日本国債の格下げが進行する可能性が高く、その結果、国債の信用リスク((1)式のリスク・プレミアムの一種―引用者注)が増大して、国債金利は上昇する・・・。インフレ見通しについての不確実性が増大すれば((1)式のリスク・プレミアムの一種―引用者注)、インフレ・プレミアムが上昇する」(162頁)として、「長期国債買い切りオペの大規模な増額に対するコミットメントは、これら2つの要因(信用リスク・プレミアムとインフレ・プレミアムの上昇―引用者注)から、名目長期金利を期待インフレ率以上に急騰させ、財政をより大きな困難に直面させることも考えられる」(162頁)という。

しかし、インフレ目標をもうけて、インフレ率に上限を設定しておけば、むしろ、インフレ見通しに関する不確実性は低下すると考えられる。

次に、財政規律が喪失されるという点については、政府が「日本銀行が大規模な長期国債買い切りオペを実施してくれるので、安心して、国債をどんどん発行して、政府支出を増やし続ける」という行動に出るならば、確かに、無視できない問題である。このような政府のモラル・ハザードは日本銀行がインフレ目標の上限を守ることにコミットすることを宣言することによって、抑制することができると考えられる。それでも、政府がモラル・ハザードに陥るリスクが無視できないならば、買い切りオペの増額にあたって、日本銀行は政府と財政再建について合意を形成しておくことが必要であろう。

しかし、長期国債買い切りオペの増額による金融政策面からの景気の下支えとその刺激効果の存在は、むしろ、財政構造改革を進めやすくするはずである。

第2のリスクであるキャピタル・ロスについては、政府は景気回復とマイルドなインフレとにより税収が増加するため、より多くの国債償還財源を確保することができるようになる。したがって、政府と日本銀行とのバランス・シートを統合してみれば、両者の損得は相殺されるはずである。

それに対して、翁・白塚・藤木(2000a)は、「財政当局との間で日本銀行が被るであろうキャピタル・ロスの処理策について明示的に検討し、対応を明確にすることを求める必要があろう」(173頁)と述べている。つまり、政府が増加した税収でもって日本銀行が被るキャピタル・ロスを埋めるという合意が必要であるというのである。

しかし、その合意が無くても、日本銀行がキャピタル・ロスを被っても、それだけで、日本銀行券に対する信認が毀損されるわけではなく、何ら問題は生じない。

また、将来、金利が上昇して、日本銀行が国債保有からキャピタル・ロスを被っても、他方では、日本銀行の通貨発行差益が増大し、それ以外の資産運用利回りも拡大する。この点については、翁・白塚・藤木(2000b)は、日本銀行が「運用資産の収益からキャピタル・ロスをカバーするには、少なくとも5年を超える時間が必要である」(61頁)という試算を示している。5年を超える時間は長すぎるという主張のようであるが、いずれにせよ、キャピタル・ロスが最終的にカバーされるならば、キャピタル・ロスを心配する日本銀行エコノミストにとっても何ら問題は無いはずである。

さらに、将来、インフレを目標の範囲に抑えるために、金融を引き締める必要が生ずる場合には、日本銀行は所要準備率を引き上げれば、売りオペと同等の引き締め効果を達成することができる。所要準備率の引き上げだけで対応すると、銀行の収益を圧迫し過ぎるようであれば、所要準備率の引き上げと売りオペを組み合わせればよい。

量的緩和は金融システムの安定化に資する

長期国債買い切りオペ増額による量的緩和によって、景気が回復するにつれて、インフレ期待が生ずると、名目金利は上昇する。

量的緩和によりマイルドなインフレが生ずれば、銀行の名目業務純益は増加する。銀行の不良債権処理の原資は基本的に業務純益であるから、これにより、銀行の不良債権処理はより容易になる。景気回復が期待されるようになるにつれて、株価も上昇すると考えられるから、銀行は保有株式を売却して不良債権を処理することもできる。さらに、より長期的には、地価が下げ止まって、マイルドな上昇に転ずれば、担保不動産の処理によって、債権を回収することもできる。

他方、運用利回りと保険加入者に約束した利回りとの間の逆ざやに苦しむ生命保険も、名目金利が上昇すれば、逆ざやが解消するため、その経営も安定する。

なお、景気の回復につれて名目金利の上昇が予想されるようになれば、国債価格下落のリスクが高まる。したがって、現在、貸し出しを抑制して国債保有を増やしている銀行も、国債の保有から短期の貸し出しや変動金利型の貸し出しにシフトすることにより、国債のキャピタル・ロスを回避しようとするようになるであろう。こうした銀行の資産選択の変化によって、貸し出しが増加し、中小企業をはじめとする企業の借り入れによる資金調達も容易になるであろう(図13)。


引用文献

  1. (1)翁邦雄・白塚重典・藤木裕(2000a)「ゼロ金利下の量的緩和政策」岩田規久男編著(2000)『金融政策の論点―検証・ゼロ金利政策』(東洋経済新報社)に所収
  2. (2) __________ (2000b)「ゼロ金利政策:現状と将来展望―中央銀行エコノミストの視点」深尾光洋・吉川洋編(2000)『ゼロ金利と日本経済』(日本経済新聞社)所収
  3. (3)翁邦雄・小田信之(2000)「金利非負制約下における追加的金融緩和政策:日本の経験を踏まえた論点整理」『金融研究』第19巻第4号、日本銀行金融研究所
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