第8回ESRI経済政策フォーラム
「公的金融のあり方」(概要)

経済社会総合研究所

平成14年6月14日

本フォーラムの概要について、事務局の責任により以下の通りとりまとめましたので、ご参照下さい。なお、議論の正確な内容については、議事録(PDF形式 117 KB)別ウィンドウで開きます。を参照頂ければ幸いです。

  • (開催日時)
    平成14年6月11日(火) 午後2時~午後5時
  • (パネリスト)
    • 池尾 和人
      慶應義塾大学経済学部教授 (基調講演)
    • 岩本 康志
      一橋大学大学院経済学研究科教授
    • 河村 小百合
      日本総合研究所主任研究員
    • 神野 直彦
      東京大学大学院経済学研究科教授 (基調講演)
  • (モデレーター)
    • 牛嶋 俊一郎
      経済社会総合研究所次長

冒頭、池尾和人教授、神野直彦教授より基調講演をそれぞれ頂き(ホームページ掲載の基調講演をご参照下さい)、その後パネルディスカッションを行った(パネルディスカッションの後半は、パネリスト以外の参加者の方々からの質問、ご意見にパネリストが回答しつつ議論を行った)。

1.基調講演(池尾和人 慶應義塾大学経済学部教授)(PDF形式 27 KB)別ウィンドウで開きます。

  • 公的金融の中でも出口である政府系金融機関の話を、レジュメをもとに話したい。公的金融を、政府によって所有あるいは運営されている金融機関と捉えると、規模を問わなければ、我が国固有の機関ではなく、全世界的に存在している。
  • 政府系金融機関の役割に関する研究として、ラポータ等が議論を整理している。これを私も適切だと考えているので簡単に紹介したい。二つの見方が存在しており、一つは開発ビュー、もう一つは政治ビューである。どちらの見方も純民間ベース、商業ベースにのらないプロジェクトへ政府系金融機関がファイナンスしているというもの。
  • 開発ビューは、バリエーションはあるが、外部性が大きいプロジェクト等の理由で民間では資金供給できないが、社会的には意味のあるプロジェクトに対して政府が資金供給を行う。このことで、経済発展に寄与しているという見方である。
  • 純民間ベースではファイナンスできないプロジェクトはそもそも経済的には意義がないが、政治的あるいは社会政策的には意義がある。このためにファイナンスされる。政府が金融機関を保有するのは、政治的目標の実現である、これが政治ビューである。
  • 我が国の最も代表的な政策金融機関は、日本開発銀行であった。戦前の特殊銀行も、日本興業銀行や日本勧業銀行であったように、開発、経済発展が強く意識されている。
  • 市場の失敗は、途上国だけでなく、先進国でも存在し得る。まともな経済学者で、市場が失敗しないと考えている人はいないだろう。しかし、市場は理由なく失敗するわけではなく、情報制約がある、インセンティブ問題が上手く解けない等の理由がある。
  • 市場がある種の情報制約を持っている際に、政府が情報を得られやすいという場合には、市場の失敗を政府が解決出来る。しかし、市場が失敗する場合には政府も情報を得にくく、失敗しやすいという可能性は十分に考えられる。私は、実は政府であれば市場の失敗を補完出来るという状況はかなり限定的と考えている。
  • 仮に、市場の失敗がかなり広範囲に存在すると見られるとしても、そのうち、政府が補完できるものは限定されるし、政府補完の解決策として、金融的手法が対処策として最もふさわしいというケースはさらに限定されると思う。したがって、先進諸国でも規模の限定された政府系金融機関は存在し得るが、際立った規模での政府系金融機関は経済合理性の観点からだけでは正当化できない。
  • 逆に、経済的に意義がなくても政府系金融機関が正当化されるのは、開発途上段階である。ガーシェンクロン命題や村上先生の「開発主義」のように、開発段階における公的金融は意義があった可能性はある。実証をさらに重ねる必要はあるが、開発段階では、経済合理性を超えた正当性が認められるといっても良いかもしれない。
  • しかし、我が国は開発段階を脱して、既に少なくとも25年は経過していると考えられる。問題の種類は既に変化しており、政策金融機関だけではないが、開発段階に創設された組織はその目的達成後も存続する傾向がある。こうした傾向と政策意図が一緒になった場合に、どういうことが起きるかという問題が、現状で政策金融機関を考えるべき論点である。
  • 開発段階では、開発ビューと政策ビューの区別は難しい。しかし、開発段階を過ぎると外部性が大きいので市場で実行されないプロジェクトは徐々に減ってくる。しかし、政治的に好ましいプロジェクトは常に存在するという状況はある。日本では高度成長を完成する段階までは、開発ビューが成り立っていたかもしれないが、それ以降は政治ビューで政策金融を捉えるべきだと考えている。
  • 実際、政策金融の役割も変化しており、開発金融の役割は減少して、個人の住宅金融が増加している。ある意味で、住宅金融は社会的に望ましいものではあるが、自宅を買うことすら望めない最も貧しい低所得者層の支援にはなっていない(苦しいかもしれないが、ムリをすれば住宅が買えるという中間所得者層の支援)という意味からは、ある種の政策意図(政治支持基盤の強化)が働いていいたという政策ビュー観点で眺めざるを得ない。
  • 別の論点として二つほど述べたい。一つは、民間金融機関の機能不全問題である。現在は、民間金融機関が十分に機能しているとはいいがたい状況である。民間金融機関が機能不全な場合に、それを公的金融機関が補完できるのかが問題になる。
  • 機能不全の内容が、資金の量的確保という意味でいけば、民間金融機関を公的金融機関が補うということは可能だろう。しかし、現在のカネ余りの状況では、絶対的な供給不足ではなく、必要なところに、お金が回っていないという問題である。それは必要なところに適切な価格で供給できていないのである。
  • では、民間金融機関よりも公的金融機関が価格づけに優れているかということになるが、私は公的金融機関の能力には懐疑的であり、良くても民間と同じ程度しかリスク判断能力はないと考えている。
  • 論理学では2種類のエラーがある。正しいことを間違っているという第1種エラーと、間違っていることを正しいという第2種のエラーがある。この考え方でいけば、前者は、資金を供給しなければいけないところに資金を回さないエラーであり、後者は、回してはいけないところに資金を供給してしまうエラーとなる。第1種のエラーを少なくするためには、どんなところにでも資金供給すればよいということになる。しかし、この場合、第2種のエラーが生じてしまう可能性が高い。現状において、いずれのエラーを重視すべきかということは基本から良く考える必要がある。
  • 量的供給だけが問題なのであれば、政策金融機関はあえて必要ではなく、信用保証をつければ民間機関はいくらでも貸し出すことが出来る。今はそういう状況である。
  • 参考にグラフをつけている。中小企業金融を考えると、中小企業は貸し渋りや、貸し剥がしにあって資金的に苦しいと思われる。現在の日本の中小企業が抱えている債務、特に非製造業の債務の方向だけ見ると貸し渋りや貸し剥がしということになろうが、既に債務残高の水準は相当高い。こうした極めて高い水準の債務を抱えているという状況で、前述のどちらのエラーを重視するのか、基本から検討しなければならない。
  • もう一つ、政府によるリスクの時間分散機能についてふれたい。政府は永続する存在である一方で、民間金融は制度として永続する機関ではない。政府が永続することからすれば、潜在能力としては長期のリスクをカバーできると考えられる。
  • 政府がそういう能力を慎み深く使えば、非常に良いことだと思うが、現在の政府の状況を見る限り、通時的な政府のリスク配分機能を明らかに阻害しているとしか思えない。直接は政府系金融機関だけの話ではないが、現実の日本政府は、社会保障など、世代間のリスク負担をスムージング化するのではなく、世代間の対立を増大するかのように動いているかのように見える。
  • こうした状況では、政府系金融機関がカバーできるリスクの範囲は限定されている。(そうした状況であるにもかかわらず、)民間には出来ない長期の固定金利の貸し出しを政府は出来るというのをうたい文句にしていいのかという状況である。

2.基調講演(神野直彦 東京大学大学院経済学研究科教授)

  • 日本語ではなぜか、金融学はなぜか金融論、財政学は財政学と呼んでいる。私は伝統的なドイツの財政学の専門家であり、その観点から公的金融を考えていきたい。財政学は19世紀後半の大不況の状況からドイツにおいて誕生した。
  • 現在の政府は金融活動としてみると、借手としての政府と貸手としての政府にわけられる。今回は貸手の立場から議論していきたい。借手としての政府も、公債など財政活動から発生する債務と郵便貯金や年金など、行政活動から生じる債務の二つに分けられる。ここでは、行政債務に関わるようなものを念頭におきつつ、貸手としての政府、一般に政策金融といわれている部門について議論していきたい。
  • 財政学からの観点で政策金融を捉えると、ハンスマイヤーの研究があり、「補助金としての国家信用の供与」と定義づけている。つまり、政策金融は補助金給付の特別形態と位置づけるということである。私的な努力では果たしえないような困窮状態からの救済策として、19世紀の恐慌の中から、農業分野から始まり、工業、住宅、造船、国家一般へと国家信用の供与がひろがっていったとのことである。
  • 恐慌の救済策として始まった政策金融が第2次大戦後の復興過程で資本不足の理由から、各国に広まっていった。もう一つの国家信用供与拡大の要因はマーシャルプラン、ガリオア・エロア資金のような対外援助である。
  • 政策金融は補助金給付の特別形態、すなわち、極端に言えば、経費支出の一形態と位置づけられる。経費支出は市場経由で交換を行う方法として、現物給付(要素市場か生産物市場に人件費あるいは物件費として支払われる)がある。市場に支払わずに現金を給与する方法としては、家計に支払えば社会保障であり、企業に支払えば補助金となる。
  • 政策金融はそうした補助金と(民間)金融との中間形態ということになる。政府支出として金融を使う手段は三つあり、補助金、マイナス補助金としての租税優遇措置、そして政策金融があり得る。政策金融は、政策目的を達成するために、補助金給付の特別形態として行われていると考えられる。
  • 財政的には、政策金融は、補助金と比較すれば、ある政策目的を達成するのに租税資金を節約することが出来るというメリットがある。補助金(財政)は議会を通じた国民によるコントロール下におくことが可能である(行政的裁量の余地も小さくて済むし、予算のチェックも可能である)。租税特別措置は行政裁量」の余地は少ないが、議会による統制が難しくなる。政策金融機関のデメリットはこれらと比較すると、行政裁量の余地が大きくなる。
  • 歴史的には各国とも戦後復興時に、租税特別措置を行い始めるが、うまく機能しなかった。戦後復興期は、企業の利潤が上がってこない段階であったためである。このため、戦後復興措置は、租税特別措置から政策金融に移行し始める。
  • そうした、政策金融は各国で定着してくるが、少しずつ矛盾をきたしてくる。政策金融は補助金と市場調達の民間金融両方の性格を持っているが、このうち、租税資金の調達が難しくなってきたからである。例えば、財政投融資資金の原資を開始時の1953年度を見ると、30%強が当時の概念で返済を必要としていない資金であった(政治的色彩が強く、予算原理に強くしたがっていた)が、近年になるにつれて、コストゼロの資金が減少し、借手としての政府は補助金や予算原理が働かない方向に変化してきた。
  • これに対して、貸手としての政府は、当初特定の産業、例えば造船、鉄鋼、自動車など基幹産業に対して傾斜的に配分していた。その影響は非常に大きく、例えば、鉄鉱石の価格は1955年から10年間で、FOB価格は変化していないが、CIF価格は半分にすることが出来たのは造船等振興の成果である。融資先はその後は、住宅金融や生活環境整備などの部分に移行してきている。
  • 貸手としての政府からいくと、予算原理が働き、公共財として提供しても良い分野が急速に高まっている。他方、借手としての政府は、民間金融機関の性格が強まっている。この矛盾が政府系金融機関の改革が必要とされる最大の理由だと考えている。
  • それでは、どうすれば良いかであるが、私は政府系金融機関を民営化せよということにはならないのではないかという見方をとっている。政府系金融機関を一般会計化するか、租税資金を節約するか。どちらを選ぶべきということである。
  • 19世紀末もそうであったが、現在のように大きな時代の転換期になると、産業政策目的と地域政策目的が非常に重要になってくるが、これらはリスクが大きすぎる分野。動学的な財政構造政策や地域政策からすれば、市場原理はアクセルを踏めるが、財政政策がハンドルを切ってやる必要があるというのが常識である。
  • 民主的な統制を強化することが重要である。出来るだけ貸付にあたっている部署に権限を委譲する、実際に仕事に当たっている人の権限を強化するという方法と(ボトムアップ)、行政裁量に対して議会がきっちり統制をとる方法(トップダウン)の二つがある。
  • 私の考え方は、この二つのどちらかということではなく、両方の組み合わせである。

3.パネルディスカッション

(1)コメント

(岩本康志 一橋大学大学院経済学研究科教授)

  • 金融論のご専門の池尾先生と、財政学の神野さんのお二人からご講演していただいた。私の専攻は財政学だが、意見は池尾先生の方に近い。
  • 政策金融機関はほぼ50年間が経過しているが、我が国の金融システムが変化しているにもかかわらず、組織としては当初の形が比較的変わらずに、今まで来ているという状況。
  • 公的金融機関は、金融機関(資本市場では情報の非対称性が存在しているために、資金調達できない借手に金融仲介の役割を果たす)と公的機関(市場の失敗がある場合に、公的な補完で社会目標を達成する)の二つの役割を持っている。
  • 金融システムが大きく変化する中で、民間金融機関は変革が迫られているのだから、政府系金融機関も同じ変革が迫られるのが自然であり、これまでと全く同じ役割で良いという風には思われない。
  • 資本市場が発達する中で、護送船団方式でないとやっていけない金融機関、不良債権に苦しみつづける金融機関はこれからの長期を考えると必要ないということになる。
  • 現状の姿を大きく変えた公的金融機関が必要になるのは間違いないが、短期的に民間機関が機能していない今の段階での改革は、時間軸を区切って考える必要がある。短期(不良債権問題が存在する中での民間の機能の補完)と長期で改革の戦略を練っていくべきである。
  • 政府系金融機関のあり方を検討する場合、その活動の正当性について十分には説明されていないと考えられる。融資の対象が民間金融機関から受けられない、民間金融機関の判断は間違っている、そこに融資することが社会的に正当化できる、といった三つの部分の説明責任がきっちり果たされていないのが現状ではないか。
  • 民間金融機関をおしのけて、公的金融機関が貸しているのではないかという懸念もあるし、民間金融機関の融資を受けられないことが正しい判断ということもありうる。
  • 長期・固定・低利の3つの概念について説明したい。このうち、長期で固定の金利資金は、少なくとも民間金融機関でも供給可能になっているのではないだろうか。低利融資が必要な理由についての正当な説明がないように思われる(外部便益性の検証)。民間がどういうことが可能で、政府に何が出来るかを考えていくと、情報生産能力はほぼ同じであると考えるのが妥当であろう。こういう前提に立つと、低利融資の根拠は少ないと思われる。
  • 政策コストを最小化するという改革が検討されているが、公的金融機関には意味がないということと同義だと考えている。低利融資が必要であるとしても、その場合に手段としての公的金融機関が必ずしも、必要であるとは限らない。例えば、民間金融機関への利子補給や信用保証などでも対応可能なものはある。それでも対応できない場合(例えば、裁量的に融資対象を選択せざるを得ない場合や、民間金融機関との利益相反が生じる時)には、公的金融機関が望ましいということになる。
  • 細かい金融機関の整理方法では、住宅金融公庫は、受け皿法人が証券化業務を行うのではなく、むしろ民営化すべきであると考える。政策投資銀行は民営化。中小企業金融は中長期的な観点からは公的介入の意義は薄いと思う。しかし、短期的には金融問題の解決がされるまでは先送りするべき。
  • 政府が長期的なリスクを負担出来る機能は事実であり、重要だが、そのリスクをしっかり管理する体制が必要なのではないか。財政投融資の信用保証に対するリスクがきちんと把握されていないし、リスク負担をすることが政府の役割というならば、管理体制は特に重要である。

(河村小百合 日本総合研究所主任研究員)

  • 現在、諸外国でどのような制度が作られているのかを研究しており、その観点で補足したい。
  • 池尾先生の話にあったように、日本では際立った規模で公的金融が存在している。当初は目的があり、高度成長期にはその使命を達成してきたことは否定できない。しかし、一旦形成された後は、当初目的の達成後も、新たな使命を探して存続しようとしていることは同意する。今後、これをいかに見直していくのかが最大の問題点である。
  • 日本の場合、どういうケースで、市場の失敗があるのかは、10年前、30年前、50年前というそれぞれの時点で、意味が異なると思われる。
  • 日本では、これまでどういう分野でどのような時に財政投融資が出ていけばよいのか、という本質的な議論はほとんどなされてこなかった。財投レポートが出ているがわかりにくい。どういう分野で市場の失敗があり、民間活動に政府が介入するべきか、といった本質的な議論が必要であろう。
  • 市場の失敗には何があるのか考えると、教科書的には情報の非対称性、外部性、資源の制約、不完全競争などが言われているが、近年の米国の例でいくと、情報の不伝達についても政府が出て行く余地はかなり狭まっているという認識が一般的。クレジットスコアリングについても、これだけ情報技術革新が発達するとベンチャー企業や個人の情報の不伝達問題が少なくなっており、民間で出来ない分野が狭まっている。
  • 正々堂々とした議論、例えば、中小企業向け融資は果たして政府が担うべき分野として妥当なのかも議論していくべき。外部性の存在という意味では日本では環境対策などが一番あてはまっているとされているが、米国では教育金融、高等教育を受けるためのローンが社会全体に還元するもの(将来の経済成長を生み出す源泉)として政府の役割と認識されている。しかし、最近は変わってきており、教育金融分野での改革や、私学助成(教育設備の建設に伴う融資への政府保証)の廃止などに力を入れている。
  • ドイツの復興金融公庫(kfw)という機関は、第2次大戦後の復興開発機関として創設されたが、住宅融資、中小企業支援、途上国支援など多くの分野を担当してきた。この機関は、極めて機動的に融資対象分野を変えてきている。80年代には一旦、住宅ローンから手を引いたが、両ドイツ統合がなされた際に、東ドイツの低所得者層向け住宅ローンを復活させた。2000年になり、役目を終えたとして、東ドイツ向け住宅ローンを政策金融としては廃止するといったなどの例がある。これは政策金融の機動的な変化の良い例であると思っている。
  • 今後の課題として中立的、客観的な立場の機関による、事前と事後の政策評価が重要であろうと思う。政策評価そのものは、ある程度意見の対立がある中で、徐々にコンセンサスが出来ていくというのが自然な流れである。政府が入るべき分野についての議論を高めていくのが望ましいと思う。
  • 細かい分野は異なるだろうが、神野先生が、政策金融を全て民営化すれば良いというものではないという意見には賛成である。住宅金融は民間でも提供できる分野の筆頭であろうが、地方財政向け、中小企業向け、第1次産業向けなど政策目的が異なる政策金融がある。基本は民営化でも構わないと思うが、分野ごとに何をどこまで政府が担うのか、着地点について議論していく必要がある。
  • 政策金融は日本では米国をお手本にすることが多いが、現在,欧州で議論が出ている。公的金融機関のあり方については、欧州の競争力委員会において、(民間金融機関との)競争政策との関連で検討がなされている。
  • 最近では、ドイツの金融機関のあり方について議論がなされ、州政府の関与をなくす方向で決着した。この3月で合意に達した方向は、特殊課題銀行は政府保証によって民間企業との関係では著しく優位な立場にあるのだから、その活動範囲を限定するといった立法化すること、限定された活動以外の分野は民営化することである。

(2)ディスカッション

(池尾)

  • 誤解を避けるために述べておきたいが、私は「小さな政府論者」ではない。日本政府にはもっと本当にしっかり仕事をしてもらいたいと思っている。制度的なインフラ整備、取引の公平性が確保されるようにモニタリングをしていくなど、高度な金融市場を円滑に機能させるための政府の果たすべき役割は多いと考えている。これまで十分に仕事をしていないと考えているし、場合によっては、その仕事をするために政府の規模は大きくなるかもしれない。ただし、政策金融という形での仕事はあまり残っていないというのが私の立場である。
  • 神野先生のお話を聞いていて、思っていたよりも考え方が違わないなと思っている。財政投融資(公的金融)は金融的手段を用いた財政活動だと捉えるべきである。その活動の基本は補助金提供として捉え得るというのはご指摘のとおりである。しかし、その補助金がもっぱら外部経済効果を狙っているものなのか、政治的なギブ&テイクの手段としての補助金であるのかが、問題である。
  • 民主主義的な統制を強めることで、財政投融資が政治的なギブ&テイクの手段にならないようにするということが重要であると私は考えている。その意味で、神野先生と私は意見が違っていない。
  • これまでも、政府系金融機関は仕事をしてきたわけだから、今ある政府系金融機関には経営資源が蓄積されている。これはある意味で国民の資産なのだから、そうした経営資源を有効活用する必要がある。経営資源を雲散霧消させずに、再活用する方法として、民営化がありうる。機能によっては、一般政府で引き取るべき分野もあるだろうと思う。米国の教育ローンについての保証業務(サリーメイ:Sallie Mae)は良くないので、連邦政府直接貸付けに切り替えたというケースもある。私は何でも民営化という考え方ではない。
  • 政府も今の時代、今の環境下でやるべき仕事をきちんとやるべきであり、昔からやっていた仕事を引き続きやるというのはおかしい。

(神野)

  • 感想からすれば、私も意見が似ていると認識した。
  • 私の考え方は、政府が本来、租税資金で行うべき仕事との関係で政策金融機関を見ている。政府系金融機関が膨れ上がった原因を、私は政府が本来、租税資金で行うべき分野をやってこなかったせいだと捉えている。
  • 米国では教育分野や住宅のウェイトが高い。欧州では住宅は社会保障として考えて提供しているし、ドイツでは教育が本来無償であるために、そもそも教育ローンが必要ない。スウェーデンでは教育を受ける際の生活費として教育ローンが存在している。
  • こうしてみると、日本の場合には、本来一般会計でやるべきことを、特に高度成長期に一般会計で予算が不足する部分を政策金融にまわしたのではないかと思われる。
  • (時代が転換する)この時期は、政府が長期的な方向づけを担うべき状況にあると見ている。財政でカバーできないのであれば、政策金融機関が担う分野として研究開発がある。普通の国では、研究開発費は予算から出ている(米国の軍事予算の一部、NASAに対する資金投入やスウェーデンにおける産業クラスターへの研究開発補助)。
  • 河村さんご指摘のように政策金融機関の政策課題はリニューアルされるものであるから、もしも、研究開発分野に財政で予算が投じられないならば、政策金融機関の分野として積極的に位置づけているというのが私の考え方である。

(岩本)

  • 公的金融機関のあり方という問題設定のたて方は、財政という目的を金融という手段で括っており良くないのかもしれない。財政上の目的をどういう方法で行うかのうちの金融手段、その中でもさらに狭い政策金融で括っていることになるからだ。本来は、中小企業金融機関であれば、中小企業政策の中でどう位置づけるか、を議論していくのが筋である。今回の政策金融改革でも全て一括的に議論するのは危険かもしれない。
  • 河村先生、ご指摘のように公的金融機関は、臨機応変に変化することは肝要である。それ自体はパネラー全員に共通していると思う。その中でパネラーの見解が分かれているのだと思う。
  • 産業構造政策目的、地域政策目的、社会政策目的などで、政府が補助金を用いて市場の撹乱を行うことが妥当かどうか、というところで神野先生と私は意見がわかれているのだと思う。私は産業政策として資金の撹乱をする段階ではないという見方である。
  • 住宅政策は住宅金融ではなく、むしろ低所得者層にどうやって住宅提供をすべきかを検討されねばならず、本来政策が考慮すべきでない分野を今は政策金融で扱っているのではないか。現在の対象範囲なら、民間ですでに提供できるという考え方である。
  • 政策評価を客観的に立証する必要があるが、それがなかなかできないことにも問題はあるが、しっかり議論をするための基本である、公的金融の役割に関する研究は質的にも量的にもまだ不足していると思う。公共事業では費用・便益分析などで政策評価が進み、蓄積されつつあるが、同じ分析が公的金融機関についてされていないと思う。
  • 学者が議論して、問題の整理をして、混乱を避けることは出来るだろうが、最後の政策目的は、政治判断として政治家が責任を持って決めていくべき部分だろう。

(河村)

  • リスクをどうするかについて、これまで日本では、政府がいやしくも行う活動であるからこそ、デフォルトしても仕方がないといった認識が存在していたのではないだろうか。無償資金も税金も投入している事業なのだから、リスク最小化やデフォルト回避のやり方を工夫することも必要であろう。
  • リエンジニアリング原則は米国では細かい部分まで規定されている。プログラムについて、民間が明らかに提供できないことが実証されている場合のみ、金融仲介という手法が連邦目的達成のためのベストな手段である場合にのみ実施するという原則がある。デフォルトリスク管理の原則という意味では、ローンの実際の提供民間金融業者にとってリスクを最小化するインセンティブが存在するか、などの規定がある。
  • 日本での新しい金融手法について、岩本先生の住宅金融公庫の独立行政法人機関は民業圧迫になる懸念には賛同する。しかし、日本で証券化商品がうまく根付くためには、当初段階では公的関与が必要だろうと思われるために、最初は独立行政法人でも良いだろう。しかし、将来的にもずっと独立行政法人とするのは問題があるのではないか。
  • 信用保証については、長期固定金利に比較すれば、コストが少ない方法であろう。しかし、岩本先生ご指摘の民間業者との利益相反問題がある。これについての工夫としては、日本のように100%リスクを政府が保証するというのではなく、7-8割や一部(1/3―半分を民間でリスクをとる)だけ保証するという方法もあるのではないか。
  • 証券化して、リスク分散できるかについて、最初に証券発行する機関のリスクは分散できるが、それが万能かというと必ずしもそうではない。住宅ローン以外の中小企業向けローンなどの分野では証券化が(質が多様になり、情報開示問題が増えれば増えるほど)難しくなるという実態もある。

(岩本)

  • 私は、住宅金融公庫の債権証券化について、遅くとも5年程度かけて、証券化を進めていき、証券がある程度行き渡った時点で、住宅金融公庫を民営化していくべきだと思っている。

(池尾)

  • 手段(直接貸付が良いか、間接的に貸すか)は目的次第だろうと思う。一つで万能の金融手法があればよいのだが、実際にはそうした手法は存在しない。日本の現状は直接貸付が多いために、間接的に貸す手法も混ぜるべきであるという意見ではわかるが、他方で全体の規模が縮小する中で、間接的手法もわざわざ混ぜるべきでないのではという議論も成り立たなくはない。

(3)フロアーオープンディスカッション

(フロアー)

  • 池尾先生、岩本先生にお聞きしたい。今後の政策金融を民営化せよとよく言われるが、ここに疑問がある。決済機能などが弱く、融資しかやっていない機関の民営化というのはどういうことを考えておられるのか?

(池尾)

  • 政府系金融機関は、業務の内容からいけば、日本語では公的ノンバンクということに直接はなってしまう。ほぼそのままの経営資源・組織で移行させたときに、そのまま民営化できる政府系金融機関の数は限定されている。1-2の金融機関については株式会社にして特殊会社として存続させるものが考えられるが、それ以外は経営資源の整理統合で部分的に移管させることになるだろう。際立った規模の政府系機関は先進経済において必要ではないが、ある程度の限定された目的・規模での政府系金融機関は必要なので、そこに経営資源を再配分するということも考えられる。

(岩本)

  • 民営化よりも縮小させたほうが良いという意見がございましたが、縮小するのが困難というのが、公的機関の特徴。そのため、分割などの方法の方が実現可能性は高いと思う。

(フロアー)

  • 岩本先生に質問したい。長期の課題からいって、社会的重要性が証明されるべきというアカウンタビリティ確保という話があったが、最後には政策効果の証明は難しいという話も出ていた。説明責任としてどのようなことを考えているのか教えてほしい。また、短期的には公的機関が必要といっている観点を教えて欲しい。

(岩本)

  • 最初の質問については、客観的・科学的な評価が難しいという意味である。その場合でも、アカウンタビリティは必要である。主観的なものであっても、国民が見て判断すべきだ。経済理論で見て納得できる形で評価をするように政府は努力をすべきという考え方。
  • 後者については不良債権問題が発生した98年頃に中小企業金融機関が存在していなければ、大きな問題になったのではないかと考えている。その意味で、不良債権問題解決時のシステム危機対応のためのオプションを残すという意味である。

(フロアー)

  • 公的金融機関が、株式会社化することになると、企業ガバナンスはどういう形態になるのか?

(池尾)

  • 米国のジニーメイ(Gennie Mae)、フレディマック(Freddie Mac)が参考になると思う。米国では株式は民間に放出されているが、当該機関は政策目的も担わされている。政策実行を担保するために、定款で公的役割を担う旨の記載がある上に、政府が連邦法に則って取締役の1/3程度を任命できるようになっている。こうした形での緩やかなガバナンスになる。器は柔軟性を持ち、市場で200年程度、鍛えられている株式会社方式が優れているのではないかと考えている。ガバナンスは基本的には株式会社の構造にしたがうことになるだろう。

(フロアー)

  • 岩本先生にお聞きしたい。現在、短期的に改革を先送りすることのコストについてお聞かせ願いたい。現在の金融機関の問題点の基本はリスクの値づけであり、中小企業金融ではこの分野が最も重要になる。公的機関が存在していることで、リスク値づけが歪むことの問題をどう考えるのか。

(岩本)

  • 公的機関の存在によって、民間機関のリスク値づけが歪むというのは理論上おかしい。民間機関は自分たちでリスクに見合った値をつけるべきであり、その結果、中小企業が公的金融機関に走る可能性はあるが、民間機関の値付えは別問題であり、責任転嫁である。中小企業金融はコストが嵩むが、改善すべきは改善すべきである。

(フロアー)

  • 二つ質問したい。欧州のジャイロシステムと、日本の郵便貯金発展の経緯を対比して説明していただきたい。池尾先生は経営資源があるというが、本当にあったのだろうか?

(神野)

  • 郵便貯金は欧州で信書の取引から商取引の為替へ発達して、貯金になっていったというのを日本も導入したものだ。欧州でも英国、仏、伊が大きかったように思う。仏、伊は日本と似ているが、英国では資金の運用用途は国債・地方債等に限定されている。

(池尾)

  • 経営資源の蓄積についての判断は、私が判断すべき問題ではない。アカウンタビリティの一環として、政府系金融機関が自ら証明していくべき話で、それが出来なければ、能力がないということになるだろう。
  • 機関でなく個人で見た場合、政府系金融機関の中には志が高く立派な方もいらっしゃると思う。民間金融機関に良い人と悪い人がいるように、政府系金融機関の経営資源も天下り幹部は別にして、全てダメだとは思えない。
  • 金融機能回復のため、不良債権問題を処理するための特別チームをRCC以外に編成したらどうかと思う。かなり乱暴な議論であることを断って述べるが、RCCと中小企業金融公庫を一時合併し、RCCより強力な組織を作り必要時期が過ぎた段階で民営化といった手法もありうるのではないか。

(岩本)

  • 経営資源がないために、民営化後経営が立ち行かないとしても、それは政府とは関係がない話である。民間として市場で淘汰されるということであり、倒産するからといって政府が抱えておくのはおかしい。

(フロアー)

  • 昨年の財投改革で導入された財投機関債は財投機関の市場による淘汰を意図したものであったが、現時点でどう評価するか。

(池尾)

  • 私は、財投機関債によって政府系機関が淘汰されるということはありえないと思っていた。財政は民主主義により統制されるべきであり、こうした種類の問題は市場では解決できない。民主主義でしか解決できない問題であり、我々の民主主義の質が問われるべきだ。現実の財投機関債を見ても、業務内容ではなく、政府とのつながりが強いか弱いか(将来政府に見限られるかどうか)で債券の評価が決まっているようであり、私の予想通りであった。
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